対価があることによって、モノ・サービス等の提供者、つまり、販売側は、モノ・サービス等を継続して販売したり、拡大または縮小して販売したりします。
また、モノ・サービス等を改善したり、新たなモノ・サービス等を考えたりします。
この場合、モノ・サービス等の量、内容等が変化すると同時に対価も変化します。
販売側が勝手に変化させる訳ではなく、モノ・サービス等の受領者、つまり、購入側のモノ・サービス等に対する評価、行動を見て、変化させるのです。
販売側が、モノ・サービス等を変化させるのは、対価を支払って、モノ・サービス等を購入してくれる顧客のためです。
顧客のために、良いように、モノ・サービス等を変化させていくのです。
無償の提供の場合、モノ・サービス等の受領者は、購入側ではありません。顧客ではないのです。
テレビの例で見てみます。
テレビの場合、モノ・サービス等の受領者は、顧客ではなく、視聴者なのです。
顧客は、広告を出してくれる企業・政府等です。
だから、テレビは、顧客である広告を出してくれる企業・政府等にとって都合がいいように、テレビの内容を決めているのです。(都合が悪い情報は放送しないようにしているのです。)
NHKは、受信料を徴収していますが、これは、実質、対価ではないと考えます。公的負担、一種の税金のようなものと考えるのが合理的です。
国民のためではなく、国民のためように見えて、実は、政府のための放送をしているのです。
政府は、国民のための放送を流すのではないのか、という疑問はあると思います。
長くなりますから詳しくは書けませんが、答えは、「はい」と「いいえ」の両方です。
テレビは、多くの国民の生活の一部になっています。
情報を入手する媒体としてのテレビは、多くの国民に大きな影響を与えています。
そして、多くの国民は、テレビの情報が正しいものとして、受け入れて、判断の際の重要な情報源としているのです。テレビの視聴者である多く国民は、いつの間にか、特定の考え方に誘導されています。
一つの例をあげれば、新型コロナワクチン接種の危険性についてです。(他にもあります。)
テレビ以外の情報、例えば、ホームページ、ユーチューブ動画、エックス、雑誌、書籍等では、新型コロナワクチン接種の危険性について、情報発信がされています。
ただし、それは、日常生活の中で、自然に入って来る情報ではなく、新型コロナワクチン接種の危険性の情報を求めていかないと辿り着くことができない情報なのです。
テレビ離れが進んでいると言われていますが、まだまだ、テレビの与える影響は大きいのです。
テレビ放送を私たち視聴者は購入しているのではない。
テレビ局にとって、視聴者は、お客様ではない。
テレビの情報は、「正しい情報と間違った情報がある」「正しい情報が流されていないこともある」ということを認識する必要があると思うのです。
新聞も似たような点はあるでしょう。
現代は、情報社会と言われるように、たくさんの情報が流れています。
その中で、正しい情報を見極める目が求められていると思うのです。
会計・財務の観点から論じてみました。
テレビ・新聞の情報について、認識を変えるきっかけとなってくれれば幸いです。
特に見たい番組がある訳でもなく、リモコンで、テレビを付けて、付けたまま、ご飯食べたり、新聞読んだり、これが、1日のルーチンになっている自分がいました。
私もテレビに毒されていたのです。
会計、財務、監査に関連した私の考えについて、書こうと思います。
できるだけ分かり易く書きたいのですが、難しくなるときもあるかもしれません。
会計、財務、監査は分からないけど興味がある方、会計、財務、監査を勉強したいと思っている方、会計、財務、監査に携わっている方、何かのご縁で私のブログを読んでいただいた皆様のお役に立てれば幸いです。
我が家の百日草です。
今日、撮影しました。
ほとんど枯れていますが、「まだまだ」と頑張ってくれているようです。
元気をもらえます。
ありがとうね。
新型コロナワクチン接種による後遺症で苦しんでいる方がいます。
新型コロナワクチン接種により亡くなられた方もいます。
政府は、必要な情報を明らかにせずに、必要な調査をやろうともしません。
救済措置も十分ではありません。
さらに、また、新型コロナワクチンを国民に接種させようと、情報操作や無料という方法を使っているようです。
さらに、自己増殖型の新型コロナワクチンを承認してしまったようです。
(ほぼ新型コロナウィルスと同じように思います。)
多くの方が、新型コロナワクチンの危険性の認識を持たないと、声を上げないと、この現状は変わらないと考えます。
新型コロナワクチンのリスクについて、関心を持ち、情報を入手してください。
そして、できる形で構わないので、声を上げてください。
皆様に、神さま仏さまのご加護がありますように。
62歳のオッサン公認会計士でした。
では、また。