風になりたい

自作の小説とエッセイをアップしています。テーマは「個人」としてどう生きるか。純文学風の作品が好みです。

新鮮素材が決め手の中国の鍋料理(エッセイ)

2011年02月23日 20時35分26秒 | エッセイ
まえがき

中国・広東在住の僕は、中国人の友人に招かれて鍋パーティーに参加しました。新鮮な鶏肉、新鮮な海鮮でつくった鍋はほんとにおいしかったです。やっぱり、食は広東にありでした。(2009年12月5日投稿作品)
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本文


 しばらく前のことだけど、僕が住んでいる広東省・広州では寒い日が続いた。寒いといっても、亜熱帯地域のことだから、最高気温が十二三度で、最低気温が七八度くらい。でも、一年の半分くらいが夏の広州にいると、これくらいの気温でもとても寒く感じてしまう。風が冷たい。
 こんな時にはあったかいものを食べたいなあ、なんて考えていたら、中国人の友人のエフ君が鍋パーティーに誘ってくれた。
 夕方、エフ君宅へ集合。
 家は2LDKのマンション。エフ君はおしゃれな人なので、男の一人住まいだが部屋はきれいにしてあるし、熱帯魚を飼っていたり、やたらとでかい縦長スピーカーが置いてあって、ジャズを流していたりする。
 中国人は大勢で集まるのが大好きなので、パーティーに参加すると新しい知り合いが増える。エフ君が以前の同僚を招いていたので、あいさつをしてちょっと話しこむ。彼は芸術家肌の人で、日本の映画にも興味があるようだ。『歩いても歩いても』や『菊次郎の夏』が好きだと言う。日本に興味を持ってくれている人だと話しやすい。中国の世の中ではコネがすべてといっていいくらい重要視されるのだけど、中国人はこんな風に食事会を利用して自分のネットワークを広げるのだろう。
 メンバーがだいたいそろったところで、みんなで連れ立って食品市場へ。
 まずは鶏肉を買うことにした。
 ちいさな「鳥肉店」がずらりとならんでいる。七八軒あるだろうか。どの店にも檻が置いてあり、そのなかに生きた鶏がひしめいている。鍋をする時、中国人は素材の鮮度にこだわるので、たいてい活きたまま買う。「鳥肉店」と書いたのは、鶏以外にも、いろんな鳥を扱っているからで、檻のうえには羽を切られた食用の鳩がすわっていた。食用に飼育した鳩だけあって、ダウンウエアを着こんだようにまるまると肥えている。ほかにも、ウズラに似た鳥や、ずいぶん小ぶりの鵞鳥も売っていた。
 檻に入った鶏を眺めていると、店のおばちゃんが飛び出してきた。おばちゃんが檻からかわるがわる鶏を取り出して見せ、エフ君が「ちょっとちっちゃいな。あっちがいい」、「見た目がよくないな。やっぱり、あっち」などと言って品定めしている。鶏冠《とさか》につんつんした毛の生えているかわいらしい烏骨鶏《うこっけい》(肌の色が黒いのでこんな名前がついた)と茶色い毛をしたブロイラーが一羽ずつ選ばれた。おばちゃんは、ばたばたと羽ばたきする鶏の脚を掴んで逆さ吊りにしたまま店の裏へ駆けこむ。あとは残酷だから、書かないでおこう。
 次に水産物コーナーをぶらぶら歩く。
 こちらも活魚がほとんど。さすが食の広州だけあって、川魚以外にいろんな生き物が浅い水槽に入っている。
 ワニガメ、すっぽん、どじょう、田ウナギ、川ヘビ、牛蛙などなど。ちなみに、広州では食用蛙を「田鶏」、つまり田んぼの鶏と呼んで日常的によく食べる。鶏のささ身みたいでなかなかいける味だ。
 水槽のすっぽんは逃げ出そうとして、必死に前脚と後脚を踏ん張ってガラスの壁を乗り越えようとする。水槽の横の台には、ぶつ切りのワニが置いてあった。さすがに生きたワニは物騒だから店におけないようだ。逃げ出しでもしたら大騒ぎだ。ワニがうろついている市場なんて怖くて行けない。こっちが食べられてしまう。
