あえてレビューとして書かせてもらおう。
ISO、もう昔の話ではないのだろうか??
環境ISO・・・ゆえに ISO 14001
我が職場では、対外的なアピールも含め、来る入札物件奪取のために数年かけて取得した。
具体的な数字目標(削減目標)を設け、環境意識を高める。
しかし、毎年続けていると、限界がやってくる。
電気、紙くず、水道、ガス、ゴミ分別化・・・・
削減し尽くすと、次はどうしようかで悩む。
ちなみにエアコンフィルターなど、定期洗浄回数を増やそうとすれば、環境に配慮した様子が外見的にはうつる。
しかし実態は、陰に隠れた水道利用が増えているということに気づかなくなる。
そうやって環境ISOは、突き詰めれば矛盾だらけであることに、誰しもが気づくのだ。
そのうち、現状維持よりちょっとでも環境に優しくなればいいや・・・ってことになり、段々ドーでも良くなってくる。
今のご時世になってくると、入札要件事項から、環境ISOもハズされてきた。
ISOの弱点は、記録保存主義。
それに慣れると慢性化が起こり、ISO独特の事務処理だけ、帳尻合わせをするようになる。
結果的に意識は高まるだろうが、最後は業務優先になる。
景気も左右するだろうが、環境環境とイイながら、誰が得したのか?
ホントに地球のためになっているのかってトコに行き着いてしまう。
個人的には、ISO14000よりエコアクション21の方が、まだ実用的だと思うがのぉ。
なお、品質管理ISO(9001等)も、長くやれば、行き着くところは同じ。
グローバルスタンダードという看板は、所詮ブームだったのかも知れん。
なんといっても
ISOの監査員だって、パートが多くなってきたというし、もはやビジネスとしても苦しくなってきているのではないかと思うわ。
環境ISO中止を命じた上司とぶつかりながら、立ち上げた人の手記?を読んだとき、なんだか悲しい武勇伝を聞かされているようで悲しかったな。
おそらく、ISOに求めるものって、今や昔かと。
時代は流れるもの。
意識させることが出来て、軌道に乗れれば、それでいいっていうルールを作らないと、絶対に会社のためにも社会のためにもならない。
まだ知らない人が多いだろうけど。
ISO、もう昔の話ではないのだろうか??
環境ISO・・・ゆえに ISO 14001
我が職場では、対外的なアピールも含め、来る入札物件奪取のために数年かけて取得した。
具体的な数字目標(削減目標)を設け、環境意識を高める。
しかし、毎年続けていると、限界がやってくる。
電気、紙くず、水道、ガス、ゴミ分別化・・・・
削減し尽くすと、次はどうしようかで悩む。
ちなみにエアコンフィルターなど、定期洗浄回数を増やそうとすれば、環境に配慮した様子が外見的にはうつる。
しかし実態は、陰に隠れた水道利用が増えているということに気づかなくなる。
そうやって環境ISOは、突き詰めれば矛盾だらけであることに、誰しもが気づくのだ。
そのうち、現状維持よりちょっとでも環境に優しくなればいいや・・・ってことになり、段々ドーでも良くなってくる。
今のご時世になってくると、入札要件事項から、環境ISOもハズされてきた。
ISOの弱点は、記録保存主義。
それに慣れると慢性化が起こり、ISO独特の事務処理だけ、帳尻合わせをするようになる。
結果的に意識は高まるだろうが、最後は業務優先になる。
景気も左右するだろうが、環境環境とイイながら、誰が得したのか?
ホントに地球のためになっているのかってトコに行き着いてしまう。
個人的には、ISO14000よりエコアクション21の方が、まだ実用的だと思うがのぉ。
なお、品質管理ISO(9001等)も、長くやれば、行き着くところは同じ。
グローバルスタンダードという看板は、所詮ブームだったのかも知れん。
なんといっても
ISOの監査員だって、パートが多くなってきたというし、もはやビジネスとしても苦しくなってきているのではないかと思うわ。
環境ISO中止を命じた上司とぶつかりながら、立ち上げた人の手記?を読んだとき、なんだか悲しい武勇伝を聞かされているようで悲しかったな。
おそらく、ISOに求めるものって、今や昔かと。
時代は流れるもの。
意識させることが出来て、軌道に乗れれば、それでいいっていうルールを作らないと、絶対に会社のためにも社会のためにもならない。
まだ知らない人が多いだろうけど。