俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

盲信

2016-01-10 10:28:54 | Weblog
 以前から気になっていたことがある。コンビニなどの店員がレジスター機を過信していることだ。1,000円の商品を買って10,000円札を出したところ99,000円のお釣りを渡されたという話がある。10,000円を100,000万円と誤登録したことが原因だが、1万円札が釣り銭に使われる筈が無いことにさえ気付かないところに薄気味悪さを感じる。
 あるいは200円程度の商品を買って数千円請求されたこともある。レジスター機がそう表示したからだ。これは商品登録時のミスなのだが気付かずにそのまま請求する。レジスターを盲信して考えない店員が増えている。
 こんな経験もある。500円の商品を買って1,000円出したところ、店員は電卓でつり銭の計算をした。日本人の計算力はここまで落ちたのかと呆れた。
 今でこそ絶大な信頼を得ている電卓だが、普及し始めた頃の信頼度は余り高くなかった。時々誤作動があってとんでもない数字が表示されたからだ。だから私は、足し算と引き算は算盤(ソロバン)で、掛け算と割り算は電卓で、と使い分け、嘘のような話だが検算は算盤に頼ったものだった。
 店員がレジスター機や電卓を無条件に信じている姿に不安を感じたものだが、案の定これに付け込んだ詐欺が現れた。釧路市のホームセンターで、テレビの入った箱にスピーカーのバーコードを貼り付けて価格を誤魔化すという手口だ。呆れたことに27,000円のテレビが1,400円と表示されても店員は全く疑わずにレジで清算させたそうだ。これがアナログの値札であれば流石に気付くだろう。しかし彼らが神とも崇めるレジスター機によるお告げだったからこそ鵜呑みにされた。
 機械盲信は怖い。人が計算する時、予め予測をするからそれと懸け離れた数字であれば疑う。だから人力である限り99,000円のお釣りなど起こり得ない。機械に使われているから明らかに奇妙な数字でも盲信する。
 コンピュータによるシミュレーションに基づく、と言われると有難がって鵜呑みにする人が少なくないが大半はかなりいい加減な資料だ。シミュレーションのための変数など簡単に操作できるから都合の良い結論に導くことなど難しくない。シミュレーションにおいて、釧路市でのバーコード詐欺のような手法が使われることはよくある。計算そのものは正しくても基礎データが誤っていれば誤った結論が導かれる。それをチェックできるのは人間だ。機械は使うものであって、人が機械に使われてはならない。機械が出した結論であれマスコミが報じる情報であれ、無批判に鵜呑みするような盲信は危険極まりない。

劣化

2016-01-10 09:45:55 | Weblog
 物は必ず劣化する。人造物だけではなく自然物も劣化する。唯一劣化しないのが若い生命体だ。生命のみがエントロピーの法則に逆行する。成長期においては劣化しないどころか向上する。そんなことが可能なのは新陳代謝があるからだ。劣化した古い細胞を捨てて新しい細胞に置き換えるから全体は劣化しない。しかし新陳代謝が不活発化すれば徐々に劣化しこれが老化と呼ばれる。
 個人は劣化する。「同じ場所に留まるためには全力で走り続けねばならない(「鏡の国のアリス」より)」という「赤の女王仮説」に最初に気付くのは一流のアスリートだろう。そして彼らは否応なくその限界にも気付かされる。全力で走っても同じ場所に留まれなくなった時、彼らは現役を退く。多くの人は老人になってから初めてこの事実に気付いて愕然とする。どれだけ努力をしても老化を免れられないことを知らされる。
 アイドルもやはり劣化する。だからこそ大人数のアイドルグループが存在する。初期のメンバーが劣化すれば新しいメンバーに入れ替えて新陳代謝を図る。
 組織が劣化しないのは人と技術の新陳代謝があるからだ。同じ人が同じことをやっていれば劣化を続けてやがて滅ぶ。ウィーン少年合唱団が作られたのは1498年だ。当時から生き残っている人などいない。14歳で退団して世代交代を続けている。世界最古の企業は大阪市天王寺区の金剛組で創業は何と578年だ。四天王寺を建てた組織が継承されている。
 権力も劣化する。権力者の周囲には様々な利害関係者が群がり利権者の意向が政策に反映される。権力者の任期を限定し総入れ替えもあり得るという点において民主主義は独裁制よりも遥かに優れたシステムだ。
 法律も劣化する。制定当初のまま改善しなければどんどん時代遅れになる。民法が時代遅れであるように憲法も時代遅れだ。時代遅れの憲法や様々な法律は社会を劣化させる。制定から一字一句修正されていない日本国憲法は今や世界最古の憲法だ。変えないことは現状維持ではない。改善を怠れば劣化を促す。
 寝たきりになった老人が急激に劣化するのは劣化を防ぐたもの努力さえできなくなるからだ。人は逆向きのムービングウォークに乗っているようなものであり、足が止まれば一直線に劣化する。改善を怠ることは現状維持ではなく劣化の促進だ。見直すことさえ妨害される現行憲法は無理やり寝たきりにさせられた老人のようなものだ。本来であればもっと有益であるべき憲法が腐敗し続けている。腐った憲法は日本を腐敗させる。

