風になりたい

自作の小説とエッセイをアップしています。テーマは「個人」としてどう生きるか。純文学風の作品が好みです。

ニーハオ――中国の田舎では使わない言葉(連載エッセイ『ゆっくりゆうやけ』第53話)

2011年08月24日 23時18分22秒 | 連載エッセイ『ゆっくりゆうやけ』
 
 いちばん最初に習う中国語は、やはり「你好(ニーハオ)」だ。日本人の場合、わざわざ教えられなくても知っている人がほとんどだろうけど、語学はあいさつの言葉から学び始めるのがお約束だから、とりあえず勉強することになる。「你好」の意味は、もちろん「こんにちは」。
 ところが、日本人でも知っている「你好」が中国の田舎で通じなくてびっくりさせられたことがあった。
 以前、雲南省の農村出身の友人が帰省する時にいっしょに連れて行ってもらったのだけど、出会った村人たちに「你好」とあいさつしてみても、みんなきょとんとするだけだ。なにも話さず、ただ不思議そうに僕の顔を見る。ぽかんと口を開ける人もいる。
 不思議に思った僕が、
「いくら標準語が通じにくいといっても、みんな你好くらい知っているよねえ」
 と友人に訊いてみると、
「このあたりじゃ你好なんて言わないわよ。あいさつする時は『ご飯を食べた(吃饭了吗)?』とか『どこへ行くの(你去哪里)?』って言うものなのよ」
 と、説明してくれた。
 田舎の農村のことなのでみんな顔見知りだから、そもそも知らない人にあいさつをする機会がない。だから、彼らの方言にはそれにあたる言葉もない。日本語で言えば「こんにちは」という言葉がないようなものだ。
「使い慣れない言葉で呼びかけられたから、みんなびっくりしちゃったのよ」
 彼女は楽しそうだった。
 夜、村のおじさんたちといっしょにお酒を飲んだ。
 おじさんたちは、
「あいさつすんときはやな、你好って言うんや。これからは標準語くらい話せんとあかんなわな」
「そうやで。これからの時代はやっぱり標準語やで」
「標準語を話せたら誰とでも話ができるしな」
「当たり前やん。標準語は中国人共通の言葉なんやから」
 などと口々に言い、お互いに肩を叩きあって盛り上がる。
「你好、你好。カンパーイ」
 挙句の果ては、你好という言葉を肴にして乾杯までしてしまった。
 いったいどこの国の人やねんとツッコミたいところだけど、国土も広大だし、十三億人もの人口がいるのだから、全員に同じ言葉で話しましょうといってもむりがあるのだろう。あるいは、日本人が「これからは英語くらい話せなくっちゃねえ」と言うのと似ているのかもしれない。実際、おじさんたち自身はがんばって標準語で話しているつもりなのだけど、訛りがきつくてよくわからないことも多かった。会話に行きづまると、友人を呼んで標準語と方言の通訳をしてもらった。もっとも、言葉が通じなくてとんちんかんなやりとりになっても、それがまたおかしくて笑い転げたりもするのだけど。あたたかく迎え入れてくれて楽しかった。
 翌日、村を散歩していると、
「你好っ」
 と笑顔で呼びかけられた。ゆうべいっしょに酒を飲んだおじさんだった。




 この原稿は「小説家なろう」サイトで連載中のエッセイ『ゆっくりゆうやけ』において第53話として投稿しました。 『ゆっくりゆうやけ』のアドレスは以下の通りです。もしよければ、ほかの話もご覧ください。
http://ncode.syosetu.com/n8686m/



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