フリードリヒの日記

日常の出来事を、やさしい気持ちで書いていきたい

ディッケンズの時代

2009年02月23日 23時24分30秒 | 日々の出来事・雑記

 資本主義のカウンターパートとしての共産主義がダメになってから資本主義がどんどん自己肥大していった。

 強欲資本主義に歯止めをかけるために、共産主義もそれなりの意味があったのは確かだ。
 

 最近、共産党員が増えているらしい。そして、小林多喜二の蟹工船が売れている。

 石原知事が共産党はカレーの福神漬程度の割合で十分だといった。

 私もそう思う。

 産業革命の真っ只中、19世紀はじめにマルクスはドイツで生まれた。彼はロンドンで資本論を書く。

 一方、同じ頃ディッケンズはイギリスで生まれる。

 マルクスは資本家の生み出す利益は、労働者の労働を搾取することで発生することを暴いた。

 ディッケンズは搾取される労働者だった。ディッケンズの小説はお涙頂戴で文学的価値が低いと思われている。

 しかし、私はそうは思わない。資本論と変わらない価値があると思っている。

 過酷な状況の中で人間がどう生き抜くべきかの啓示を与えてくれる。

 イギリスでは今だによく読まれている作家だ。

 ただ、ちょっと訳が古いので読みにくい。誰か新しく訳してほしい。

 

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続・猫ちゃん

2009年02月23日 01時53分05秒 | 日々の出来事・雑記

 昔、付き合ってた子が一人暮らしは寂しいというから、ペットショップで猫を買ってきた。

 ちっちゃくて可愛いシャム猫だった。

 最初はプルプル震えていて、蹴飛ばすと死にそうなくらい小さかった。

 部屋につれてきた初日はおねしょをした。

 俺があんまり猫をかわいがるものだから、彼女は猫に嫉妬するくらいだった。

 かわいくてかわいくて仕方がなかったので、頭を撫でる手におもわず力が入ってしまって、猫の頭がくねくねとして地面につきそうなくらいになってしまう。
 
 そうすると猫は俺の気持ちも知らずに、スタコラサッサとどこかに逃げてしまうのだった。

 猫が後ろ足で首筋を一生懸命掻いていると、その首筋に手をあてる。猫は掻いても掻いても痒さがとれないので狂ったように俺の手をまた掻く。
 しかし一向に痒さはとれない。
 俺はゲラゲラ笑う。

 夏場、暑そうにしていたから、はさみで猫の毛をジョキジョキ刈ってたら、猫なのに虎刈りになってしまったよと、あははと笑っていたら、彼女にめちゃくちゃ怒られた。

 猫は朝私が起きなければいけない時間をちゃんと知っていて、ぺろぺろと顔をなめて起こしてくれた。
 なかなか賢かった。

 彼女と別れるとき、猫と別れるほうが辛かったくらいだ。

 すごーく昔だからもう猫はもう死んでしまっただろう。
 
 いま、彼女が何をやっているのか知らない。
 だけど、彼女の愛情にあふれる丁寧な猫の育て方から推測するに、いいお母さんになってるんじゃないかな。
 そうだといいけど。

 時は静かに流れる。

コメント (1)
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