痒覚

2016-01-08 10:18:58 | Weblog
 虫に刺されて痒く感じることは好ましい反応だ。もし痒くならなければ刺されることを余り嫌がらなくなって多く刺されることになる。それは感染症の危険性を高める。
 蚊に刺されて痒くなる人とならない人がいた場合、前者は刺されまいとするが、後者は多く刺されて感染症に罹り易い。痒くなることは環境に対する適応だ。
 痒み止めを虫刺されの薬だと思っている人がいるが大間違いだ。痒みは虫刺されに対する警鐘だ。痒みを抑えることなど二の次・三の次だ。感染症に罹らないことこそ大切だ。大の虫と小の虫を取り違えている。
 無痛症という先天的異常がある。生れ付き痛覚が充分に機能しない。痛くなければ便利だなどと思ってはならない。痛みに対する恐怖が無いために無鉄砲になり易く怪我を軽視するために殆んどの人が50歳までに死ぬそうだ。
 痛みも痒みも警鐘だ。痛みや痒みを誤魔化すことが治療ではない。最も重要なことは重篤化させないことであり、不快感に対しては症状ではなく原因に対処せねばならない。警報器の電源を切っても問題は解決しないし目覚まし時計のアラーム音に怒るべきでもない。
 鎮痛剤が怪我の痛みを押さえてもそれで怪我が治る訳ではない。怪我の状態を放置したままで酷使すれば怪我は悪化する。手術時の麻酔のように期間限定で使うべきものだ。鎮痛剤を治療薬だと思っている医師がいるとは全く困ったことだ。
 忠告や諫言は痛みや痒みと似ている。その時は不愉快でもそのことによって問題点を知ることができる。痛覚や痒覚のようなものとして感謝すべきだろう。
 サラリーマン時代、私は「叩かれ台」という言葉を好んで使った。この名称を使うことによって関係者は叩き台よりも叩き易くなり、しばしば袋叩きに会った。しかしそのことによって企画内容は格段に改善され、実現不可能と思われた企画が可能になったこともあった。
 私はマゾヒストではないが、批判されることは楽しい。批判されればされるほど賢くなれる。それまで気付かなかった視点を得ることもできる。打者はヒットを打つことよりも多くのことを凡退することを通じて学ぶものだ。

