俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

化膿

2016-01-20 10:41:02 | Weblog
 腫れには2種類ありこの2者は質的に全然異なる。
 打撲や捻挫をすれば腫れる。私はこの炎症を良い腫れだと考える。腫れれば血流が増え自然治癒力が存分に働いて治癒が促される。
 もう1つの腫れは化膿だ。傷口から病原体が入り患部が腫れ上がる。この腫れの正体は膿だ。病原体と白血球の残骸だ。これは老廃物だがこれを排出する仕組みが無いから取り敢えず皮膚に留まっている。清潔な状態で膿を出してしまえば痛みも消える。「膿を出す」という言葉は比喩的にも使われるが、この腫れは不必要な物の溜まり場だ。
 この2つが混同されている。腫れという症状でありながら、一方は血流の増加でありもう一方は膿が溜まっているだけだ。化膿という症状があるせいで自然治癒力が働くための炎症まで症状と誤解されているのではないだろうか。冷やして炎症を鎮めることが治療と考えられているのは化膿との混同だろう。広辞苑では炎症とは「細菌感染・化学的作用・物理的作用などによる組織の傷害に反応して、身体の一部に発赤・腫脹・発熱などを起こすこと及びその症状」とされており、この2者が区別されていない。
 皮膚にできる炎症と化膿でさえ混同されるのだから内臓にできる腫れ物についてどう診断されているかは全く疑わしい。あるいは表皮にできても無害なので放置され勝ちな瘤やイボのようなものが内臓にできた場合、これらまで腫瘍と呼ばれているのではないだろうか。
 日本では癌の定義がかなり甘いらしい。欧米では良性腫瘍と診断される小さな腫瘍まで癌の早期発見として早期治療の対象とされている。こんな無意味な治療を幾らやっても癌患者は減らない。日本で癌死亡率が一向に下がらないのは高齢化が原因ではなく、無駄な「治療」にばかり尽力して本当の治療に背を向けているからではないだろうか。癌でない患者を治療していれば手術の成功率も5年後生存率も高まるが全く無意味な成果だ。
 癌と良性腫瘍を区別することは炎症と化膿の区別より遥かに難しいだろうがそれは必須だろう。疑わしい物を片っ端から切り取っていればいつまで経ってもこれらは混同されたままだ。
 日本人の1割が脳に小さな動脈瘤を持っているそうだ。これが破裂すればくも膜下出血となるが、どれが破裂し易いかなど誰にも分からない。脳動脈瘤の手術は後遺症が残る可能性がかなり高いだけに、明らかに危険なほど大きな動脈瘤以外は手術せずに生活習慣などの改善によって対応したほうが良いらしい。癌の手術も脳動脈瘤と同じくらい慎重であって良いのではないだろうか。必ずしも必要でなかった手術の後遺症に苦しむ人は少なくないようだ。