 カニを食べようという話になり、河蟹《かわがに》を買った。大きさは文庫本を一回り小さくしたくらいで、見た目は上海蟹とよく似て、僕には見分けがつかないけど、種類が違うらしい。今の季節がいちばんおいしいとのこと。店員が生きた河蟹を一匹ずつ紐を十字にかけて縛ってくれる。こうしないと、はさみでお互いを傷つけてしまうそうだ。
 店のなかでは、魚屋の亭主が人間の身長くらいある長いヘビをさばいていた。ヘビの腹をナイフで切り、両手でヘビの肉をビリビリっと大きな音を立てながら真っ二つに裂く。さばきたてだから、まだ筋肉が動く。ベルトみたいになったヘビの片割れは、とぐろを巻こうとしてか丸くなる。見物していて、ちょっと怖くなってしまった。中国にいるうちにいろんな食材を見慣れたけど、やっぱりヘビだけは苦手だ。
 海の魚は、残念ながら活魚では売っていない。日本の市場と同じように砕いた氷の上に死んだ魚が並べてある。さんま、太刀魚、イトヨリをもっと派手にした赤い魚なんかがおいてあった。日本だと結構いい値段のする舌平目が普通の魚と同じ値段で売っている。ムニエルにしたらおいしいけど、今回は鍋料理だから買うのは見送り。
 今度は豚肉コーナーへ進む。
 解体した豚の一部が骨付きのまま生々しく吊るしてあって、下の平台には切り身、内臓、豚足やらがならんでいる。こちらもさばきたてだから新鮮だ。日本では肉とモツ以外はほとんど食べないけど、中国の場合、耳も、尻尾も、脳味噌でさえも、あますところなくまるごと一匹食べてしまう。豚料理でお目にかかったことがないのは、目玉くらいだろうか。
 豚肉コーナーの並びには、ほかの四足の肉を売っていた。
 毛をむしった文字通り赤裸々なウサギが丸ごと一匹吊るしてある。さすがにこんな姿を見るとかわいそうだ。古事記に出てくる因幡《いなば》の白兎もこんな風にされてしまったのだろうか、とつい想像してしまう。
 兎のとなりには、血まみれになった山羊の頭がでんと置いてあった。角はもちろんついたまま。ヤギの生首はいささか迫力がある。ちょっとたじろいでしまった。どんなふうに料理するのだろう。鍋でぐつぐつ煮込んでスープを取るのだろうか? 食べるところはあんまりなさそうだけど、売れるのだろうか? こんなものを見るといろんな疑問が頭のなかで渦を巻いてしまう。でも、生首は三つもある。それだけ店にならべるということは、やはり需要があるのだろう。
 ヤギの隣は狗肉。つまり、犬の肉だ。
 中国ではあたりまえのように食肉用の犬を売っている。別の地方で檻に入れられた食用犬を見たことがあるけど、毛の色は黒か灰色で痩せた犬だった。芸術家肌の彼の話によると、広州でも同じ種類の犬だそうだ。独特の臭みがあるけど、寒い冬に食べると体が温まる。子供のおねしょにもよく効いて、狗肉を食べるとおねしょをしなくなることから、子供の頃、親に狗肉を食べさせられたという人は割合にいる。だけど、最近の若い中国人は、かわいい犬を食べるのはかわいそうだと言ってあまり食べない。豊かになって古い習慣がすたれつつあるようだ。
 日本では中国の食用犬としてチャウチャウが有名だけど、中国の南方でチャウチャウを食べたことがあるという人にまだ出会ったことがない。友人知人の広東人に片っ端からチャウチャウを食べたことがあるかとたずねてみても、みんな首を振る。狗肉をとくに好むのは中国の北方人だそうだから、チャウチャウは北方で食べるのだろうか。
 エフ君の家へ戻り、鍋の準備を始める。
 台所やバスルームで肉や野菜を洗い始めた。みんな、自分の家のように使っている。日本では、他人が自宅の台所へ入るのを嫌がる傾向があるし、逆に他人の家の台所へ入るのは遠慮するけど、中国ではまったくといっていいほどそんなことはない。このあたりは中国人特有の人の距離の近さだ。
 僕も手伝おうとしたのだが、いいから座って待っててくれよと言われて、参加させてもらえない。どうも、外国人は特別な客だからそんなことをさせてはいけないという意識が彼らにはあるようだ。ちょっとさびしいけど、しかたない。もっと打ち解けた間柄になれば、スムーズに参加させてもらえるようになるのだろう。