実験

2016-01-08 09:44:34 | Weblog
 6日に北朝鮮は「水爆の実験に成功した」と発表したがその威力は従来の原爆並みだった。原爆並みの破壊力しか無い水爆を開発したのなら、それもまた優れた技術と言えようが、どうも水爆ではなかったようだ。
 では北朝鮮は例によって嘘をついているのだろうか。「実験に成功した」ということは事実だろう。例えば、金魚を海水で1時間泳がせたとする。金魚が死のうと死ぬまいと、実験は成功だ。死ぬことあるいは死なないということが実験によって確認されるからだ。北朝鮮の場合、この程度の技術力では水爆を作れないことが実験を通じて証明された訳だから成果のある実験だった。
 小中学校で理科の実験をする。しかしこれは厳密には「実験」ではない。結果の分かっていることを「再現」するだけだ。こんなことを実験だと思っているから却って実験の意味を理解できなくなる。実験とは結果の分からないことに対する取り組みであって、どんな結果になっても構わない。もし想定外の結果になれば、正にセレンディピティであり大発見に繋がるかも知れない。
 結果の分かっていることを実験しても意味は無い。結果の分からないことに挑んでこそ実験と言える。受験であれ就職であれ結婚であれ、これらも体を張った実験と言えよう。実験なのだから失敗すればやり直せば良い。一番無駄なのは既に何度も実験されたことを再実験することだ。過去からの蓄積を参考にすれば誤った轍を踏まずに済む。
 「EUは壮大な実験だ」という言葉を時折耳にする。どんな結果になるか誰にも確信が無いからだ。こんな壮大な実験に着手できるのは、ヨーロッパ人が科学的精神を体得しているからだろう。
 片や日本人は実験が苦手だ。前例主義がその典型だ。結果が分かっていることの後追いしかできない。前例がある内は良いが前例が無くなるとハタと困り果ててしまう。そんな時に大切なのが実験精神だ。ゴチャゴチャ言わずにやってみれば良い。分からない時にこそ実験が必要だ。
 救急車の有料化について長く不毛な議論が続けられているが、虚しい議論を重ねるよりもどこか特定の地域で実験すれば済むことだ。実験して初めて分かることは少なくない。
 株の売買など実験の繰り返しのようなものだ。幾ら情報を集めても株価など予想できない。実験精神の乏しい人は確実だが低金利の定期預貯金に頼る。
 分からないことであればまず試してみることだ。結果が良ければ継続し悪ければ早期に撤退する。身軽さこそ重要であり、不退転の決意や背水の陣などは実験の精神に背く。やってみて初めて分かることは決して少なくない。

タール

2016-01-06 10:28:53 | Weblog
 私は30年来、フィルターの無い煙草を喫っている。こんな煙草を喫っていると通常のフィルター付きの煙草では物足りなく感じて、フィルター付きの煙草を貰えば、若い頃は、フィルターを切り取って喫ったものだった。
 女友達とバーに行ってウィスキーのストレートを頼むと「キツくない?」と尋ねられた。私は「僕はキツい酒とキツい煙草とキツい女が好きだ」とジョークで答えた。
 フィルターの無い煙草を選ぶのはキツさと安さ以外にこんな事情もあった。当時はフィルター付きの煙草を喫っていたが同僚がこんなことを言った。「喫煙者は狡い。自分はフィルターで濾過した煙を喫って周囲には濾過しない副流煙をバラ撒く」尤もだと思った。それからしばらくしてからフィルターの無い煙草に切り替えた。
 友人の内科医が煙草をやめた。理由を尋ねたところ「解剖した遺体の肺を見てゾッとした。タールまみれになっていたからだ」と答えた。私は彼に倣って禁煙はしなかったが、タールまみれの肺になることが怖くなって使い捨てのフィルターを使うようになった。
 先日びっくりする記事を読んだ。ヘビースモーカーでもある解剖学者の養老孟司氏がこう言った。「僕が解剖した人(の肺)はみんな真っ黒だった。」つまり煙草を喫おうが喫うまいが、排気ガス等によって日本人の肺はススまみれになっているということだ。友人の医師は真っ黒な肺を見ててっきり煙草が原因だと思い込んだが、喫煙とは関係無く、日本人の肺はススまみれになっているようだ。
 養老氏のように、煙草は肺癌の原因にはならないとまでは言わないが、コールタールや排気ガスなどとは違って、煙草の煙によって癌に罹らせる動物実験は未だ成功していないらしい。
 有害と言われている煙草を他人に勧める気は全く無いが、私にとっては気分転換に役立っている煙草をやめる気は全く無い。禁煙すれば気分転換ができなくなって却って精神衛生上悪いだろう。身体の健康には悪くても精神の健康に役立つなら決して無駄ではあるまい。大体この歳まで喫ったのだから今更やめても手遅れだろう。喫煙者として肩身の狭い思いをすればするほど差別される側の少数者の気持ちも理解できるようになる。

