風になりたい

自作の小説とエッセイをアップしています。テーマは「個人」としてどう生きるか。純文学風の作品が好みです。

『生煮えの鮒 』第三話 『魔虫』 (純文学小説)

2011年02月26日 14時07分55秒 | 純文学小説『生煮えの鮒』(全4話)
 
 隙間風が吹きこむ。
 焚き火が揺れる。
 私は伏せた顔をあげ、裟弥を見つめた。裟弥の顔は微笑んでいるようにも見えた。話すのなら、今しかない。彼しかいない。
「私は自分の気が狂ってしまったのではないかと思い、空恐ろしくてならないのです」
 私はそっと裟弥の顔色を窺った。裟弥は黙って頷き、話を続けるようにと目で促す。
「初めは錯覚だと思いました。役所の机で書類を書いておりますと、ふとした拍子に、隣に坐っている同僚の顔に蛆虫のようなものが蠢いているのが見えたのです。私は上げそうになった声を飲みこみ、それからすぐに思い直しました。死人や重病人でもあるまいし、生きている人間の顔に蛆の湧くはずがありません。仕事がたてこみ、おまけに例年にない厳しい暑さの続いていた頃でしたから、疲れて目がかすんだかなにかでそう見えただけに違いない。そう思ってしばらく目を閉じてから、同僚に気づかれないよう彼の頰を盗み見しました。思ったとおり、蛆虫の姿は見当たりません。私はほっと胸をなでおろしました。
 ですが、あくる日、役所の机で筆を走らせていると、また彼の頰に蛆虫が見えるではありませんか。今度は思わずつりこまれて、まじまじと見つめてしまいました。よくよく見てみれば、それは蛆虫などではなく、茶色がかった細長い毛虫でした。ほんの小さな虫で、小指の先ほどの長さくらいでしょうか。つんつんとした細かい毛が体一面に生えていました。
 人の肉を喰らう恐ろしい毛虫です。頰のあたりにびっしりとひしめき合い、頰の肉を食い破っていました。それなのに、同僚は痛そうな素振りさえ見せません。私の視線に気づいた同僚が怪訝そうな顔をしたので、私はとっさにごみがついていると合図しました。彼は頰を払って照れくさそうにします。毛虫はぱらぱらと床へ落ちたのですが、彼は平気なままでした。払った手に毛虫が何匹か残っていますが、それにも気づきません。彼の頰の肉は赤くむき出しになり、柘榴《ざくろ》の実のようでした。
 私は井戸へ行き、冷たい水で顔を洗いました。ざっと顔を拭い、目にじかに水をかけて洗い流しました。毛虫の残像が目に焼きつき、離れてくれません。あんな毛虫が頰に巣食えば誰だってわかります。でも、同僚は一向に気づいていませんでした。そうです。私の気が狂ったのです。だからあのようなものが見えたのでしょう。なんの罰だかは知りませんが、とうとう私の気が狂ってしまったのです。
 いつか狂ってしまうのではないかと前からそんな予感がしていました。人前でこそなんでもないように振舞っていましたが、いつも胸に圧迫感があって、すっと気分の晴れることがありませんでした。人の言った何気ない言葉を妙に勘繰っては、ああでもない、こうでもないと思い悩み、考えれば考えるほど袋小路に入ってしまうようで、人の言葉や態度を必要以上に気に病んでしまうのです。こんなことを続けていればそのうち狂ってしまうだろう。そう思っておりました。
 私の症状は急速に悪化しました。
 ほかの同僚の顔にもあれが見え、上司の顔にも見え、友人、北面の武士、町の商人、道行く僧侶の顔にもと、誰の顔にも例の毛虫の姿を見つけ出しました。あの姿だけは、何度見ても慣れません。見るたびにぞっとして、心がさっと焼け焦げるようです。心臓がきゅっと締まって血液が逆流し、自分の頰もひりつくように焼けてしまうのです。私は、いつも鬱陶しい顔をしていると人に言われるようになりました。あれが見える度に、苦い気持ちを隠しきれないからでしょう。次第に、人と話をするのが億劫になり、相手の顔に毛虫が見えればそそくさと話を切り上げてその人から離れるようになりました。
 こんなことは誰に言えません。気が狂ってしまったなどと人に知られたら、宮仕えができなくなってしまいます。近頃の人々はやたらめったに自分の直感ばかりを信じて迷信深いですから、私自身も、家内の者も、穢れ者のように扱われてひどい目にあわされてしまします。世間からつまはじきです。家族に内緒でこっそり薬師を訪ねてみましたが、よくなりません。寺籠もりをして心を清めようと試みましたが、効き目はありません。どうしたものかと途方に暮れるばかりです。
 そんなある日のことです。私が一番初めに例の毛虫の姿を見つけた隣の机の同僚が、ほかの同僚とくだらないことで諍いを始めました。喧嘩の原因は、塩という字をどう書くか、『塩』と書くのか、それとも『鹽』と書くのが正しいのかということでした。通じればそれでいい話なので、どちらで書いてもかまわないのですが、お互いに自分のほうが正しいと言い張って譲りません。小姑根性とでも呼べばいいのでしょうか。いったい、今の世の人は、どうでもいいことで相手に難癖をつけては相手より自分が優位に立とうとしているように見えてなりません。無意味な競争をして、それで勝ったと悦に入るのが人間なのでしょうか。無意味な競争で負けたからといって、相手を憎むのが人間の性なのでしょうか。もっとも、この諍いには伏線がありました。これも次元の低い話なのですが、二人は白拍子の女を取り合ってお互いを敵視していたのです。そんなことで相手を許せなくなるのですから、人間とは次元の低い動物なのかもしれません。もちろん、私を含めての話です。