台本

2016-01-20 09:49:13 | Weblog
 我々は台本の無い世界に生きている。自らの意思に基づいて生きようとしても、失敗や挫折を繰り返して試行錯誤を強いられる。
 スポーツにも台本は無い。だから野球のプレミア12の対韓国戦やかつてのサッカーの「ドーハの悲劇」のような思わぬ大どんでん返しがあり得る。台本に従うスポーツは八百長試合かプロレスのようなショーだけだ。
 ショービジネスという言葉があり芸能・娯楽産業を指す。これはショーを扱うという意味だけではなくビジネスそのものまで台本に基づいている。マスコミの注目を集めるために様々な手を使う。絶体絶命のピンチを演出してハラハラドキドキさせればファンは否応無く注目し激しく感情移入する。先日来のSMAPの解散騒動も見え見えの茶番劇だった。最初から最後まで台本に基づいており最終的にはファンの熱意によって総てが解決されたかのように装う予定調和の猿芝居だろう。メンバーによる生放送での会見にしても明らかに台本に基づいており各自の本音ではない。芸能人は所詮「駒」だ。劇中だけではなくマスコミに向けた言動は常に台本に従う。
 一連の騒動によって古いCDまで売れテレビは視聴率を稼ぎスポーツ新聞は販売部数を増やしたのだから関係者一同にとってはメデタシメデタシと言うべき顛末だろう。何よりも不思議なのはこんな茶番劇を批判する報道が無かったことだ。公共放送の紅白歌合戦でさえ牛耳るジャニーズ事務所の神通力は凄まじい。
 私はバリ島にたった1回行っただけで嫌いになった。滞在初日、突然祭りが始まった時、流石は「神々と芸能の島」だと感激した。しかし翌日も翌々日も同じ時刻になるとダンスが始まる。よく見ればメンバーも毎日殆んど同じ顔触れだった。妙に人為的なものを感じた。
 調べてみればバリの芸能は一人のドイツ人によって作られていた。西洋人が東洋的エキゾチズムを感じるような歌と踊りを創作したものであり決して伝統芸能ではなかった。ダンサーは全員公費で雇われたプロであり自然発生を装ったショータイムだった。
 台本に基づいていれば必ず大団円へと向かう。決して期待を裏切らない。水戸黄門のようなハッピーエンドが待っている。こんなマンネリズムを喜ぶのは脳細胞が劣化した老人だけだろう。
 生きるとはどうなるか分からない未来に賭けることだ。未来が不確かだからこそ人は知恵を絞って様々な選択をするがそれが良かったかどうかは後になって初めて分かる。結果が分からないからこそ挑戦する。人が冒険をするのは、必ず想定外のことが起こるからだ。それを喜ぶか嫌うかは生きるスタンスの違いでもある。大過無く生きようとすれば大果も対価も得られない。

感冒薬

2016-01-18 10:23:59 | Weblog
 インフルエンザが流行期に入ったと15日に国立感染症研究所が発表した。1月になってようやく流行期を迎えるのは10年ぶりらしい。流行期が遅れた原因は暖冬だ。インフルエンザウィルスも風邪症候群のウィルスも暖かさに弱い。
 インフルエンザが流行り始めると総合感冒薬のCМが増える。しかしどれも訳の分からない内容ばかりだ。
 「効いたよね 早めのパブロン」
 「私の風邪は短期決戦 パブロンエース」
 「熱・喉・鼻にルルが効く」
 「今年の風邪にはルルが効く」
 「あなたの風邪に狙いを決めて ベンザブロック」
 「1に睡眠 2にストナ」
 「ジキニンでじきに治って」
 「風邪に効く コフト顆粒」
 これらのCМでそれぞれの違いが分かるだろうか。ジキニン以外は薬の名前を入れ替えても全然支障が無い。多額の宣伝費を使いながら、信じられないほど無内容なCМばかりだ。一体全体どう効くというのだろうか。
 まるで怪しい健康食品メーカーのように「薬効はあるが薬事法のせいで公言できない」という逃げ口上を使うかも知れないがこれは嘘だ。薬効など元々無い。総合感冒薬に可能なことは「風邪の諸症状の緩和」であり治療効果は全く無い。それどころか、自然治癒力の妨害をし、更には副作用によって毎年何人も死んでいる。健康被害がどれほど出ているかなどは把握不可能なほど多い。メリットとデメリットが正しく知らされていないからこんな有害な商品が市場に溢れている。
 こんな酷い商品が大々的に売られてそれを誰も批判しないとは恐ろしいことだ。政・官・財・マスコミがグルになって国民を洗脳している。これは「みのりフーズ」による廃棄食材の販売よりも遥かに危険な詐欺商法だ。
 風邪の治療薬が存在しないことは公然の秘密だ。市販薬だけではなく医師が処方する薬にも治療効果は無い。だから欧米の医師は有害無益な風邪薬など処方せずに安静と栄養だけを勧める。
 マスコミは医療費の膨張を危機として煽り立てるがその根本原因である風邪薬や生活習慣病の薬については触れない。医療保険制度の立て直しなど簡単だ。こんな無駄で有害な投薬をやめるだけで大半の問題が解決される。医薬業界は国民の財産と健康を飲み干すブラックホールのようなものだ。