目標設定

2016-01-06 09:46:17 | Weblog
 箱根駅伝のテレビ中継を見ていて、山本昌投手にインタビューする形式のサッポロビールのCМに共感を覚えた。正確な引用ではないが「目標設定を低くして、それを達成したら新しい目標を立てる」という内容だった。「目標を低くする」だけであれば安易な生き方に過ぎないが、その目標を達成してから更に高まろうとするところに偉大なアスリートらしさを感じた。
 マラソンの君原健二選手が似た話をしていたことを思い出した。走っていて苦しくなると「せめてあの電柱まで」と思って走ったそうだ。こういう堅実な考え方だからこそ、メキシコオリンピックでの銀メダルという素晴らしい実績を残せたのだし、それ以上に凄いのは35回のレース総てで完走したことだ。偉大なアスリートは日常的な些事も疎かにはしない。
 こんな投手もいた。登板すればまず完全試合を目指す。四死球を与えればノーヒット・ノーラン、ヒットを許せば完封、失点すれば完投という具合に、常にその時点で可能なベストを目指す。設定の仕方は違うが常に現実的な目標を設けるところに山本昌投手に通じるものがあると思う。今できることを目指すべきであっていつ達成できるか分からないことは目標にならない。
 目標を持たない人は糸の切れた凧のようなものだ。目標が無ければその場凌ぎの浮雲になってしまう。大言壮語を吐くばかりの人は、他人を騙しているだけではなく自分をも欺いている。大きな目標を達成するためにはそのためのステップが必要だ。もし5か年計画を立てれば毎年が勝負の年であり、5年目になってから大慌てでやっつけ仕事で片付けようとしても失敗する。
 誰にでも下積みの時代がある。入学すれば最下級生だし、入社すれば新入社員だ。下積みを経験せずにトップを目指すことはできない。「千里の道も一歩より」と言うとおり、今できることをやらなければ未来は無い。現実的な目標を達成し続けることによって大願も成就される。
 目標は主観的なものだ。他人にとってはつまらないことかも知れないが、目標を達成すれば達成感が得られる。たとえそれが自己満足に過ぎなくても無意味ではない。
 私は毎日1,000m以上泳ぐことを日課にしている。4年前までは2,000mだったのだからレベルダウンしている。それでも構わない。いずれは500mが目標になるかも知れないが、現在可能なレベルが目標だ。レベルアップする必要は無い。理想は現実的であるべきで、現在の目標は達成可能なものを設定すべきだ。そうすることによって不可避な老化を少しぐらいなら遅れさせることもできるだろう。worstを避けるためにworseを目指すことも立派な目標設定だろう。

不戦

2016-01-04 10:43:44 | Weblog
 ガンジーは非暴力を貫いてインドの独立を勝ち取ったと学校では教わったが、肝腎のもう1つの柱が無視されている。それは「不服従」だ。ガンジーの独立運動は決して「無抵抗主義」ではなかった。同様にウィグル族であれクルド族であれ、綺麗ごとで現状を改めることはできない。
 「話せばわかる」は幻想だ。利害が対立すれば話し合っても分かり合えない。暴力団の横暴を抑止できるのは話し合いではなく国家権力の暴力装置だ。
 国際社会において国際警察など存在しない。国際司法裁判所でさえ碌に機能しない現状で警察力による秩序などあり得ない、それぞれの国が自国民を守らねばならない。
 抵抗しない児童はいじめの対象にされる。たとえ微力であっても抵抗することによっていじめは抑制される。
 国のレベルで「応戦しない」と宣言することは気違い沙汰だ。いざとなれば応戦するという意思を表示することが抑止力になる。全然好ましいことではないが、核兵器を相互に持つことも抑止力になっている。お互いに喉元に匕首を突き付け合った状態であればどちらも攻撃できない。不幸な形ではあるがガラスの平和が維持されている。
 年末年始のお節料番組でAKB48の「僕たちは戦わない」を初めて聞いて何と能天気な歌かと呆れた。所詮子供の歌だから本気で問題にする値打ちなど無いが、歴史から何も学んでいない。
 なぜ第二次世界大戦が起こったのか。これはあくまで通説だが、ナチス・ドイツがオーストリアを併合し、更にチェコスロバキアやポーランドに侵略したからだ。この間、英仏はどう対応していたか?口先介入の弱腰外交に終始した。余りにも悲惨だった第一次世界大戦後の厭戦気分が蔓延していたために何としても戦争を回避しようとした。その間にドイツは戦力を充実させてヨーロッパ全土を制圧しそうになり、その時ようやく英仏が宣戦布告をした。しかし時既に遅く、ドイツ軍の前にフランスまで降伏をする破目に陥った。
 英仏はどこで誤ったのか?手に負えなくなるほど強力になる前に叩くべきだった。火種の内に鎮火を図るべきだった。そうしていれば局地戦争で収まっていた。戦争回避の姿勢が第二次世界大戦を招いてしまった。
 どんなスポーツであれ、不戦を申し入れれば不戦敗になる。引き分けや不戦勝になることなど無い。戦わないためには露骨に厭戦を示さずいつでも戦えるという強気の姿勢を誇示して相手の戦意を抑えねばならない。
 スプラトリー(南沙)諸島に中国が人工島を作って実効支配をすることになったのは、フィリピンが戦わなかったからだ。勝ち目の無い戦いを避けることはその国にとっては正しい判断だが、このことによって中国の横暴はますます酷くなった。窮鼠が猫を噛むこともあり得るということを態度で示さなければ悪党が増長する。
 