 テーブルに電気コンロを用意して鍋を置き、鍋のなかへ中華流鍋の素の袋を開けて鍋に入れる。甘草などの漢方薬や干した棗《なつめ》をワンセットにしたもので、これがないと中国の鍋の味にならない。出汁に漢方薬を入れるところが中国らしい。どうせ食べるのなら、より健康的にということだ。
 ワゴンに切った肉や野菜をならべて、おおかたの支度ができたところで、ジェイ女史が持参した自家製の梅酒を味わう。いい白酒《バイジュウ》を使ったようで、上品な甘い味がして飲みやすい。ジェイ女史によると、青梅を乾かしてからセイロで蒸して表面のあくを抜くのがおいしい梅酒をつくるコツだとか。
 九人でテーブルを囲んだ。賑やかだ。
 乾杯してから、前菜のゆで河蟹を食べる。
 カニ味噌が甘くてうまい。箸の先ですみずみまですくって食べる。河蟹だから身はさほどないのだが、味はわるくない。中国人たちは器用にしがんでいる。食べ方が上手だ。
 カニを食べているうちに、鍋のなかの烏骨鶏がいい感じになってきた。
 烏骨鶏の肉は栄養満点だ。
 僕の祖母がこんな話をしてくれたことがある。
 祖母は子供の頃に大病をわずらってしまったのだが、その時、祖母の祖父が烏骨鶏まるごと一匹をお酒にひたし、一か月間毎日、七輪のうえでぐつぐつと煮込んでまるであめのようになった滋養剤を作った。それを毎日すこしずつ食べた祖母はすっかり病気がなおって元気になり、体も丈夫になってその後は病気知らずになったのだそうだ。
 烏骨鶏の肉は、濃い味がしておいしい。いかにも栄養がありそうな味だ。僕は普通の鶏肉よりも、烏骨鶏の肉のほうがずっと好きだ。中国ではどの市場でも売っているし、値段も鶏よりすこし高いだけだけど、日本であまりみかけないのはどうしてだろう。飼育がむずかしいのだろうか? おいしくて栄養もあって、いい食材だと思うのだけど。
 烏骨鶏を平らげてから、普通の鶏を鍋へ放りこむ。さばきたてだから、こちらも味がいい。冷凍ものとはやはり違う。味の濃い烏骨鶏を食べた後に鶏肉を食べて、すこしばかり口がさっぱりした。
 第三ラウンドの海鮮鍋へ突入。エビ、イカ、カキをどっさり鍋へ入れた。
 烏骨鶏、鶏で出したスープに海鮮の味が加わってぐっと美味になる。僕は具を小鉢に取らずにご飯の上へおいた。汁がご飯にしみて二度おいしい。
 ここらあたりでいい感じにお腹がふくれてきて、余裕が出てきた。もう鵜の目鷹の目でどの素材が煮えたかを探さなくてもいい。なにせ九人で一つの鍋を囲んでいるから、うっかりしていると食べるものがなくなってしまう。
 お酒も回ってきていい気分になった僕は、芸術家肌の彼といろいろ話をした。
 彼は四川省成都からチベットのラサまで自転車で旅をしてみたいという。手つかずの大自然がそのまま残っていて途中の景色は抜群だから、このルートに魅せられる旅人は多い。来年の五月あたりに実行するつもりなので、その夢に備えて週末は自転車で遠出したりして訓練しているのだとか。チベット行きとなれば標高四千メートルクラスの高山をいくつも越えることになるので今からしっかり鍛えておかなければならない。結婚して小さな子供もいるのだが、奥さんは「行きたいのなら、行ってらっしゃい」とあっさり賛成してくれたそうだ。いい奥さんだ。
 話題の方向を変えて、今の中国についてどう思うかとたずねると、今は高度成長で発展しているけど楽観はできないなどとわりと突き放した意見を述べる。外国の文化をいろいろ吸収した彼は、自分の国のことや自分自身のことを客観的に見られるようだ。
「今の世の中は、拝金主義が蔓延しすぎちゃってるからどうかなって思うよ。お金さえ儲かればいいってもんじゃないだろう? でも、自分自身で公共の利益になるようなことをするのって、この国ではむずかしいんだよな。昔は社会のことなんかもいろいろ考えて、福祉団体を作ったりしてなにか社会のために役立てることができないかなって真剣に思ったんだけど、結局、自分の生活を考えることにしたよ。僕がいろいろ考えたところで、中国では一般の庶民の意見は反映されないんだ。なにせ一党独裁だからね。君たちの国なら、いろんなことを自由にできるんだろうけど」