お手盛り

2016-01-18 09:44:32 | Weblog
 庶民はルール遵守を強いられる。法律であれ条例であれあるいは様々な施設が定めたルールであれそれに従わねばならない。ルールに不満があっても見直しを申し入れることしかできない。
 中国には「上有政策 下有対策(上に政策あり、下に対策あり)」という言葉がある。これは「ルールに不満があれば抜け道を探せ」という意味だ。ルールが曖昧であれば勝手に都合の良い解釈をしても構わないという意味もある。
 現時点で国会議員に育児休暇制度は無い。しかしルールが無いなら好き勝手にしても許されるのは庶民だけだ。国会議員は立法府に所属する。つまり法の不備を是正することが仕事だ。
 12月27日付けの「育児休暇」に書いたとおり自民党の宮崎衆院議員による育児休暇を評価するのは京都3区の有権者であり第三者ではないと私は考える。だから宮崎議員個人ではなく制度としての問題点を問う。
 育児は殆んどの人にとって避けられないライフステージだ。介護退職が好ましくないように育児退職によって人材が離脱してしまえば企業側が困る。それを防ぐために育児休暇制度がある。つまりこれは終身雇用を前提とした引き止め策であって自由業者には適用されない。個人商店を閉めても何の補償も無いし作家や芸能人が休めば収入が無くなる。
 政治家とは労働者だろうか、自由業者だろうか。多分、自由業者だろう。ではなぜ育児休暇中でも高額の議員報酬や各種手当が支給されるのだろうか。支給を止める法律が無いからだ。宮崎議員はNPOなどに寄付をすると言っているがどこに幾ら寄付するかについては全く明言を避けている。
 ルールに背かなければ合法であるのはあくまで庶民の場合だ。ルールにに不備があればそれを改めるのが立法府の所属員の仕事だろう。ルールが無いからどうしようとも自分の勝手だというスタンスではなく、速やかにルールを定めてそれに従うべきだろう。
 国会議員は立法権を握っている。だからしばしばお手盛りの法律を作る。例えば政治資金規制法は典型的なザル法であり、小沢一郎氏の不正な手口を裁けなかった。初めから抜け道を用意した悪法だ。
 地方議員はまず自分達の報酬を増額して次に手駒である地方公務員の給料を増やした。このためにラスパイレス指数はどんどん高くなった。ルールを作る側の人間は自分達に都合の良いルールを作ろうとするものだ。
 国会議員に関する法律を国会議員が作ることに根本的な問題があるのだが、立法権は国会にしか無いのだからこれを許容せざるを得ない。だからこそマスコミや学者が厳しく監視をしてお手盛りの法律を阻止する必要がある。法の整備をせずに自分勝手な解釈によって利益を得ようとすることはそれ以下の下劣な行為だろう。