無駄な医療

2016-01-04 09:46:39 | Weblog
 日本の医療費は増え続けており既に40兆円を突破した。来年度予算における税収額が57兆円であることを考えればこれは異常な巨額であり国が医療費によって破綻しかねないような状況を迎えつつある。医療費が増え続けるのはブレーキが無いからだ。関係者全員でアクセルを踏んでいる。医療機関も製薬会社も厚生労働省も国民も、更にはマスコミも危機を煽って医療費を増やそうとする。だから無駄な医療ばかりが増える。
 アメリカにはブレーキがある。保険会社だ。支払を減らしたい保険会社が無駄な医療かどうかに目を光らせて厳しくチェックしている。
 日本で医療費を減らそうとするのは財務省だけだ。しかし財務省の役人は医療の実態を知らないから、個人負担率の増加や診療報酬の減額や薬価の切り下げといったその場凌ぎのことしか考えない。根本的な対策である無駄な医療の見直しは全く手付かずのままだ。
 無駄な医療は無数にある。絶対に助からない人に対する延命医療、検査数値を下げるだけの生活習慣病薬、風邪症候群などに対する症状を緩和するだけで治療効果の全く無い対症療法、軽度の神経症患者を狂人に変える抗精神病薬、老人の一時の安逸と引き換えに身体能力の低下を招く様々な薬、これらは無駄なだけではなく有害でさえある。
 国民・医療関係者・国と自治体の3者で巨額の医療費を分担するのではなく、無駄な医療の根絶こそ急務だ。
 一番効果的な方法は、無駄な医療を健康保険の対象外にすることだろう。これは決して国民の負担を増やすことが目的ではない。患者に本当の医療と無駄な医療の違いを理解させるための手段だ。風邪症候群に抗生物質は効かないし解熱剤等は有害だ。それでも無知な患者はこれらを欲しがる。こんな無駄な医療を保険の対象外にして全額自己負担にすれば、患者もそれが医療ではないことを理解するだろう。それでも所望する患者にはあくまで嗜好品として処方する。嗜好品だから当然保険の対象外だ。終末医療におけるモルヒネならともかく、単に不快感を軽減するだけであれば医療ではない。もしこれらが医療であるなら、気の滅入った人にとってのアルコール飲料は特効薬であり気分転換に役立つ煙草も薬だろう。現在の医療保険制度は酒や煙草に類する嗜好品まで保険の対象にしている。急性アルコール中毒ならともかく二日酔まで保険の対象にする必要などあるまい。