 彼はあきらめたように言う。
 たしかに、日本では結社の自由が認められているから、好きに福祉団体を作ることができるけど、中国ではなかなかむずかしい。その団体が反中国共産党組織になりはしないかと政府から警戒されるためだ。こんな話を聞くと、日本は恵まれた国なんだと思う。保障された自由を活かしきれているかどうかは別にして、だけど。
 気がついたら、鍋へ入れるものがなくなっていた。
 食べきれるかなと思ったくらい用意した肉も、海鮮も、野菜もみごとになくなっている。だけど、まだみんな食べたりない。
 こりゃ大変とエフ君が厨房へ入る。
 日本では出されたご馳走をすべて平らげるのが作法だけど、中国ではほんのすこし残して「もう食べ切れません。じゅうぶんにいただきました。ご馳走をたくさん用意していただきましてありがとうございます」と主人の顔を立てるのが作法だ。中国へきた当初は、なんてもったいないことをするんだろうと違和感があったけど、どちらももてなしてくれた主人に感謝をあらわすという礼儀は一緒で作法(表現方法)が違うだけだということに気づいてから、あまり気にならなくなった。郷に入りては郷に従え。
 ただし、招いた客が用意した食事をすべて食べきってしまうと主人は大変だ。中国では主人がきちんともてないしていない、つまり、無礼をはたらいたということになるので、主人は面子にかけても招待客全員が満腹になるまで料理を作り続けなくてはならない。
 エフ君は冷蔵庫にあった卵でスクランブルエッグを山盛り作った。彼の料理の腕はなかなかのものだ。でも、おいしいからみんなあっという間に平らげてしまう。
「うっひゃー。もう食べたの?」
 エフ君はうれしい悲鳴をあげ、厨房へ逆戻り。スクランブルエッグをもっと食べたいというリクエストに応えて、彼はもう一皿作った。ただ、もう卵がないとのことで、量は三分の一に減った。これもすぐに片づけてしまった。
「エフ君、もっと食べるものはないの?」
 エフ君の幼馴染という女の子がねだる。
「もうしわけない。冷蔵庫が空なんだよ。デザート用にこしらえたゆで栗ならあるんだけどさ」
「それそれ、早くもってきてよ」
 みんなにせきたてられてエフ君は大きなボールにいっぱいのゆで栗を運んできた。素朴な味だ。なんにも足さない自然の甘みがいい。
 ジェイ女史が僕の手相を観た。
 手相を観ているうちになにか気になったようで、彼女は僕の手の甲の骨をさぐる。
「野鶴さん、あなたはちゃんと食べていないでしょう。だめよ、栄養を考えて食べなきゃ」
「なんでわかるの」
 たしかに、残業で忙しくて夜はマクドナルドですませることが多い。日本にいた頃はあんまり食べなかったけど。それに、中華料理は油がきついので胃に負担がかかる。
「骨ががたがただわ。胃腸が弱ってる証拠よ」
 そう言って、ジェイ女史はマッサージを始めてくれた。手の甲の骨をまっすぐ伸ばすようにしてもみほぐす。気持ちいい。すねも同じようにもんで、胃腸に効くという腰のつぼを押してくれた。彼女がぎゅっと力をこめて押した時、僕の腸がくねっと動いた。正常な位置からずれた腸があるべきところへ戻った証拠だ。僕は学生の頃、ひどく腸を痛めたことがあって、一週間ほど下痢がとまらなくなったことがあった。医者へ行ってもひどくなるばかりだったので整体へ行ったところ、整体師さんは彼女が押したのとまったく同じつぼで完全になおしてくれた。彼女の知識は正しい。物知りでいろんなことを器用にこなせる人だ。
 この後、試練が待っていた。
 ジェイ女史は大酒豪だ。アルコール度五十数%の白酒でも、ウイスキーでもなんでもぐびぐび飲み干してしまう。まるでうわばみのようにとは、この人のためにある言葉だ。
「胃腸もよくなったことだし、さあもっと飲みましょ」
 彼女はグラスをかかげる。中国式乾杯攻撃が始まった。
「乾杯《カンペイ》」