独居

2016-01-16 10:28:58 | Weblog
 昔から「人は一人では生きられない」と言う。しかし男性の生涯未婚率は2割ほどを占めるそうだ。私もその一人だが未婚ではなく非婚だと思っている。
 リゾート地で会う外国人に独身であることを告げると彼らは一様に「羨ましい」と言う。これが本音なのか独身者に対するマナーなのかはよく分からない。更に「なぜ結婚しないのか」と問われれば「相手にされないから」と答えて大笑いする。
 私だってロビンソン・クルーソーのような生活などしたくない。しかし日本にいてお金と健康があれば一人暮らしは快適だ。逆に、誰かと同居すれば5つの自由を失う。①行動②金銭③交際④時間⑤責任の5つだ。
 ①行動・・・群居動物である人類は本能的に相手との協調を図る。協調を重視すれば自分のやりたいことが分からなくなりできなくなる。このことは優し過ぎる日本人にはあり勝ちなことだ。
 ②金銭・・・稼いだお金は自分のものだろう。これは自分の体の次に確実なことだ。しかし伴侶もまた所有権を主張する。無駄遣いの多い妻に耐えることは難しく、その一方で自分にとって価値ある出費が否定されることは悔しい。
 ③交際・・・結婚とは究極の売春形態だと思っている。その対価は全財産であり、しかも他の女性との交遊まで禁じられる。これでは投資と報酬が全く釣り合っていない。
 ④時間・・・退職後に大阪で独居している間、好きな時刻に寝て好きな時刻に起きていた。とは言え、無茶苦茶な生活ではない。12時頃に寝て、新聞が配達される5時半から7時頃に自然に目覚めた。多少早く目覚めてもそれが自然覚醒である限り睡眠時間不足にはならない。自分にとっては体内時計のほうがクォーツよりも正確な時計だ。
 一人であれば目覚めた時が朝食タイムになる。それが何時であっても構わない。これは意外に快適で合理的な生活だ。同居者がいれば相手に会わさねばならない。これは結構不合理で不健康なことだ。私は待ち時間を潰すために水と煙草に頼るがこれによって胃を傷め勝ちだ。
 ⑤責任・・・二人になれば責任は2倍になる。鬱陶しい親戚付き合いも冠婚葬祭も2倍になる。煩わしいだけだ。これに更に子供絡みの付き合いまで増えるかも知れない。
 独居をすれば不便なこともあるがそれを大幅に上回るメリットがあるだろう。現代は独居者にとってこそ便利で快適に作られた社会だ。

原因不明

2016-01-16 09:43:01 | Weblog
 もし3人が同じ病気か怪我で、それぞれが医療機関、祈祷師、放置という3種類の対応を選んだとする。救急医療でなければこの3者に差は無かろう。救急医療だけは西洋医学が際立っている。それは西洋医学の原点が戦場での医療だったからだ。その反面、対感染症以外の日常医療のレベルは高くない。
 これらの3者に差が生じないのはどれも自然治癒力に頼っているからだ。祈祷は勿論のこと医療にも治療力は無い。せいぜいプラシーボ効果ぐらいしか無い。もし風邪であれば、多分放置することが最善だ。医師は有害な対症療法薬を処方するし、祈祷師は無意味な儀式を強要するからだ。
 放っておいても治るという事実を医師や祈祷師は隠蔽しようとする。医術や霊力によってのみ病は治療されるという迷信を拡散することが彼らの最も重要な仕事だ。私が子供の頃は「傷なんか唾をつけているおけば治る」と言ったものだが、当時のほうが今よりも「科学的」だった。
 原因不明とされている病気の多くは本当に不明なのではなく、原因を特定できないということだろう。逆に最も分かり易いのは感染症と欠乏症であり、О-157に感染すれば食中毒を起こし、ビタミンB1が足りなければ脚気に罹る。医療は原因が特定されれば有効だが曖昧であれば殆んど無力だ。
 複雑な数式であってもそれを因数分解して(X-1)の積であることが分かれば、それ以外がどれほど複雑であってもX=1で解ける。決定的な原因が分かれば他の要因を無視できる。
 しかし複雑な要因に基づく事象をたった1つの要因に還元することはできない。例えばミサイルの軌道は、発射速度、角度、引力、空気抵抗などをそれぞれ積み上げなば分からない。複雑な要因に基づく事象を特定の単純な要因だけに基づいて算出しても不正確になる。複雑な要因を無理やり単純化することは偽科学だ。
 生活習慣病の原因は様々だろう。原因が異なれば対処も変わる筈だが標準治療(ガイドライン)では1つの病名に対して1つの治療が勧められ、それは検査数値を下げることだ。例外は糖尿病であり、Ⅰ型とⅡ型に分けられて違った治療方針が定められている。
 似た症状であれば同一の病気とされ画一的な治療が施されるが、因果性が確定されていない時点でのこんな対応は不適切だ。原因が異なれば対応も異なるべきであり、画一的な対応はそれがその場凌ぎに過ぎないことの証明だろう。
 原因が分からない場合は試行錯誤のほうが望ましい。運が良ければマグレ当りをするかも知れない。ガイドラインに基づく医療は治療を放棄するようなものだ。こんないい加減な医療が滅びないのは殆んどの病気が自然治癒力で治っているのにそれを医療の成果と思い込ませることに成功しているからだ。怪しげな民間療法が滅びないのも同じ事情に基づく。