2016-01-02 11:53:59 | Weblog
 「卵を1日に2個以上食べるとコレステロール値が上がって健康を損なう」という俗説ほど広く流布している迷信は珍しかろう。一物全体食であり最も完全栄養食に近いとも言われる卵がなぜこんな悪評を立てられることになったのだろうか。
 酷い話だが、昨年(2015年)4月に厚生労働省は突然コレステロール摂取量の上限基準を撤廃した。残念なことにマスコミが余り報じなかったためにこの正しい知識は国民に周知されず、今尚コレステロールは有害物と多くの人が信じている。
 デマの発信元が誰なのかは分からないがそれを拡散した主犯は主婦だろう。戦後、急激に食事の洋風化が進む中で特に人気が高かったのは卵と肉だ。「巨人・大鵬・玉子焼き」という言葉が残っているように卵の人気は絶大だった。しかも卵には汎用性があり大半の料理に使えるから幾らでも消費される。困ったことに当時の卵は高級食材だった。今でこそ物価の優等生と言われているが、裏を返せば、当時の卵は高かったということだ。卵はバナナに次いでこの50年間で最も値上がりしていない食品だ。最も値上がりしたのは魚類で、食品以外も含めて最も激しく値上げされたのは郵便料金だ。
 まだ貧しかった日本人は家計を切り詰めるために偽科学を利用した。それが「卵や肉を食べるとコレステロールが増える」だ。多分このデマを広げた人々はコレステロールとは何かということさえ理解せずに何となく科学的らしい理屈に飛び付いたのだろう。子供もコレステロールといった訳の分からないものを持ち出されては文句の言いようも無い。こんな倹約のための虚言が世代を越えて刷り込まれた。「卵は1個だけ」は栄養学的な根拠を欠いたまま経済的事情に基づいて広められた。
 コレステロール有害説の発端は1913年まで遡る。ロシアの科学者がウサギにコレステロールを食べさせることによって動脈硬化を起こさせ、動脈硬化の原因と特定した。しかし少し考えれば分かることだがこれは酷い研究だ。草食動物のウサギにコレステロールを食べさせて異常が生じるのは当たり前のことだ。これは長距離走の選手にガソリンを飲ませるような馬鹿げた実験だ。当然この説はすぐに否定されたが、そんな誤った学説を孫引きする人が絶えなかったために俗説として生き残った。
 利害が絡むとデマは拡散力と定着力を増す。製薬会社はデマを利用して大儲けをしている。総合感冒薬などの有害な薬と生活習慣病の薬のような効かない薬こそ彼らのドル箱だ。逆説的な言い方だが、効かない薬ほど儲かる。治療効果の高い薬であればすぐに不必要になるが、効かなければ延々と使われ続ける。
 卵の場合、家計を預かる主婦による苦肉の策だったのだろうが、今や安価で良質な食材だ。鶏卵事業者は科学者などに協力を求めてデマの根絶を図るべきだろう。

箴言集(3)

2016-01-02 09:22:12 | Weblog
 私の理想は簡潔で辛辣な文章だ。上手く伝わらないと思うと長くなる。

 事実を積み上げて結論が得られる。結論を正当化するために事実を探すべきではない。

 高い収支目標を設定して達成できなければ、多くの場合、営業部門が咎められる。このことによって管理部門の地位が相対的に高くなる。

 日本では年齢と喫煙による差別だけが許されている。

 我儘な女と付き合うことは可能だが、我儘な企業に勤めながら我儘な女と付き合うことは難しい。

 「婆抜き」や「婆掴み」と呼ばれるゲームは老母の押し付け合いを模したゲームだろうか。

 セデスはC'est deth(It's deth)と私には聞こえる。

 2%の死亡率を1%に減らした治療法は「死亡率半減」と自慢する。しかし生存率を見れば98%を99%に僅か1%高めるだけだ。

 「あいう」と言った時点で突然死んだ人が1億年後に蘇ればいきなり「えお」と言うだろう。

 人事を尽くさずに天命を待てば必ず失敗する。

 挑んで失敗した場合、反省するから改善されて次回のチャンスに活かされ得る。挑まなければ反省しないから、次回のチャンスも逃すだろう。

 昔は駅のトイレに紙は無かった。常備されるようになったのは利用者に対するサービスが目的ではなく、排水管の詰まりを減らすためだろう。

 夫婦で2,000時間働くなら、それぞれが1,000時間ずつ働くよりもどちらか一方が2,000時間働いたほうが収入は多くなる。

 飲酒運転において、運転力が低下していることよりも、低下していることに気付かないことのほうが危険だ。

 女性器が、相手を拒絶できる位置にあるから人類は進化できた。

 パトカーはパトロール(patrol)をしていなくてもパトカーと呼ばれる。これは最も古いアメリカ製のテレビドラマの1つ「ハイウェイ・パトロール」のせいだろう。

 老人が継続的に運動していれば老化を実感する。私の場合、水泳のタイムが順調に落ち続けることによって痛感させられる。