フリードリヒの日記

日常の出来事を、やさしい気持ちで書いていきたい

変性意識と自己保存本能の低下 1

2013年09月16日 23時45分58秒 | 社会・政治・思想哲学

 今回のブログの内容については、何の価値判断もしていないことをはじめに言っておかなくてはならない。
 自己保存本能が低下することは良いことでも悪いことでもない。事実としてあるというだけである。
 なぜ最初にこのようなことを言うかといえば、自己保存本能を低下させることは、自分の命を危険に晒すということだからである。
 それを美化することも危険だし、否定することも良くないだろう。人間の本能の中に組み込まれているという事実だけを示したいと思う。

 東日本大震災では、7割の人間が自宅から逃げなかったそうだ。それについては、NHKスペシャル「巨大津波 その時ひとはどう動いた」で説明されている。
 その理由はいくつかあるが、一番多かったのは、正常バイアスというものである。多少の異常事態が起こっても、それを正常の範囲内としてとらえ、心を平静に保とうとする働きのことをいう。簡単に言うと、「私に限っては大丈夫だろう」という根拠ない自信である。
 もう一つは、愛他行動というものである。今日のテーマと関連しているのはこれである。危機的状況に直面すると、自分の命が危険に晒されても、他人を助けようとする行動心理である。高齢者の多かった地区では、多くの人が高齢者を助ける過程で津波に巻き込まれ命を落としたということである。
 このように人間には自己保存本能を低下させ、命を投げ出す場合がある。例えば、太平洋戦争における特攻隊である。

 ところで、自己保存本能低下の前提となる変性意識について、さまざまな例をあげて考えてみたい。
 この例は、弱腰矯正読本という本に書かれている本当の話である。気分の悪くなる記述があるため、嫌だなぁと思ったら読み飛ばしてほしい。
 ただ、ひとつだけ言っておくと、この例を読んで気分が悪い人は、自己保存本能が優位にある人である。平気だという人は変性意識状態になりやすい人だといえる

 
 <やってみたいという願望のケース>
 1 長い階段やエスカレーターを登っていると、後ろから誰かに呼ばれているような気がして、飛び降りたくなってしまう。
 2  自転車で坂道をノーブレーキで走っている時、そのまま最後までブレーキを踏まずに、曲がり角の堀にぶつかって行きたい。
 3  ストーブの上の焼けている所、扇風機、ミキサー、沸騰したお湯に指を入れてみたい、触れてみたい。
 4 走ってくる電車の先頭に頭を差し出して、頭をぶつけてみたい。
 
 <実際にやってみたケース>
 1 痛いだろうなぁと思った次の瞬間、クギをめがけて足を下ろしてしまった。靴の底を突き破り、土踏まずにクギが刺さっていた。
 2  小学校の頃、父の自転車の後ろにまたがっていた。後輪に目が止まり、そこに足を入れたくなった。気がつくと、怒った父の顔とずるむけになった私のかかとから血が流れているのが目に入った。痛くはなかった。
 3 まだお下げ髪にリボンをしていた頃、お兄ちゃんの彫刻刀をこっそり借りて、板の木の模様に沿って削ろうと思っていたところ、何を思ったのか彫刻刀を自分の太ももに刺してしまった。痛みもなくそのまま垂直に刺したままにしていたところ、母がそれに気づき騒ぎ出した。それからやっと痛みがやってきた。
 4 小学校ニ、三年の頃、私は坂の下で遊んでいた。坂の上からオバサンの乗っている自転車が下りてきた。それを見ながら、もしこの自転車の前に女の子(自分)が飛び出してぶつかったら、オバサンは驚き動揺するだろうなぁ、でも痛いだろうなぁ、とおもった瞬間、ふらっと足が出て、見事にぶつかった。周りの景色は逆さまで、思った通り痛かったが、でも妙にワクワクし、予想通りのオバサンの動揺に満足していた。
  
 この著者は大学で教えていて、講義の受講者は毎年2千人前後あるそうである。その受講者を対象に、このような変性意識状態の事例を、9年間ほど続けて収集している。 この収集された事例を元に考察すると、変性意識状態になる基本パターンが浮かび上がってくるという。
 偶発的認知型と呼ばれるパターンである。
 1 偶発的認知 まず、何かをふと見てしまう(気づく、感じる)
 2 注意集中 それをじーっと見てしまう。
 3 誘引反応 そして、吸い込まれるような気持ちになる(目が離せない、釘付けになる)
 4 統制解除 日常生活を支障なく送れるような意識が低下していく。用心深さが薄れる。
 5 意識変容 眩惑感、浮遊感、恍惚感、解放感、一体感、溶解感、高揚感、全能感、が生じる。 
 6 衝動発現 その時に、ふらふらっと何かをしたくなる、もしくはしてしまう。
 7 日常帰還 そして、ハタっと我に返る。 

 この状態の特徴は、日常の理性的な判断ができなくなり、非日常的なわけの分からない何かに取り憑かれてしまう。そして、その状態のときは、恐怖が消え、全能感が生まれる。
 
 長くなってきたので、続きはまた後で。

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