暴力

2016-01-14 10:31:46 | Weblog
 暴力に基づく悪事は少なくない。ドラえもんのジャイアンのようないじめっ子から暴力団、あるいは中国やロシアのようなならず者国家による横暴などあらゆるレベルで暴力を背景にした悪事が行われている。だから暴力は悪いと考えられ勝ちだ。
 しかし暴力は悪事にしか使われない訳ではない。暴力団による悪事を抑止する警察は国家による暴力装置に他ならない。メキシコでは麻薬組織の武力と闘うために警察だけではなく軍隊まで動員されている。
 武力そのものは善でも悪でもない。使い方次第だ。だから暴力一般として否定すべきではない。これは鉄人28号のようなものだ。「♪ある時は正義の味方 ある時は悪魔の手先 いいも悪いもリモコンしだい♪」良いも悪いも暴力の行使者次第だ。
 アルフレッド・ノーベルは土木工事のための安全な爆薬としてダイナマイトを発明した。それが戦争やテロに使われても、ダイナマイトを悪と決め付けることはできない。
 報道には良い報道と悪い報道がある。最悪の報道は子供の自殺であり、これを興味本位や金儲けのために利用すべきではない。報道でさえ良いものと悪いものがあり、言論の自由を最優先することは一考を要する。
 アメリカではオバマ大統領が銃の規制を強化しようとしているが、共和党などの反対に会って難航している。銃を持つことは合衆国憲法修正第2条に明記された国民の権利であり、発砲事件がある度に銃の所有率は高まるらしい。これはアメリカ人の自衛意識が強いからだろう。
 暴力や銃を絶対悪として否定することはできない。だから「暴力反対」や「銃反対」や「戦争反対」は空虚な理想論にしかならない。元々銃が殆ど存在しない日本でならともかく、既に普及して長く権利として認められるているアメリカでの銃規制は決して易しくない。
 明治9年の廃刀令が多くの士族の反発を招いたように、国民は権利を奪われまいとする。オバマ大統領が実際に行ったように、不正な販売ルートの規制のような搦手を使うことが有効な策であり、銃を悪と決め付けることなくあくまで「銃の悪い使い方」を規制する必要がある。
 喫煙者としての私が最も怒りを覚えるのは傍若無人な喫煙者だ。火の点いた煙草を振り回したり明らかに迷惑な場所での喫煙などを見れば、彼らこそ喫煙者の立場を悪化させる輩だと感じる。銃の権利を主張する人にとっても銃を悪用するテロリストは敵だ。良い銃と悪い銃を明確に区別することによって敵対する筈の人々まで味方に回せれば、アメリカにおける銃規制はもっと広く支持されて安全な社会へと一歩前進できるだろう。