 罵り合う二人の顔が真っ赤になった、と思ったとたん、例の毛虫がさっと顔一面に広がりました。汗が流れ落ちるように、二人の頭から毛虫がぽたぽたと垂れ落ちます。二人の顔は蛆に食い尽くされた屍のようでした。見ていられません。髪も、耳も、額も、顎も、すべてを覆いつくした毛虫が彼らの顔の肉を貪り喰っているのです。私は胃の底からこみあげてくるものを覚え、急いで厠へ走りました。
 具合がおかしくなって仕事どころではなくなってしまった私は早退して家へ帰ったのですが、これだけでは終わってくれませんでした。
 日が暮れた頃、祖父の残した荘園の処分について相談したいと叔父がやってきました。相談とは言いながら、叔父はすべて自分が取ってしまう腹積もりで、私の父が熊野詣へ出かけている隙を見計らって私を丸めこみにきたのです。下卑た作り笑顔を浮かべる叔父の顔に例の毛虫が瞬く間に広がります。言葉巧みに取り入ろうとする叔父の話を遮り、さっさと帰ってもらうことにしました。私は叔父とやり合うどころではなく、気分が悪くてしかたありませんでした。叔父は弱り果てた私の顔を見て、にやりと笑います。その瞬間、毛虫が叔父の耳から滝のように次々と零れ落ちました。
 叔父に引き取っていただいた後、私は縁側で涼みながら苦しい息を整えようとしました。独りにしておいて欲しかったのですが、妻がそばへやってきてぺたりと坐りこみます。妻は叔父の話があんまりだと腹に据えかねたようでした。もちろん、私にしろ腹が立っていることには変わりありません。『恒産なくして、恒心なし』と『孟子』に書いてありましたが、どうやらそれは嘘のようです。嘘と言うのが言い過ぎなら、孟子は人の欲深さがあまりわかっていなかったのではないでしょうか。恒産があれば、もっと欲しいと思うのが人間の性なのだと私は思います。恒産があれば、よけいに人と張り合うようになり、人よりももっと欲しい、あれも欲しい、これも欲しいと欲を張るのが人間なのではないでしょうか。人間の欲には切りがありません。恒心は恒産から生じるのではなく、もっとほかの別のものから生まれるものなのではないでしょうか。
 私は妻の繰言を適当に聞き、適当に相槌を打っていました。これも夫の務めです。ふと気づくと、彼女の頰にあれが蠢いていました。鶉卵くらいに広がった例の毛虫が、何重にも折り重なって妻の頰を貪っているのです。それまでいくらあれを見ても、つまるところ他人の毛虫でした。家の者にだけはあれが見えず、私にとってはそれが唯一の救いでした。家だけが安らぎの場でした。ですが、妻でさえ例の毛虫を飼っている。そう思うと、私は居場所のない気持ちにさせられてしまいました。身の置き所がなくて、やりきれません。自分で言うのもおこがましいかもしれませんが、気立てがよくて普段は欲を張ったりしないつつましい女です。とはいえ、やはり財産の話となると例の虫がうずいてしまうのでしょうか。
 その時、ようやく私は気がつきました。
 例の毛虫が現れるのは、欲や見栄といった人のどす黒い気持ちが心に広がった時です。思い上がった気持ちで心が膨れると、あれが活動し始めるようです。世間の人はみな、他人も、親しい友人も、親も兄弟も、そして妻でさえも例の毛虫を心に飼っています。私にも、あれが巣食っているのでしょう。自分の顔だから見えませんが、見る人が見れば、私の頰に蠢いているあの虫の姿が見えるのに違いありません。
 人がみな嫌らしいものに見えて、誰も信じられなくなりました。心が擦り切れてしまいました。人が穏やかな気持ちでいる時には、あれは現れません。ですが、浅ましい思いや邪な思いが少しでも心に芽生えると、例の毛虫はすぐに蠢きます。あれは子供以外のどんな人の頰にでも現れます。例外はありません。すれっからしや業突く張りはもちろんですが、世間の善人として振舞っている人にも、自分は悪いことなどしないと固く信じこんでいる人間にも等しく現れます。私は、いつ毛虫が蠢くのかと怯えながら人と話し、頰に見えるあれを見て見ぬ振りをしながらうわべだけをとり繕い、外の人たちとも、家の者たちとも付き合ってきました。ですが、もう限界です。いっそのこと、狂いきってしまったほうがどんなに楽でしょう。自分を処分したほうがよいのではないかとさえ思います。生煮えの地獄を生きているようで、どうにもつらいのです」
 私は語り終え、じっとうなだれた。


(続く)

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