北朝鮮の水害現場はどこもトラックやショベルカー…
「重機なし」の報道も形無し(1)
鴨緑江(アムノッカン)は無心だ。「7月27日、北部国境地帯と中国側の地域は記録的な豪雨に見舞われ、鴨緑江が危険水位をはるかに越えたことで、地形地物の見分けがつかないないほど深く浸水した地域」が発生したとの労働新聞の報道があったが、川はやはり何も語らない。後始末は人間の仕事だ。浸水被害が発生して1カ月が過ぎたが、雲峰(ウンボン)、望江楼(マンガンル)、文岳(ムナク)、渭原(ウィウォン)、水豊(スプン)、太平湾(テピョンマン)の各ダム(上流から順に)の、朝中が共同運営する鴨緑江の6つの水力発電所は、依然として膨大な量の水を水門の外へと流している。持ち主を失った片方の靴のように、あらゆる「暮らし」の跡が激しい流れに押し流されて西海(ソヘ)へと下る。
鴨緑江は、貯水能力が昭陽湖(ソヤンホ)の4倍を超える水豊湖(スプンホ)を抱える朝鮮半島で最も長い川(803.3キロ)だ。南北を分断する軍事境界線(休戦ライン、248キロ=155マイル)の3.2倍以上の長さだ。それだけ氾濫被害も長い領域にわたって広がらざるを得ない。金正恩(キム・ジョンウン)朝鮮労働党総書記兼国務委員長が7月28日に、平安北道新義州市(シンウィジュシ)と義州郡(ウィジュグン)の「水害被害現場」を訪れ、「平安北道と慈江道、両江道の鴨緑江沿岸の一部の郡内地域を特急災害非常地域と宣言」したのもそのためだ。鴨緑江上流の両江道三水郡(サムスグン)から慈江道を経て、下流の平安北道新義州市下端里(ハダンリ)まで、沿岸に住む人々は水害を乗り越えようと格闘している。
■鴨緑江沿岸は水害復旧作業中
下端里は義州郡の西湖里(ソホリ)、カンウン里と共に「水害被害が大きい地域」として労働新聞に掲載された場所だ。鴨緑江の中州、威化島(ウィファド)にある。李成桂(イ・ソンゲ)が朝鮮建国の決定的契機とした「回軍」の舞台だ。「党から特別派遣された別動隊」と呼ばれる「白頭山(ペクトゥサン)英雄青年突撃隊」による浸水住居・建物撤去作業の真っ最中だ。対岸の丹東江辺公園からは、数百人の作業員とショベルカーやトラックなどの複数台の重機が忙しく動いているのが一目で分かる。暑さのせいで上半身裸でヘルメットもかぶっていない複数の若者が、洪水で屋根が流された2階建ての建物の上にのぼり、大きなハンマーで壁を壊している。
鴨緑江下流の於赤島(オジョクト、平安北道義州郡)は、洪水で村が廃墟となった。戦争廃墟のように家々が破壊された。ここも「突撃隊」による撤去・復旧作業の真っ最中だ。幅10メートルにも満たない鴨緑江を挟んで於赤島と向かい合っている丹東の虎山長城に登ると、廃墟となった北朝鮮の村とともに巨大な青いテント村が目に入る。「人民大衆第一主義決死貫徹」というスローガンの掲げられたテント村は「突撃隊」の仮住まいとみられるが、平壌(ピョンヤン)へと避難していない被災者も暮らしているかどうかは確認する術がない。虎山長城は高句麗の古城「泊灼城(パクチャンソン)」跡に建てられた山城で、中国が「万里の長城の東の起点」と主張する複雑な歴史を持つ場所だ。
両江道の金亨稷郡(キムヒョンジックン)には平壌から派遣された「中央機関党員大隊」が投入された。大型トラック6台、ショベルカー2台、トラクター1台を含む多くの重機が川辺の道路に並び、多くの作業員が行き来しているのが一目で分かる。「金亨稷(キムヒョンジク)」は金正恩委員長の曽祖父だ。政治的象徴性の強い地域だ。金亨稷郡の羅竹里(ラジュンニ)の川辺では、数十人の突撃隊員が住宅再建工事に使用するレンガ作りに取り組んでいた。
すべてが金正恩委員長による「今日の災害を地方開化の分水嶺に変えよう」、「全国家的な集中力と全人民的な動員力」を発揮して「農村の都市化、現代化、文明化の実現の手本、教科書的な実体にしよう」との督励に従った「実行」の動きだ。金委員長は、水害復旧への参加を志願した青年が「30万人」に達し、平安北道だけでも「13万人あまりの人民軍と青年たち」が投入されたと発表している。
国策研究機関の北朝鮮専門家は、「鴨緑江沿岸の奥地の各水害復旧現場にトラックとショベルカーが入って作業している様子は驚くべきものだ」とし、「北朝鮮当局の危機管理能力と行政力は、大きく回復しているようだ」と述べた。「重機がないためシャベルとつるはしで作業をおこなっている」という正体不明の北朝鮮消息筋の主張に頼った韓国の有力放送局の「独自報道」も形無しになった。(2に続く)
