【GoTo徳島沖縄の反動】
まず過去ログで報告した順番に“その後”を語ろうと思うのだけど、まずは10月中旬に敢行した飛行機旅の件から。
徳島での一件(ひとくだり)と帰りの道中の三件が最悪だったということは、過去ログのとおりだったけれど、そのほかに関してはその最悪な出来事のせいですっかり霞んでしまった。
しかし、沖縄のホテルでは突然の雨でズブ濡れになってしまった自分へホテルスタッフさんから気遣いを頂いたこと、沖縄で二軒目に繰り出した先のお店での食事環境などいい思い出も勿論ある。
なので、それなりに帰りの道中のクダリさえなければ、自分が描いていた以上の旅だったはず(笑)
振り返ればそうしたいい思い出に浸り、旅ロスからの次回新規旅行計画立案へという流れにしたかったのだけど・・・
まだモヤモヤが抜けずそうした気分になれない自分がいる。
【父の体調】
2週間+1日で父が入院先から帰ってきた。
体調は、特に改善した様子もなく「無駄に9万円払ってきた気がする」とオレにボヤく父。
毎日点滴を1本打ってCTスキャンをボチボチやって6人部屋に放り込まれての15日だったというから、赤十字病院などと比べるとベラボーに高額な負担金だ。
いくら返ってくるか知らないがショッパイ生命保険にも入っているものの、やはりタケノコ病院へ訪れた結果、即入院という顛末は父もオレもガックシきた。
体調もさほど変わらずで9万円って、膨大なリスクだったが、殺されずに帰ってきたと思えば・・・と父と話しているが笑い話にはならないよな。
行く病院って本当に大切。
命を預けるんだったら、せいぜいヤブ医者以上の病院へ行きたいわな。
【ワタクシの体調】
徳島沖縄両行の直前にあたるまでの前4週間ほど、整骨院へ大枚払って腰痛の治療をしていたんだよ。
ところが、まったく一向に回復への兆しは一切見えなかった。
20年以上前にやっちまった不注意の影響もあって椎間板に障害があることは分かっていたものの、段々様子が悪くなる一方だったから東洋医学を捨て西洋医学の門をたたくことにしたんだ。
ただMRIを所有する病院って近所には大病院しかなく、コロナの関係で外来の直行は結構断られがちなんだよね。
だから、隣町の脳神経外科専門の町医者へ相談したら、検査をやってくれることになったんだ。
だんだん悪化する腰痛は正直、もうこの痛みと一生付き合わなければらならいのかとまで覚悟していたんだ。
だから、旅行は痛み止めをジャブジャブ飲みながら過ごそうとまで計画していたほどだったからね。
つまり、その町医者で検査をして大病院を紹介してもらって最悪手術するところまで覚悟していたから、MRIの検査結果なんか期待していなかったんだわ。
腰が痛すぎてMRIの検査台に乗ることでさえ苦痛だったし、25分をひたすら静止して耐えるというのがとにかく地獄の時間、さらに検査後も一人じゃ起き上がれないくらいの状態で待合室に戻ってきた。
その後、もう涙も出ないくらいの激痛のまま腰を引きずるようにその後診察室へ行き、Drのコメントを聞き入る。
「nobizouさん、即手術という状態じゃなかったよ。ちょっと椎間板が飛び出しちゃっているだけみたいだねぇ・・・」
という診断結果をオレに伝えてきた。
さらに「ボルタレンクラスじゃなくてロキソニンクラスの痛み止めを出しておくから」と告げられて診察が終わった。
自分も「そうでしたか、古傷がわずかに悪化した程度だったことを確認出来て安心しました。」といってリハビリ後、病院を出たんだわ。
今思えば、医師から結果を告知されてから、ほぼ痛みを感じずに行動していたんだなぁと振り返る。
今現在も気が向いたら、整形外科でリハビリを行う程度で、あの時の痛みは一切ないまま過ごすことが出来ている。
あの痛みは何だったのか?
診断結果を聞いてから、スタスタと歩けていたんだから不思議という言葉以外に見つからない。
メンタルだったんだろうねぇ・・・
かつてのコロナ騒動もそうだけど人間って不思議ですわ。
(台風一過でビンビンに晴れた秋の徳島での出来事は、わずかな滞在時間だったけれど未だ脳裏に強く刻まれている。また旅行に行きたいという気持ちは、少しずつだが戻ってきている気がする。でも、この時の旅行で生じたダメージはちょっと引きづりそうなんだな。)
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