美山かやぶきの里を出たのはまだ正午前、せっかくなのでわち山野草の森に寄って帰ることにしました。
その途中で見かけた「日本最古の農家 石田家住宅」の看板。
ついふらふらとそちらに曲がって、すれ違いのできない狭い道を行くこと数分。
そこにその住宅はありました。
もうちょっと全体をちゃんと写せって感じですよね。帰ってから気づきました。
で、入り口に貼られた間取りを確認しながら中を見学します。
「にわ」と書かれた土間がこちら。
土間から靴を脱いで中に入ります。
ここが「だいどころ」です。
囲炉裏が切ってありますね。
畳敷きの座敷が「おもて」です。
間取り図では板間になっていましたが、横の「しもんで」も畳敷きでした。
それにしても暗いです。外の明るさとのコントラストがきつく、写真が真っ暗・・・
家の中を一通り見て外に出ると、ガイドの方?が近寄ってきて説明してくださいました。
この石田家住宅は、「日本最古の農家」ということで重要文化財に指定されています。
「美山ナビ」に以下の説明がありましたので、そのまま引用しますね。
(ガイドさんの説明もほぼこの内容でした)
"昭和42年の府の民家調査の際、慶安5年(1652年)の祈祷札が発見され、その後、昭和48年に解体修理が行われ、創建当初の姿に復元されました。その時、桁の継手に墨書により「慶安三年三月十一日」の明記されているのが見つかり、日本で最も古い遺構として貴重な家と評価されました。”
ということで、建築年のエビデンスのある現存する最古の農家なんだそうです。
その継手の場所がこちら。
江戸時代の初期である1650年の姿がそのまま残っているのかと思ったら、さすがに違いました。
昔のままのところと、補修したところが混在し、見たら分かるそうです。
畳敷きになっていた「おもて」を外から見るとこんな感じで、ここだけ障子がありました。
それにしても、昔は木製の戸を閉めたら、中は漆黒の闇になったでしょうね。
夜は寝るしかないというのがよく分かりました。
植物好きのなつみかんとしては、一番印象に残ったのがやはりこの屋根です。
ぱっと見に、少し色が違う層になっているのが見てとれると思います。
こちらは裏手に回って写した写真です。
手前にはナンテンがあったので、こちらが鬼門なのかもです。
で、三層の屋根の謎ですが、ガイドさんの説明を伺ってよく分かりました。
一番外側が茅(ススキなど)、真ん中が藁、一番内側は丈夫な麻幹になっているそうです。
よく出来ていますね~
かやぶき屋根は、中に人が住んでいるときには50年くらいもったそうです。
それはかまどの煙でいぶされ、乾燥したからなんだとか。
それが今では湿気てしまって、10~20年くらいで葺き替えないといけないらしいです。
維持するのは本当に大変ですね。
ということで、築400年近い農家、感心することばかりでした。
その後、途中で見かけた神社に立ち寄り。
なんだか由緒ありげな、ちょっとこわいような村の神社の風情にドキドキ。
拝殿の奥に本殿があり、「大原大明神」の額。
神社のご由緒が書かれた看板などはありません。
この辺りの氏神さんなのでしょうか。来た道とは別の道から帰路につくと
大原神社という石碑がありました。
後で「美山ナビ」で調べてみたら、
“大原神社は飛鳥時代、五穀豊穣、安産の神 伊邪那美命(いざなみのみこと)を祀るために建てられた丹波六社の一つです。春秋には例祭があり、春の大祭(4月20日ごろ)には「お砂」を受けて苗代にまく風習があります。”
とのこと。とても古いご由緒のある神社でした。
この後は、いつものわち山野草の森に行きましたが、その様子はまた明日・・・
【撮影:2024/9/23 】