 みんなでグラスをあわせる。乾杯とは、文字通り杯を乾すことだ。歴史小説の『西門豹《せいもんひょう》』でもそんなシーンを描いたけど、開けたグラスを逆さにして飲み干したことを証明するのが作法。飲み干さないと、さあ全部飲んでと催促される。ウイスキーで何度も乾杯しているうちにふらふらになってしまった。ただジェイ女史とみんなに合わせて乾杯するだけで、もうウイスキーの味もわからない。
 いつの間にか、僕は寝こんでしまっていた。
 エフ君が僕を叩き起こす。
「お開きなの――」
 それじゃ、今日はありがとうと言おうとすると、
「これから砂鍋粥を食べに行くんだ」
 と、エフ君ははしゃいでいる。みんな、かなり盛り上がってわいわい話している。
「えっ、まだ食べるの?」
「だって、お腹すいたじゃない。もう夜中の一時だしさ」
 エフ君は僕の腕をがっちり掴んだ。絶対に離してくれそうもない。
 一度乗ってしまうと中国人はとめられない。
 僕は、夜中も営業している砂鍋粥店まで拉致されてしまったのだった。


 了

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俺が人間でいるうちにこの命を取り上げてください――受難者の記 (短編小説)

2011年02月23日 00時45分34秒 | 短編小説

 俺の生きてる意味がわかりません。
 今日までなんとか生きのびてきましたが、持っているお金がとうとう三十円になってしまいました。じゃがいもコロッケ一個すら買えません。
 今、小さなリュックを背負って、紙袋をさげて新宿駅の東口にいます。服は汚れきって、もう何日もシャワーを浴びていません。昨夜《ゆうべ》、生まれて初めて野宿しました。ダンボールを拾い集めて、公園の片隅に寝床を作りました。寝てる時に誰かが俺のダンボールに小便をひっかけていったけど、怒る気力すら湧きませんでした。小便の匂いが鼻について、悔しくて、自分が情けなくて、まんじりと一晩を過ごしました。ほとんど眠っていません。
 ケータイから派遣会社へ仕事の斡旋を依頼しましたが、なしのつぶてです。ダンボールのなかでうずくまってる気もせず、なんのあてもなくふらふらと出てきました。
 新宿はいつもと同じ賑わいです。
 俺とはなんの関係もない騒々しさです。
 東口広場の階段に腰かけても、ため息も出てきません。
 じっとこらした硬い息を口から吐いて、匂いもなにもしない硬い空気の塊を吸いこむだけ。心が石になってしまいました。道行く人々が人間ではなく、なにか動物のように思えます。牛の群れか馬の群れでも歩いているような、へんな感じです。どうしてこんなふうに感じるのか、自分でもよくわかりません。きっと、心がおかしくなっているのでしょう。
 なにか売れるものはないかとさっきリュックのなかをあさってみたけど、これといったものはありませんでした。唯一の財産だったノートパソコンはとうに売り払ってしまったし、着替えの服も売ってしまいました。ケータイは売れるのでしょうが、ケータイがなければ日雇いの仕事にすらありつけません。ケータイは俺にとって命綱なんです。もっとも、たとえ仕事があっても、現場へ行く交通費もありませんが。
 この五年間、派遣労働者になって日本中をさまよってきました。だいたいが工場勤めです。わずかばかりのお金を貯めて、仕事に慣れてきたかなと思った頃に工場の寮を追い出されて、減るばかりの貯金残高におびえながら別の仕事を探してまた働いて。そんなことを繰り返してきました。貯金がゼロになる前にすべりこみセーフで仕事にありついたことも何度かありましたが、今度ばかりは仕事が見つからず、とうとうお金も尽きてしまいました。げっそり廋せました。さっき、公衆トイレで自分の顔を見たら、ひどいものでした。目のまわりには太い隈がこびりついて、まるで麻薬に蝕まれた幽鬼のようです。
 好きでこんなことをしてるわけじゃありません。
