風になりたい

自作の小説とエッセイをアップしています。テーマは「個人」としてどう生きるか。純文学風の作品が好みです。

広州アジア競技大会前夜 (連載エッセイ『ゆっくりゆうやけ』第45話)

2011年07月27日 06時30分15秒 | 連載エッセイ『ゆっくりゆうやけ』
 
 二〇一〇年十一月十二日から、広州でアジア競技大会が開催される。
 準備は着々と整っているようだ。広州の南部には選手村が建設され、各競技会場の建設も終わった。会場のそばには羊のマスコットが飾られていたりする。ちなみに、広州の愛称は羊城。マスコットキャラククターはそれにちなんで制作された。
 サッカー場やバスケットコートなどがある体育中心のそばを散歩していたら、濃緑色の制服を着た武装警察がそこかしこに立っているのを見かけた。武装警察の一個小隊が、手足をぴんと伸ばしながら会場の付近を行進していたりもする。まさに厳戒態勢だ。
 地下鉄駅では荷物検査が始まった。
 地下鉄に乗るためにいちいちX線検査機にリュックを通さなくてはいけないので面倒くさいことおびただしい。大イベントはみんなそうなのだけど、イベントに絡む商売をしている以外のごく普通の一般住民にとって、あまりいいことはない。交通規制やらなんやらでいろんなことがやりにくくなってしまう。
 ビジネスでも影響が出ている。広州一帯ではビルなどの建設工事が禁止になった。中国の建設工事は防塵対策をしないので、埃がそこらじゅうに飛び散ってしまう。建設規制は、工事による大気汚染を防ぐためだ。僕の勤め先もこの規制にひっかかり、新倉庫の建設がアジア競技大会の後に開催されるアジアパラリンピック以降まで凍結となった。
 高速道路にも検問所ができて、時々、検査のために車をとめられたりする。十一月からナンバーによる交通規制が始まるので、不審者対策も兼ねて設置されたようだ。検問所にはライフルをかかえた警察がいるので、あまりいい気持ちはしない。
 ビザの取得も以前より手間がかかるようになった。
 通常、一大イベントを開催する場合は、ビザの取得要件を緩和したりして、外国からどんどん見物客を招くものなのだけど、中国の場合は反対だ。北京オリンピックの時はビザの発給を制限して、なるべく外国人がこないようにした。あの時は観光ビザも取れなかったうえに、ビザなしで入国しても、その延長が困難だった。今回も、北京五輪時のような厳しいビザ発給制限とまではいかないけど、地方政府はなるべく外国人を減らすようにしているらしい。
 パスポートを携帯していないと罰金五百元だそうで、公安は時々、外国人に対する一斉検査を実施している。主に、外国人宿泊客の多いホテルの付近にある飲食店へ立ち入り検査を行なうようだ。僕の知り合いは五つ星ホテルの近くにあるマクドナルドでハンバーガーを食べていたら、公安にパスポートを見せろと言われたそうだ。僕も、日本焼酎バーでとんこつラーメンを食べていたら公安にパスポート、就労許可証、臨時住居登録証の提示を求められたことがあった。
 中国人の友人によれば、外国人が大勢きたのでは混乱してしまうので、そうしているのだとか。その話を聞いた時、僕は驚いてしまった。
「なんで? アジア競技大会はアジアの大会なんだよ。中国の大会なら、外国人を制限するのはわかるけど、アジアの代表として広州で開催してるわけだから、アジア人にきてもらうべきだよ。そのほうが大会が盛り上がるんだから」
 僕は彼にそう言ったのだけど、彼はぴんとこないようで、
「とにかく、外国人が大勢きたら人が多すぎて混乱してしまうよ。外国人にめちゃくちゃされたら困るじゃない。政府もそう言っているよ」
 と、なに喰わぬ顔で平然と言う。
 よく言えば、彼は政府の言うことを素直に受け取っているようだ。悪く言えば、自分の頭で物事を考えていない。一般的に言って、中国人は目の前に置かれた現実にはめっぽう強いし頭もいいけど、自分の半径三十センチを越えた事柄に関しては驚くくらい政府の言い分を鵜呑みにする。
 このような外国人を制限するという考え方はおそらく、チャイニーズスタンダードというべきもので、国際社会では通用しないものだろう。アジア競技大会は中国のものではない。すべてのアジアの国のものだ。このような考え方はアジア競技大会の私物化にほかならない。「誘致に成功したからにはうちのもの」という発想しかできないのは、理解に苦しむ。
 もっとも、これが中国文明の限界といえばそうなのだけど。この国には公《パブリック》という発想がない。すべてが私《プライベート》の延長線上にしかない。アジア競技大会のような政府事業にしてもそうだ。社会の公共性を重視するということは、中国ではほとんどないと言っていい。
 一大イベントなので警備を厳重にするのは理解できる。
 なにがなんでも成功させたいという地方政府の意気込みも理解できる。
 しかし、開かれたイベントを開催できない国が、開かれた国になるはずがない。経済発展にしたがって中国の民主化も進むという意見をちらほら見かけるけど、そんな意見を言う人ははっきり言って中国の実情をまったく知らない人だ。北京オリンピック時のビザ発給制限や今回の件を見てもわかるように、中国が開かれた社会になるのはまだまだ遠い先の話だろう。




 この原稿は「小説家なろう」サイトで連載中のエッセイ『ゆっくりゆうやけ』において第45話として投稿しました。2010年10月31日発表です。 『ゆっくりゆうやけ』のアドレスは以下の通りです。もしよければ、ほかの話もご覧ください。
http://ncode.syosetu.com/n8686m/



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