風になりたい

自作の小説とエッセイをアップしています。テーマは「個人」としてどう生きるか。純文学風の作品が好みです。

『生煮えの鮒 』第四話 『覚悟』 (純文学小説)

2011年02月27日 11時00分15秒 | 純文学小説『生煮えの鮒』(全4話)
 
 心の臓がじんと痺れる。胸が痛かった。
 裟弥は額に皺を刻み、瞑目した。数珠を繰りながらなにをどう話すべきか考えているようだ。重く閉じた瞼に理性がゆらぐ。
 私の話を深刻に受け止めてくれたことは彼の表情からわかった。それだけが救いだった。ほんとうに、今まで誰にも話せないことだった。
 沈黙が流れた。
 遠くで梟が鳴く。
 やがて、裟弥はおもむろに口を開いた。
「私は生まれつき霊感の鈍い者ですからそのようなものを見たことがありませんが、世に中には非常に霊感の強い方がおられるのも事実だと思います。そのようなものが見えれば、さぞたまらないことでしょう。――ですが、大事なことはあなたが毛虫を見てどう思うのか、そして、どう行動するかなのではないでしょうか」
 裟弥は手元を見つめ、やはり静かに数珠を繰る。
「どう思うと言われても、私はただ恐ろしくてなりません。役所などというところは、もともと人間関係がぎすぎすしたところです。人を疑うところから始め、人の掘った落とし穴にはまらないようにすべてを疑いながら仕事を進め、陰険な足の引っ張り合いに巻きこまれたりしないように、あらぬ噂を立てられて陰口を言い触らされたりしないように気を配らなければいけません。特に親しくもない同僚から笑顔で話しかけられたりすれば、裏でなにを考えているのか、私をどう利用しようとしているのかと勘繰り、鳥肌が立ってしまいます。日々、心が傷みます。見えない天井に押しつぶされそうになっているところへ、他人の本性が毛虫になって見えてしまうのです。それも、唯一安らげる家族の者にまで。もうどうすればよいのか、わかりません。私は誰も信じることができないのです。自分すら信じられません」
 私はやるせなく首を振った。もっと言いたいことがあるような気がするのだが、やりきれない想いが心のなかで渦巻くだけで、言葉が見つからない。
「気持ちはお察しします。他人の本性が見えた時、どす黒い心に気がついた時、人は誰でも人間嫌いになってしまいます。私もかつてはそうでした。しかし、嘆いてばかりでも始まりますまい」
「私もこんな自分が嫌でなりません。今の自分から早く抜け出したいのです。とはいえ、いったいどうすればよいものやら――。私はただ平穏に暮らしたいだけです。人間らしい正直な暮らしを送りたいだけです。望みは、ただそれだけなのです」
「人間らしい暮らし、ですか」
 裟弥は、なにか言いたげに唇を動かして腕を組む。
「たいそれた望みだとは思いませんが」
 難しそうな顔をした裟弥を見て、ひょっとして自分はとんでもないことを口走ってしまったのだろうかと途惑った。自分でもいけないことだとは思うのだが、どうしても他人《ひと》の顔色をうかがってしまう。それほど、心が消耗していた。
「人間らしいことがいいことであるようにおっしゃっておられるように聞こえますが、その人間らしさこそが怪しいと、あなたは気付いておられるはずです」
 その言葉にはっとさせられた。裟弥の声はこんこんと湧く岩清水のようだ。ざっくりと割れた心の傷にしみる。
「そうですね。気づいてはいるのです。ただ、認めたくないだけで――」
「たとえ認めたくないことであっても、現実を直視しなければなりません。すべては、そこから始まるのですよ」
「あの毛虫は、人間の愚かさだと思います。どんな虫下しを飲んでも消せないものでしょう。人は愚かで醜いものです。私自身も妙な自尊心や欲がありますし、悪意を持った相手をはねのけて自分や家族を守らなくてはいけない時には、人の悪いことも敢えて行なわなくてはなりません。私の心にも悪を抱えています。私は愚かで弱い生き物なのです」
 私はあれを見るようになってから今まで考えてきたことを述べた。こんなことを人に言えば、不快な気持ちにさせるだけだから、友や妻にも言えなかった。裟弥は小さく頷く。
「世の大多数の人々は、自分の愚かさ、弱さ、醜さを人間の強さだと勘違いして生きています。その毛虫に乗っ取られて生きているのかもしれません。名利が人を動かします。自分が人生の主人公になったつもりでいて、実は名利に操られていることに気づいていません。名利に操られる自分が世界でいちばん偉いと思いこみたがるのが、人間の愚かさであり、人間の弱さ、醜さです。しかし、あなたは毛虫のおかげでそれに気づくことができました。これは意味のあることだとは思いませんか。ここはひとつ、毛虫が見えたことをいい方向に考えてみればどうでしょう。あの毛虫が見えるようになったのは、仏からの呼びかけのように思えます」
「どういうことでしょうか?」
 私は裟弥の言葉を理解しかね、首を傾げた。
