アンティマキのいいかげん田舎暮らし

アンティマキは、愛知県北東部の山里にある、草木染めと焼き菓子の工房です。スローライフの忙しい日々を綴ります。

本「日本残酷物語5」

2025-01-11 17:17:18 | 映画とドラマと本と絵画

  第5巻目、読み終えました! 江戸時代から第二次大戦後に至る庶民の歴史。タイトルは「近代の暗黒」です。

  「急激な「近代化」は、その真っ只中に巨大な暗黒を抱えて進んだ。都市のスラム、使い捨ての女工たち、タコ部屋や坑内の重労働・私刑・死・・・・  その暗黒を生きた人々。忘れられた私たちの隣人の多様な生」

   昭和11年、秋田県の警察が調べたところによると、この年故郷を離れた女性の数は2824人。「総数の五十五パーセントが女工であり、十八パーセントがいわゆる「醜業婦」」だったという。最初から「醜業婦」つまり、芸妓、娼妓、酌婦、女給として村を出て行った女性もいるけれど、女工として離村した後、過酷な仕事がつらくて転落していった女性も多いとのことです。

   当時の女工の就職先はほとんど繊維業界。明治30年代には、24時間操業が当たり前になっていて、女工たちの労働時間が18時間、というところも。寄宿舎併設の工場がほとんどだったので、徹夜業も簡単に課すことができました。「募集人の甘言」によって村から連れてこられた女工は、当初から支度金、旅費と称して借金を背負わされて就業。あまりの過酷さに逃亡を試みても、つかまって「懲罰を受けるものが多かった。殴打されたり、裸体にして工場内をひきまわされたりする者もあった」。

   都市の片隅で貧困にあえいでいた失業者達は、やはりおなじく「募集屋」によって「タコ釣り」され、北海道の鉄道敷設工事に駆り出されました。彼らは「商家を追われた徒弟だとか、都会にあこがれて離村した農民だとか、苦学生といった、ほとんどが土木労働の経験のない失業労務者」でした。「募集屋」は「誘拐」も辞さず、自暴自棄になった酔っぱらいを身ぐるみ剥いでどこかの家に放り込み、監禁する。そして人数が集まると汽車に乗せて北海道へ。彼らを待っていたのは覚えのない借金。それを警察官と「監獄部屋の幹部」たちによって恫喝され、「タコ部屋」へ送り込まれます。

   「(タコとは)これはすなわち自分で自分の身を食い詰めるタコの習性からきた名称で、おのれの不了簡や一夜の酒食で骨身を削る苦役の世界へ落ち込んでゆく、その境涯があたかもタコの習性に似ているというのである」

   「北海道の道路網はもちろん鉄道の敷設、築港、治水、灌漑工事、または鉱山開発にいたるまで、官営、民営を問わあらゆるず土木工事は、監獄部屋の人夫たちの血と汗、酷使と虐待と死傷の上になしとげられたのである」

   炭鉱夫の話もすさまじい。当時の産業の根底を担うエネルギー源だった石炭。その石炭を掘る仕事もまた、最下層の人たちが担っていました。九州では、親戚に炭鉱夫がいることは恥とされ、ひたかくしにしていたという話も載っています。

   小作争議、米騒動などの詳しい記録も、初めて知りました。在日朝鮮人と結婚したため、戦後だいぶたったっというのに、身内の結婚式に列席させてもらえなかったという女性の話も。

   数か月かけてやっと読了できた「日本残酷物語」。つい60~70年くらい前までの日本の姿を活写していますが、「タコ部屋」の話には今問題になっている「闇バイト」を、女工の過酷な労働は、ブラック企業の存在を思い出させます。決してなくなったわけではない「残酷」な「物語」。いまも私たちの一見不自由のない生活のすぐそばで、どんな悪質な事態が進行していることか。そう思うとぞっとします。

 

   


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