フリードリヒの日記

日常の出来事を、やさしい気持ちで書いていきたい

お茶とコーヒー

2009年02月19日 19時00分23秒 | 日々の出来事・雑記

 阿川佐和子がラジオでコーヒーを飲むとき黙って飲むが、お茶を飲むときは必ずアーと声を出すと言っていた。

 確かにお茶を飲むときは、ほっとしたような声を出す。

 多分、味の問題ではないと思うから気持ちの問題なんだと思う。

 その話を聞いていたときはただ笑っていたが、まじめに考えると結構奥が深いかもしれない。

 そういえば温泉に浸かるときも声が出るなぁ。

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判断の公平性・中立性

2009年02月19日 16時13分41秒 | 社会・政治・思想哲学

 いろんな人がいろんなことを言う。
 個人的な意見なら極端な発言も、まぁ、許される。だが、公的な立場にある人の発言には、中立・公平さが求められる。

 
 しかし、そもそも公平な発言というものはありうるのだろうか。

 例えば、TVのコメンテーターはいろいろなことを言うが、その発言は番組やスポンサーの意向に反しない範囲でなされる。
 番組側には誰を使うかの選択権がある。スポンサーがお金を出している以上、スポンサーの利益を侵害する発言はできない。とすると、その発言は性格な意味では、公平とは言えない。

 他にも例がある。
 今回のサブプライムローンの問題の格付け会社である。今回の金融危機は、格付け会社がサブプライムローンを公平に判断しなかったことから起こったともいえる。
 格付け会社も、公的な機関ではなく、営利で事業をおこなっている。だから、なかなか厳しい審査ができない。審査を厳しくすれば使ってもらえないからだ。
 そのような状況では、中立性は担保できない。
 
 もう忘れているかもしれないが、日本のもマンションの耐震性の審査も同じようなものだった。

 これらの問題は資本主義に内在する問題である。利害が絡む以上、判断の中立性は、保たれない。
 
 では、どうすればいいのか。
 それは、いろんな意見があることを前提として、受け取る私たちが、中立に判断することで、偏った判断を避ける。
 だから、一方的な情報だけでなく、多種多様な情報を仕入れるべきである。その中で自分の責任において判断する。
 その方法が、一番いいように思う。
 
  

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