「もしあなたがあの毛虫を見なければ、鬱陶しい思いをしながらも、人生はこんなものだろうと思ってなにも気づかずにただ漫然と生きていたことでしょう」
「それならそれでよかったのでしょうけど」
 私はうつむいた。
「それではいつまでたっても、鬱陶しさや窮屈さは解決しませんよ。たとえ、あの毛虫が見えなかったとしても、苦しみにきちんと向かい合わなければ、どこまでもついてまわるでしょう。逃げてはなりません。苦しみから逃げる時ほど、苦しみが恐ろしく感ぜられる時はありません。苦しみというものは、逃げれば逃げるほど物の怪のように追いかけてくるものなのですから。
 苦しさをこらえ、きちんと向かい合いさえすれば、つらくとも希望が持てます。人はいつも仏に呼びかけられています。仏という呼び方がお好きでなければ、『まこと』と呼んでも差し支えないでしょう。苦しみや己の愚かさといったものにきちんと向かい合いなさいという呼びかけです。問題は、それに気づくかどうかなのですよ」
「呼びかけは呼びかけでも、私には魔物の呼びかけだとしか思えないのですが……」
「魔物の呼びかけなんぞでは決してありません。――盗賊に襲われたりして肉や贓物がむき出しになった死体をご覧になったことがおありでしょう」
「ええ。都の通りでも、加茂川沿いでも見かけます。近頃はなにかと物騒で、どこにでも転がっていますから。むごいものです」
「こう考えてみればいかがでしょうか。肉や内臓は人間が宿しているものです。その毛虫もまた人間が宿しているもの――つまり、本性です。ほんとうの姿が見えただけのことです。人間の本性を直視しなさいと、仏が、まことが呼びかけているのだと思います。そして、それを乗り越えなさいと」
「仮にそうだとしても、私にそんなことができるのかどうか――」
「つらくても安心なさい。仏に見守られていない人間など、この世には一人もおりません。仏はいつもあなたのそばにいて、慈悲の心で温かく見守っています。そして、いつもやさしく呼びかけてくださっています。人として生まれてきたからには、全力でその呼びかけに応えなくてはなりません。人生には起こらなければよかったことなど、なに一つありません。意味のないことなど、一つとしてないのですよ。あなたが見た毛虫もそうです。すべてが、仏の呼びかけだと、まことの呼びかけだと、私はそう信じています」
 裟弥の声は穏やかさのなかにも確かな熱を帯びている。鞴《ふいご》で吹かした炭火のような温もりだ。その熱が凍てついた私の心を融かしてくれるようだった。
「そんな風に信じなければいけないのでしょうね」
 私はこくりと頷いた。
「あなたが仏やまことに問いかけるのではありません。仏やまことがあなたに問いかけているのです。さきほどお話したように、私は恥ずかしいことにいい歳になってからそれに気づき、人間の本性と向かい合うことにしました」
「そうされて、つまるところ、なにがおわかりになったのでしょうか」
「大いなる悲しみです」
 裟弥は鋭い頰をひっそりさせる。
「私は常に裏切ってしまいます。仏は欲望を消せ、慈悲で心を満たせとおっしゃいますが、いくら努力しても完全にそうすることはできません。仏の呼びかけを裏切り続けてしまいます。世の人々もまたそうです。輝く慈悲の心を持っているはずなのに、それを裏切ってしまいます。これが大いなる悲しみです。汚辱にまみれたちっぽけな私《わたくし》は、ままならない私のまま、人と人が苦しめ合うこの世で生きるよりほかにありません。人を苦しめるのは人間そのものにほかなりません。私は、大いなる悲しみでもって自分自身とこの世界を受け容れることにしたのです」
「やはり、この世は悲しみしかないということでしょうか?」
「もちろん、悲しいことばかりではありません。喜びもあります。ささやかな私の人生にも、有頂天になってしまうのほどの嬉しいことが幾度かありました。とはいうものの、喜びというものは、悲しみという名の海に浮かんだ小舟のようなものなのです。めったにあることではありません」
「わかるような気がします。今の私には小さな喜びすらもないのですが。――それで、その大いなる悲しみを受け容れた後、どうすればよいのでしょうか」
「それはご自分で考えられるべきことでしょう。私ごときがとやかく言うことではありますまい。生きるのはあなたご自身なのですから」
「あつかましいかもしれませんが、もしよければお話いただけないでしょうか。私は手がかりが欲しいのです」
 私は裟弥の目をじっと見つめた。裟弥は黙ってうなずき、
「釈尊の教えに従うなら、やはり解脱を目指すべきなのでしょう」
 と、自分の心のうちを見つめるようにまぶたを半分閉じる。
「解脱は驚きです。驚き以外のなにものでもありません。
