「持病の薬飲み忘れた」6人死亡事故の運転手(読売新聞) - goo ニュース
立場が変わると見方も変わるというニュースで、オレはとても関心が深い。
このブログのタイトルのも付けたように、被害者家族は勿論のこと、クレーン車の運転手やその家族も気の毒に思えて仕方がないのだ。
当たり前だが、事故を引き起こしたからには、ドライバーはその責任を負わなければならない。
そしてこの事故で愛する子どもを失った家族へは、勿論、哀悼の意を送りたい。
つらく悲しい時間が、一生降りかかってしまうけど、しっかり気を持って人生を歩んで頂きたいと思う。
・・・けど、ちょっとだけ言わせてくれ。
本題
オレの身近にも「てんかん」や失神しちゃう発作を持つ者がいる。
こんな病気、重度の差もあるけど、何もなければ普通の生活が出来るし、外見もなんら変わりがない。
だけど、この病気を持っていると、見た目は健常者と変わりが無いのだが、立派な身障者である。
この病気を持つ多くの人たちは、気づいていないひとも含め、カミングアウトすることを嫌がる。
なぜなら、仕事が出来なくなって収入などが限られてしまうからだ。
つまり、一般社会から一線引かれてしまうことを恐れるのだ。
日常生活だって、何もなければ支障がない。
だが、いつ発作が起こるかわからない。
そして、生活だってある。
カラダはイッパシのカラダを持っていて、肉体労働だって頭を使う仕事だって、基本的にどこにも異常がないから、働きたい。
差別無く生きていきたいと願うわけだし、それは、同じ人間として生を受けたのならその権利はある。
---事故を起こした当人は、自身の状態を1回目の事故で気づいていたと思うし、知っていたと思う。
自分が発作持ちであることを。
だから母親も心配したのだろう、前職場には事情も打ち明けていた。
本来は、その時にドロップアウトすべきだったんだな、健常者の世界から。
親は、そんな子どもを生んでしまって、子どもに申し訳ないと強く思っていると思うし、責任を感じていると思う。
親は、生まれてくる子供に対して、五体満足健康であるよう祈っている。
なにより、生まれてきた子ども自身が、生活に支障があるような障害を持って生まれてくることなど望んでいない。
だが生まれたからには、生きなければならない。
本来は、こういった事故もあるからカミングアウトしなければならない。
カミングアウトすれば、通常の一般社会で生活できなくなるし、多くのことが制限される。
クスリを飲んで発作を抑えながら、一般社会と接していくべきなのか選択に迫られるが、そのほとんどの人間は後者を選ぶだろう。
そんななか起きてしまった第二の事故。
クスリで必ず発作は押さえられるなら軽度の病気だが、症状が進んだり重度が上がると押さえられなくなるのが一般的。
もしかしたら、キチンとクスリを飲んでいてもいつかは起きた事故なのかも知れない。
本人を含め、発作なんか予測できないのだから。
国や国民の方々は、この「てんかん」や不慮の失神を起こす発作を持つ病気について、認知度やその理解度が低すぎる。
こうした事故をきっかけに・・・・というと、この事故で家族を失った方々が深い悲しみに暮れるだけとなってしまうので、国がもっと全力を挙げて、この病気に苦しむ人たちへサポートしていく制度を整えていって欲しいと願う。
国には、生まれてきた全ての人を平等に扱う権利がある。
だから、このニュースでドライバーの非だけを責める感情だけは、どうか押さえて欲しいと思う。
彼もその母親も、普通の人間として生きていきたい(生かせたい)だけだった。
オレも人間、遺族の方へは、そんなことより返して欲しいと願う気持ちだって理解できることを申しそえる。
編集後記
この事故、どんな決着になるか注視しているが、もうこれ以上は語らないこととする。
だけど、今警察では「発作を抑えるクスリ」を服用していたか調べているというのが気に掛かる。
本人は飲み忘れたと言っているらしいが、前日の服用分が効いていた可能性だってある。
そして仮にクスリを飲み忘れていなければ、彼は罪に問われないのだろうか?
なんか論点が違うような気がする。
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