 就職活動に失敗してしまったから、しょうがなくやってるだけです。ほんとうはきちんとした仕事を持って、人並みに暮らしたい。おんぼろのアパートでいいから、自分で部屋を借りたい。自分の蒲団でぐっすり眠りたい。だけど、派遣で短期の仕事をこなしているだけの俺にはこれといったスキルも経歴もありません。資格だって運転免許証くらいなもので、普通車と限定解除の自動二輪です。特別なものはなにもないから、派遣会社にピンはねされるとわかっていても安い賃金で単純作業をこなすしかないのです。
 こんな時に頼れる人は誰もいません。
 高校時代の友人が東京で働いているので、迷いに迷った挙句、さっき思い切って電話をかけてみましたが、この電話番号は使われておりませんと自動音声が流れるだけでした。いつの間にか電話番号が変わっていました。
 もっとも、会えたところでどんな顔をして彼と向かい合えばいいのか、わかりません。高校の時はそこそこの付き合いがあったけど、それほど仲がいいというわけでもありませんでした。もう何年も連絡を取っていない同級生がいきなり現れてお金を貸してほしいと言われたら、きっと彼は困ってしまうでしょう。彼は名の通った会社で正社員として働いてるそうですから、俺のことを馬鹿にするかもしれませんが、もし彼に馬鹿にされたとしても、それほど苦にはなりません。派遣会社の人にも、派遣先でも、今までさんざん馬鹿にされて生きてきました。もう慣れっこです。俺には価値などないのだから、馬鹿にされるのもしょうがないと思います。だけど、人を困らせるのは俺としても心苦しいです。人は自分が困った時、相手に弱味を見せまいとして人を馬鹿にする態度を取るものですから。
 もちろん、彼が人の悪い奴だと言っているのではありません。高校時代の彼はおおらかで気のいい男でした。テスト前にはよく彼のノートを借りたものでした。彼なら、こんな俺にでも親切にしてくれるかもしれません。――きっと、こんなふうにしか考えられないのは、俺が卑屈になりすぎて、そんな自分自身に慣れすぎてるからなのでしょう。人を信じられないのは、俺自身が悪いのです。
 彼のほかには東京に友だちも知り合いもいません。話す人など、誰もいません。もう何日も人とまともな言葉を交わしていません。まるで、言葉の通じない外国でぽつんと迷子になってしまったようです。
「今日はいい天気ですね」
 そんな挨拶だけでもいいから誰かと交わしたいと切実に思います。腹が減ってるだけではありません。会話に飢えています。人間が話す言葉に飢えています。誰でもいいから、言葉のキャッチボールをしたくてたまりません。もし、言葉を交わした人がたわいもない冗談でも言ってくれたら、どれだけ救われることでしょう。
 親元へ帰ったらと言われるかもしれませんが、たとえ野垂れ死にすることになっても、それだけはできません。
 家のことを考えると嫌なことばかり思い出します。俺がなにを訴えても知らん顔をする父、一から十までなんでも言うとおりにしないと気の済まない母。よくある話ですが、無関心な父と過干渉な母に育てられました。父と母は人前では仲のいいふりをするけど、家の中では喧嘩すらしない冷え切った仮面夫婦でした。もう二度と戻りたくありません。戻ったらきっと、俺が自殺するか、俺が両親を殺すかの二つの道しかないでしょう。もう親に失望したくありません。現実がまったくわからないあの二人に、親のわがままを押し付けられるのも御免です。
 こんなことを言うと甘えてるからではと思われるかもしれませんが、壊れた家庭に生まれた人間にしか、そのつらさはわからないものです。ごくふつうに育った人にはまったくわからないことなのです。壊れた家庭の子供は、両親の世間体をつくろうための道具でしかありません。毎日、両親のゆがんだエゴのために、いろんなことに傷つきながら大きくなってしまいます。そんな日々は断ち切ってしまいたいものなのです。俺にとって、家庭は帰る場所ではありません。拘置所の檻です。思い出すだけで、胸が悪くなってきました。
 昔はともかく、これからどうすればいいのでしょう。それが問題なのですが、途方に暮れるばかりです。