 世は栄枯盛衰を繰り返します。栄えた者で滅びなかった者はいません。『平家物語』の冒頭の一節はあなたもよくご存知でしょう。世の中が繁栄し、進んだかのように見えても、それは表面上の錯覚に過ぎません。進歩のなかには必ず退化の芽がひそんでいて、その退化の芽が大きくなれば、ひと時の繁栄もやがて過去のものとなってしまいます。春夏秋冬と季節がめぐるように時間は円環し、どこへもたどり着くことができません。去年の春は、今年の春と同じ。来年の春は今年の春と同じ。いつまでたっても同じことを繰り返すだけ。苦しみの種が尽きることはありません。人々は自分を苦しめる愚かさに気づかないまま、懲りもせずに同じ過ちばかりを繰り返してしまうのです。
 釈尊は、そのような円環する時間から抜け出せると主張しました。あらゆる苦しみから完全に抜け出すことができると。そして、その考えを実践し、人が生まれながらに備えている悲しいほどの愚かさや弱さを克服できることを現実に証明してみせたのです。これが驚きでなくてなんでしょうか。心に煮えたぎる地獄を超えることができるのです。愚かしくて腹立たしい自分を変えることができるのです。大切なものを裏切り続ける自分から抜け出すことができるのです。もう同じ過ちを繰り返すことなどありません。心は真の意味で光り輝きます」
 裟弥は穏やかに微笑んだ。瞳がやさしい野の仏のように光る。
 彼の言うことなら、信じていいのかもしれない。ふとそう感じた。仮にそれがたとえ偽りや幻だったとしても騙されたとは思わないだろう。
「少しずつでも悲しみや苦しみと向かい合えたらと思います」
 まとまりのつかなかった苦しみに、ほんのすこしだけ輪郭を描けた気がする。それだけでも、今の私には十分にありがたかった。胸の痛みがいくぶん和らいだ。
 その後も、二人でしばらく話しこんだ。裟弥は風雅を愛する趣味人でもあった。庭に植える木々のこと、季節の花々のこと、短歌について、書の道について、贈り物の箱に結ぶ見目美しい紐についてと話題は多岐にわたった。彼の話は含蓄に富み、どれも興味深かった。
「道を行じられてどのあたりまで進まれたとお感じですか」
 私はふと問いかけた。
「まだまだでしょう」
 裟弥は剃った頭をつるりとなでる。
「五分の一も進んでいないでしょうね。日暮れて道遠し。この頃よくそう感じます。死ぬまでにたどり着くことはむずかしいかもしれませんが、生まれ変わったらまた続きを歩くだけです」
 私はその答えを聞いて、気の遠くなるような思いがした。これほど厳しく自己を鍛錬している裟弥でも、迷いから抜け出すことはできそうにないと言う。それほど険しい道なのだろう。安直に考えていた自分が間違っていた。夕暮れの一本道を歩き続ける裟弥の後姿がふと脳裏をよぎる。裟弥の決心に頭の下がる思いだった。
「今日は、本当にありがとうございました。お話していただいたことを胸に刻みつけます」
 私は床に両手をつき、深々と頭を下げた。
「礼にはおよびません。お安い御用です。千里の道も一歩からと言いますから、焦らずにじっくりお歩きなさい。初めからすべてがわかっている人なんぞ、誰もいないのです。人間の愚かさに気づいただけでもあなたは倖せなのですよ」
「ありがとうございます」
 私はあらためて礼を言い、自分の苦しみを語ったことやぶしつけな質問を重ねたことを詫びて庵の間を辞した。
 あてがわれた客間へ戻ろうとしてふと湯船の鮒が気になった。私は風呂場へ様子を見に行った。
 湯はとうに冷め、風呂場の温もりは跡形もなく失せていた。夜気が肌にしみ、小さなくしゃみをひとつした。湯船の上に提灯をかざすと、鮒はすっかり元気を取り戻したようでくるくると方角を変えながら泳いでいる。なぜだか嬉しかった。
 木桶で鮒をすくい、裏庭を抜けて低い崖をおりた。草が裾に触れ、かさこそと音を立てる。梟は森のどこかでまだ鳴き続けている。瀬音だけが静かだ。冴えた月がしんと川面に照り映えていた。
 狭い河原に立った私は川べりに提灯と桶を脇に置き、しゃがみこんだ。
 川面の映った自分の顔がかぶれたように腫れている。顔を近づけてよく見てみれば、例の毛虫だった。左頬の肉を食い破りながら蠢いている。
 とうとう自分の顔にもあれが現れてしまった。だが、不思議と心は平静だった。いつものようにぞっと粟肌の立つことはない。私の頰にもあれが巣食っていることくらい、前から重々承知していたことだ。手で頰を払った。毛虫はぱらぱらと石ころの上に落ち、すっと姿を搔き消した。
 こうして向かい合うしかないのだろう。
 そうこうしているうちに大切ななにかがはっきりわかるのだろう。
 醜い自分と向かい合う勇気を得られただけでも、今日という日は意味があった。
「お前は自分の居るべきところへお帰り」
 木桶を傾け、川の流れに浸した。鮒は途惑いもためらいも見せずにさっと流れへ乗り出し、暗闇の川へ消える。
 この暗い流れの行く先に苦しみのない世界が待っているのだろうか。
 いつの日か私《わたくし》という地獄から抜け出すことができるのだろうか。
 魔虫の蠢く頰が川面に揺れる。
「仏の呼びかけ。まことの呼びかけ」
 そっとつぶやいてみると、ほのかなぬくもりが胸にしみた。


 了


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