北朝鮮の水害現場はどこもトラックやショベルカー…「重機なし」の
報道も形無し(2)
(1の続き)
■苦痛は分かち合い難く、暮らしは厳しい
鴨緑江(アムノッカン)は朝中国境に時には豊かさを、時には苦痛を与える。「自らそのような」自然のひょう変を幸または不幸にするのは人間、より正確には社会だ。苦痛は分かち合い難し。江辺公園では丹東の市民たちが普段通り朝の体操をしているが、対岸の下端里(ハダンリ)の壊れた家は、強い夏の日差しの下でも色を失ったままだ。鴨緑江断橋(タンギョ)の下から出る遊覧船は「指針」に則り、普段とは異なり威化島(ウィファド)の方へは行かない。朝鮮戦争での米軍の爆撃で切断された断橋は、習近平時代の「虹色観光」(社会主義愛国観光)の主要舞台だ。船着場の商人は「北朝鮮の要請があったと聞いている」と語る。被害を見せたくない北朝鮮の要請が先なのか、隣人の苦痛を見せ物にしないという中国当局の配慮なのかは分からない。
苦痛を分かち合うことの難しさは、同じ共同体の中でも違いはない。水豊湖(スプンホ)の放水で倒れた国境の鉄条網を起こそうと必死になっている人民軍のそばで、川に飛び込んで投網をする人たちの姿が目に入った。慈江道満浦市(マンポシ)北の文岳洞(ムナクトン)の川辺の野では、北朝鮮の数十人の農民が、降り注ぐ雨の中で秋の種まきに忙しい。暮らしは厳しい。
■大都市と農村の開発は続く
にもかかわらず、鴨緑江沿岸の北朝鮮の風景の変化は大きく速い。新義州市(シンウィジュシ)の円筒形をした三つ子の住商複合マンションの間に2棟が新たに建つなど、新築の高層ビルが多数目につく。両江道の道庁所在地である恵山市(ヘサンシ)には「今年に入って20棟あまりの高層ビルが新たに建てられた」と、対岸の長白県の商人は語る。
昨年秋、三水郡(サムスグン)の川辺の農村では、「突撃隊」による崩壊した平屋建て長屋の撤去作業が行われていたが(2023年10月4日付ハンギョレ1、4、5面)、いつの間にか3、4階建ての多くの農村文化住宅が新たに建てられていた。11カ月での変身だ。三水郡は、非常に困難な境遇に追い込まれたことを意味する「三水甲山(カプサン)に行こうとも」という比喩を生んだ朝鮮半島の奥地中の奥地だ。平安北道定州(チョンジュ)生まれの詩人の白石(ペクソク)が「派遣」の名のもとに配流され、協同農場でつらい労働をさせられた地域でもある。
鴨緑江沿岸のすべての地域が急速に変化しているわけではない。新義州や恵山のような大都市と沿岸の農村には新しい建物が急速に建設されているが、満浦市、金亨稷邑(キムヒョンジグプ)、金貞淑邑(キムジョンスグプ)のような中小都市には目立った変化がない。韓国のイ・ジョンソク元統一部長官は、「金正恩(キム・ジョンウン)式のセマウル運動で都市と農村の格差が縮まっている一方で、大都市と中小都市との間の発展の偏差が拡大することもありうるだろう」と指摘した。
■水害と農村開発のはざまで
鴨緑江沿岸の北朝鮮の農村は、「古い家を壊して新しい家を建てる」という希望と、残酷な水害という絶望のはざまのどこかにある。中国吉林省臨江市の望江村と鴨緑江を挟んで向かい合う慈江道中江郡(チュンガングン)の農村は特にそうだ。7月下旬の鴨緑江の氾濫では川辺にあった大木が流され、大型の施設(青い屋根)と多くの住宅が破壊された。2023年9月下旬と比べると、原色の村の風景は色を失っている。写真中央左上のオレンジ瓦の10軒あまりの新しい家と、村の外郭の4階建ての新しい家の存在は、この村が再開発のさなかに水害に襲われたことを証言する。国境地帯の北朝鮮の村を長きにわたって観察してきたある北朝鮮研究者は、「この村は鴨緑江沿岸の北朝鮮の現実、変化、指向を見せてくれる象徴的空間」だと語った。中江郡は朝鮮半島で最も寒い地域だ。この村の人々が、冬の到来前に新しい家を建てて寒さをしのげるかは知る由もない。村の左の砂地では、住宅用のレンガを作る人と重機が忙しく動いている。金正恩委員長は「(復興)住宅の建設が終わり、生活が安定するまで2、3カ月」が必要だと述べている。(3に続く)
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