 現実的に考えれば、本格的にホームレス生活を始めて、ゴミ拾いでもするしかありません。十円玉三枚ではネットカフェに入れてもらえませんから。でも、ホームレスにはなりたくありません。わかっています。そうするしかないんだと。でも、どうしても嫌なんです。ネットカフェならまだ我慢できます。路上で寝るのだけは勘弁してほしい。せめて、屋根のあるところで寝たいんです。それは許されない贅沢なのでしょうか。
 自殺するか、それとも、悪いことをして人からお金を奪うか。
 その二つしか、頭に浮かびません。
 俺の望みはささやかなものです。
 もう一度、今この夕焼けのなかを歩いている人たちの群れに入れてほしい。建ち並ぶビルのどこかに俺を受け入れてくれる場所が欲しい。ただ、それだけ。ほんとうにそれだけです。人の温かさに触れることができたら、今感じている人が人でないような、自分とは関係のない動物の群れとしか思えないような、そんな妙な感覚も消えるのでしょう。俺も世間へ入れてほしい。世の中の一員として認めてほしい。ただそれだけです。
 でも、むりなのでしょう。
 誰もどこも、俺を受け入れてなんかくれません。
 失業は罪ですか? 仕事を失ったというだけで、どうしてこんな思いをしなくちゃいけないのでしょう? これはなにかの罰なのでしょうか? 俺は、もうわかりません。
 どうせ死ぬのなら、誰でもいいから通りすがりの人を道連れにしたい。そんな思いがふつふつと心の底にたぎります。いけないことだとはわかっていますが、どうしようもないんです。やけになったというだけではないようです。無性に復讐をしたい。誰でもいいから、俺をこんな目に遭わせた奴らに仕返しをしたい。どうしてもそう思ってしまうんです。もちろん、十分過ぎるほどわかってます。道を歩いてる人々に罪などありません。誰が悪いわけでもありません。悪いのはふがいない俺です。でも、そんな考えは小さくしぼんでいきます。だんだん理性を失う自分がわかります。こんなことを考える自分が恐ろしい。
 秋葉原で連続殺傷事件があった時、犯人はなんて馬鹿で愚かな奴なんだろうと腹が立ちました。ネット上で犯行予告をしておいてから、レンタカーで歩行者天国へ突っこんで人を跳ねて、それから次から次へと通行人をサバイバルナイフで刺したあの事件です。十名くらいの方が亡くなったのでしたっけ。
 正直言って、あの犯人は変わり者なんだと思いました。俺も非正規労働者で人とも思われない存在だけどまがりなりにもちゃんとやってるし、まわりを見ても、いくら苦しくても道を踏み外さずにまっとうに生きてる人がほとんどです。それなのに、あんなことをやらかすのはとんでもない奴だと思いました。でも、今は彼のことが他人事だとは思えません。まわりから無視されて、否定され続ければ、誰でもああなってしまうのだと思います。とくに、俺みたいにお金もなくなって、生きる手段も失ってしまえば、まわりを怨むし、誰でもいいから傷つけたくなってしまいます。まわりがみんな敵に思えてしかたないんです。やさしい人だって、親切な人だって、自分と気の合う人だって、きっといるはずなのに。ほとんどの人は、真面目に働いて、真面目に暮らしてるはずなのに。
 人も、ビルも、看板も、風景も、みんな赤一色に染まっています。夕焼けに赤く染まった人たちが、みな、血しぶきをあげているようです。これから俺が殺してしまう姿がデジャブのようにして見えます。
 こんなことなんて考えたくもないのに、どうしてとめどもなく心に浮かんでしまのでしょうか。自分が嫌でたまりません。
 いったい、俺はなんのために生まれてきたのでしょうか?
 誰のために生まれてきたのでしょうか?
 こんな俺に生きる意味なんてあるのでしょうか?
 誰かとめてください。
 神さまがいるなら、俺を罰してください。
 俺が人間でいるうちに、この命を今すぐ取り上げてください。
 このままだったら、俺、もうなにをしでかすかわかりません。




 了



本作は2010年2月21日「小説家になろう」サイトに投稿しました。
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