育児適齢期

2016-01-14 09:45:36 | Weblog
 11日に東京ディズニーランドで行われた浦安市の成人式で松崎市長は「出産適齢期は18歳から26歳を指す」と発言した。これは科学的事実を伝えただけではなく市長の願望を語ったものと解釈して差し支えなかろう。
 しかし人のライフステージをこんなに簡単に科学的・生物的に決め付けて良いものだろうか。仮に人の体力・知力が60歳を境にして急激に衰えるとしても、60歳までだけ必死で働けという理屈にはなるまい。私は働きたくないが、60歳を越えても働く権利はあるだろう。
 それ以上に重要なことは、生物的な出産適齢期と人間としての育児適齢期が全く異なるということだ。18歳から26歳の現代人の大半は余りにも未熟で到底、育児適齢期を迎えているとは思えない。かつての大家族制であればそれでも構わなかった。姑が積極的に育児に関与したからだ。しかし現代の核家族制の元では夫以外に頼れる人はいない。ところが多くの場合、夫も同世代であって精神的にも社会的にも未熟であって頼りにならない。
 何が起こるか?児童虐待や育児放棄だ。統計を取った訳ではないので必ずしも正確ではないかも知れないが、児童虐待や育児放棄などで逮捕される母親は大半が20歳代前半だ。20歳代の母親の境遇は様々であり一概には言えないが、精神的未熟さがその最大の原因だろう。
 20歳代の女性にとってはやりたいことが沢山ある。心も体もエネルギーが充実しているから遊びも恋も仕事も最も楽しい時期だ。そんな時に育児に専念させられることは大きなストレスになりこれが我が子に対する憎悪に変質することもあり得る。我儘でありたい自分の自由が、自分よりも我儘な乳幼児によって奪われることに、若くて未熟な母親の大半が耐えられない。
 人もやはり動物としての本能に左右される。他の動物と同様人類のオスもできるだけ多くのメスと交尾しようとするものだ。しかし私はこの動物的事実に基づいて浮気を肯定しようとは思わない。動物としての事実はあくまで事実に過ぎず、行為を肯定する根拠にはなり得ない。社会内で生きる動物は野生の動物とは異なった基準を持っている。
 人は動物ではあるが社会内で生きる動物だ。生物としての事実に基づいて「かくあるべし」と決め付けるべきではなかろう。人には選択する能力がある。様々な事実に従うことも抗うことも選択できる。当然、単なる動物として生きることも社会内動物として生きることも、どちらも選択肢たり得る。

笛吹き男

2016-01-12 10:45:00 | Weblog
 新年早々、マスコミに怒っている。子供の自殺と荒れる成人式の報道についてだ。マスコミが騒げば騒ぐほど事態は悪化する。マスコミは正義の味方の仮面を被っているが、煽り立てて報道ネタに使おうという魂胆が見え見えだ。マスコミ立場は100%マッチポンプだ。
 事件が起こってから駆け付けても決定的瞬間を映像化できない。だからマスコミは事件が起こる前から現場で待機している。マスコミには予知能力者でもいるのだろうか。なぜ事件が起こることが予め分かっていてカメラや制作スタッフが勢揃いしているのだろうか。当然ヤラセや共犯だ。マスコミに報じられると分かっているからこそ目立ちたがり屋の新成人が騒ぎを起こす。
 子供の自殺は事情が違う。これはヤラセや共犯ではなくマスコミによる誘導だ。新学期に子供の自殺が増えることは統計的に明らかでありこの最盛期を盛り上げるためにマスコミが仕掛ける。自殺があれば大騒ぎをするし、以前に自殺した子供のその後まで報じることによって子供に自殺を意識させる。
 今年に入ってから何度もそんな記事が掲載された。昨年11月の名古屋市の中1男子、10月の沖縄・豊見城市の小4男児、更には平成6年11月の西尾市の中2男子の自殺まで掘り起こして記事にされた。これは1月に限った仕掛けではない。毎年8月末から9月初めに掛けて「夏休み明けは子供の自殺が多い」と一大キャンペーンが催される。「子供の自殺を防げ」というポーズの裏には自殺を煽ろうとする姿勢が見える。
 実際には極めて少ないにも拘わらず、子供の自殺はニュースバリューが高い。新聞もニュース番組も大々的に報じる。原因追及の姿勢を示して、やれいじめだ、心の闇だと騒ぎ立てる。しかし「死人に口無し」だから原因など分からない。実際には何となくムードに流された自殺も少なくなかろう。だからこそ幾らでも脚色できる便利なネタだ。何とでも演出してヤジ馬の関心を集めようとする。最近では極力、いじめを原因にしようとする。そうすれば悪人退治というテーマで関心を集め続けられるからだ。
 これは日本だけで起こる異常な社会現象だ。欧米では、子供の自殺の報道は極力避けられている。それは、子供が感化され易いからだ。同世代の自殺が報道されれば自殺が身近なものと感じられる。だから欧米のマスコミは人命尊重の対場から報道を自粛する。
 日本のマスコミの悪辣さは桁外れだ。自殺者をヒーローに祭り上げて、いじめたとされる同級生や見逃した教師を悪人として糾弾する。こんな報道に接していれば子供は誤解する。自殺さえすれば嫌な奴らを懲らしめる最強のヒーローになれる、と。
 マスコミは善人面をして様々な放送禁止用語を設定しているが、子供の自殺こそマスコミが最も慎むべき報道だ。善意を隠れ蓑にした自殺幇助だ。彼らこそ、子供を自殺へと誘うハーメルンの笛吹き男だ。

