風になりたい

自作の小説とエッセイをアップしています。テーマは「個人」としてどう生きるか。純文学風の作品が好みです。

フランスへ厄介払い(連載エッセイ『ゆっくりゆうやけ』第366話)

2017年08月10日 01時15分15秒 | 連載エッセイ『ゆっくりゆうやけ』
 上海へ里帰りしている家内の姪が友達と遊びに出かけるというので繁華街まで送っていった。我々夫婦はその足で買い物をする予定だった。姪っ子は高校二年生だ。
 タクシーに乗っていると、姪っ子は友達に電話を掛ける。ふだん、家の中で姪っ子は内弁慶全開で騒いでいるのだが、友達へ電話する時は、華やいだかわいらしい声を作る。お人形さんのような声だ。
「あなた、この声をどう思う?」
 家内が訊いてくるので、
「かわいいふりをしてるな」
 と僕は率直に言った。
「あなたはこういうのが好きなんでしょ」
「若かった頃は、かわいいなって思ったよ。だけど、今振り返ってみると、なんだかだまされていたような気がしないでもない。かわいいふりをする裏側を見抜けていなかった」
「女の子はみんなかわいいふりをするものよ」
 姪っ子たちの集合場所へ行くと、彼女の同級生が集まっていた。四五人のグループでいっしょに遊ぶようだ。そのなかに男の子が一人いた。すうっと鼻の通ったいい顔立ちをしている。育ちのよさそうな、勉強のできるおぼっちゃんといった風貌だった。姪っ子を送り届け終え、僕たち夫婦はアイスコーヒーを飲みに行った。
「姪っ子はね、あの男の子と遊ぶのが好きなんだって」
「年頃だから、気になる男の子はいるだろうね。彼氏がいてもおかしくない歳だもの。彼は性格がよさそうだし、付き合ってみればいいんじゃないの?」
「違うのよ。そんなんじゃないわ。彼は男しか好きになれないんだって。完全に女の子の性格なのよ。それで、姪っ子とは気が合うみたい」
「なるほど。そういうことか」
「でもね、あの男の子はとてもかわいそうな子なのよ」
 家内は彼の家庭について語りだした。
 彼の父親は上海市内のとある会社のオーナー社長をしている。商売に成功して、かなりの資産家だ。ところが、彼の父親は中国の成金にありがちな行動を取った。彼の母親と離婚して、若い娘と再婚したのだ。家内によれば、中国の成功した男は、元の妻を捨てて若い娘と再婚したがるものなのだそうだ。どれだけ若い妻を抱えているかが成功者のステータスにもなるのだとか。よくわからない基準だけど、彼らの間ではそうなるのだそうだ。
 父親と再婚した若い娘は彼の異母弟を産んだ。このために、父親にとって彼は不要な存在となってしまった。父親は彼を厄介払いするために、彼をフランスへ留学させることにした。夏休みの終わりには、彼はフランスへ旅立たなくてはならない。
「お前の弟をじっくり育てたいから、お前は邪魔だ。だからフランスへ行っておけ、もう中国へは帰ってくるな、俺の邪魔をするな、ということよ。家も会社も弟のほうに継がせるつもりなのよ」
 家内は言った。
 歴史の本を読んでいると、若い妻を娶り、新しい子供のできた殿様や王様が、前妻の産んだ上の子を厄介払いして、新しい子供のほうに家督を譲る話が手を変え品を変え繰り返し出てくるけど、それとまったくおんなじだなと思った。
 彼は人の羨むようなお金持ちの家に生まれた。恵まれているはずだった。だが、母親は父に捨てられ、父親が必要な時期に、父親にも捨てられた。彼は性同一障害だということだから、普通の人に比べれば生き方がいささかむつかしくなる。それだけに、よけいに父親の支えが必要だろう。
「それが彼の運命ということなんだろうけどねえ」
 話を聞いていて複雑な気持ちになった。フランスへ留学したくてもさせてもらえない人はいくらでもいるし、彼はお金には不自由しないという恵まれた境遇にある。だけど、今の彼が幸か不幸かといえば、決して幸せだとはいえないだろう。姪っ子たちの集合場所で見かけた彼はにこにこ笑っていたけど、心は深く傷ついているはずだ。
 それが彼の運命で、つまりは、彼自身が乗り越えるべき試練だとすれば、彼はその壁を乗り越えるしかないわけなのだけど。普通の男の子が背負うには酷な課題ではあるけれど。
「お金があるのと幸せなのは、まったく別のことなのよ」
 上海人の家内は常々こう口にする。その意味がまたひとつわかった気がした。


(2016年7月25日発表)
 この原稿は「小説家なろう」サイトで連載中のエッセイ『ゆっくりゆうやけ』において第366話として投稿しました。
 『ゆっくりゆうやけ』のアドレスは以下の通りです。もしよければ、ほかの話もご覧ください。
http://ncode.syosetu.com/n8686m/


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