Apple社 1976年 すべてはスティーブ・ジョブズのガレージからはじまった。このようにいわれると、MACやipodをつくった会社の歴史について知りたくなる。
Googleの会社理念はDon't be evil 邪悪になるな、である。ここにもまた何らかのストーリーがありそうである。
人が時間の流れを意識したときから、必然的に物語を生み出すようになる。フランス語では物語と歴史は同義である。
英語では、historyは物語という意味もあり、その語の中にstoryが含まれている。
自分が何者かは現在の一点からは判断できず、どの地域で、どのように生まれ、誰に育てられ、どのような環境で育ったかすべて総合的に判断しなければならない。
自分という人間がなぜこのような性格で、どうしてこのような考え方をするのかを徹底的に探っていけば、どうしても自国(地域)の歴史というものにぶち当たってしまう。
生まれた地域の気候、地形が食べ物をきめ、また独特の言葉や風習を生み出す。私という自己はいやおうなしにその流れの中に巻き込まれている。
犬や猫も、時間を多少意識できるだろうが、長いスパンでものを考えることはできない。100年、1000年、1億年、という時間を観念できるようになってから、人間は歴史=物語を作りださなくては、生きていけない動物になってしまった。
そして、人間が作り出した物語が強固で繰り返し繰り返しあらわれると、そこから逃れられなくなっていく。旧新約聖書、コーランは今も人々に強烈な影響をあたえている。古事記もそうかもしれない。
もちろん、物語は人間を精神的に強くする側面がある。今いった宗教や誇り高い国家の歴史観、優れた功績のある家系などである。
冒頭でもちょっと例を出したように、会社の経営者が社員一人一人が誇りのもてる共通のストーリーが提示できれば強力な集団が形成できるだろう。
日本について考えれば、誇りのもてる国家観を、さまざまな人が提示しているが、必ずしも成功していない。政治家も言葉をうまく使えていない。
個人にとっても、自分固有の物語をうまく紡ぎ出せれば人生の強力な武器になる。
自分の人生を物語によって作り変えていけばいい。
会社が倒産して借金10億円、女房に逃げられ、首を吊ろうとしたとき、ちょっとまてよ、この状態から復活したらかっこいいなあと自分で将来の物語を書いていくのだ。
悲惨であればあるほど物語は劇的になる。そう考えれば、自殺なんてばかばかしくてやっていられない。
ただ、物語には恐ろしい副作用がある。
例えば、カルト宗教や振り込め詐欺のようなよくできたいんちき物語だ。
どうしてあんな話にひっかかるんだと思うが。当事者になると、意外と巧妙に作られている。人間はその物語の流れにはまってしまうと、後戻りできなくなる。
物語の世界は、リアルな現実世界ではなく脳内の仮想世界である。しかし、現実の世界以上に、私たちの生活を支配する。