ハイブリッド(3)

2016-01-12 09:54:26 | Weblog
 日本人は黒人が嫌いだ。醜いと考えている。これは昔から色白を高く評価していたからだ。「色の白いは七難隠す」とまで言われていた。こんな美感覚を持っていれば、色が黒いということは致命的な欠点だ。この美白信仰は今尚健在だ。
 昔は人種差別を助長するドラマも沢山あった。「ターザン」とか「少年ケニヤ」とか「狼少年ケン」などだ。これらは主人公の日本人や白人が野蛮な土人の中で民族的優越性を発揮するという差別意識丸出しの酷い作品だった。現代であれば到底放送できない内容だ。
 実は私も黒人に恐怖を感じたことがある。当時、近鉄バファローズの主力選手だったデービス選手と街中で出くわした。黒く逞しい巨人を目の前にして捻り潰されるのではないかとさえ思った。
 これらは古い世代の偏見だ。人類発祥の地であるアフリカの黒人は遺伝的多様性を最も豊富に備えている。言わば遺伝子の宝庫だ。アジア人もヨーロッパ人も黒人の亜種に過ぎない。
 日本人は元々雑種民族だった。縄文系日本人はどこがルーツなのか分からないほどに様々な民族の混合体だった。その後、大陸や半島からの弥生系との混合はあったものの、海によって隔てられた日本では遺伝的多様性は失われ続けた。
 混血の日本人アスリートが素晴らしい能力を発揮することはダルビッシュ有投手やハンマー投げの室伏広治選手を見ても分かるが、最近、黒人との混血のアスリートの活躍が目覚ましい。野球のオコエ瑠偉選手や短距離走のサニブラウン選手以外にバレーボールやバスケットボールなどでも若い混血選手の活躍が目立つ。旧世代の黒人系混血選手は元広島の衣笠祥雄選手ぐらいしか思い出せないほど珍しかったのだから、これは大きな変化だろう。
 黒人がアメリカの大統領に就任する時代なのだから、黒人に対する偏見は明らかに薄らいでいる。若い世代の感覚は我々よりもずっとグローバル化しているだろう。
 現在の状況で難民の受け入れは不可避だが、私は移民によって人口を維持しようという政策には大反対だ。低賃金の輸入労働者に3Kの仕事を押し付けるなど奴隷制のようなものだ。途上国に対する蔑視がある。その一方で日本人の自主的な混血化には賛同する。フィリピン人妻の輸入は人身売買のようなものであり許容できないが、在日外国人が日本人と繋がることには諸手を挙げて賛成する。あるいは急増中の外国人旅行者が旅行というレベルに飽き足らず定住することにも期待したい。
 今のところアスリートの活躍ばかりが目立つが、近い将来文化の面でも混血の人々が活躍すると期待している。遺伝子の宝庫であるアフリカ系黒人とのハイブリッド化は単に日本人だけではなく人類全体の質的向上にも繋がると考える。