キップルさんがなろうに顔を出さなくなってからずいぶん経った。
もうかれこれ十か月くらいになるだろうか。
僕はキップルさんの作品が大好きだ。
なにより、彼の詩人としての感性とやさしさに惹かれる。キップルさんが投稿した作品はすべて読んだ。
音楽神話を描いた短編小説『スティーヴ・ゴッドの短くも幸福な人生~神業とかみさんの日々~』で奇抜なアイデアに腰を抜かし、散文詩『たどり着けないイブ』ではしみじみした。詩『ねじ式』を読んで生きることについて考えさせられた。詩『草を食むものたち』ではエスプリとユーモアを楽しんだ。
彼は詩人なので、詩がいちばん多いのだけど、大人の味わいのあるエッセイも面白い。まだまだほかにも素敵な作品がいっぱいある。
感想を送ろうかと迷ったのだけど、あの頃はなろうに参加し始めてからまだ日も浅かったし、もともと人見知りの激しい性格の僕ははずかしくてなかなか送れずにいた。
そんなある日のこと、突然、キップルさんから感想をいただいた。おまけに、僕をお気に入りユーザー登録までしてくださった。僕は舞い上がってしまいそうだった。僕もさっそくキップルさんをお気に入りユーザー登録させていだたいたのだけど、お気に入りに矢印が入ったのを見て、心臓がバクバクしてしまった。
それから、すこしばかり感想のやりとりやメッセージを交換した。思ったとおり、キップルさんはやさしい詩人だった。基本的に人間のできた人なのだけど、自分の世界をしっかりもっている。表現には頑固だ。そこがまたいい。僕はまたまた嬉しくなってしまった。
ところが、彼との交流はごく短い間で終わってしまった。
キップルさんは、幽霊の存在を感じたというエッセイ『玉川温泉での不思議な気持ち』を最後にふつりと作品を投稿しなくなった。あらためて続きを書くとあったので楽しみにしていたのだけど……。なろう自体にも顔を出さなくなったようだ。
キップルさんが書いた報告活動によれば、長い間入院していたのだけどぶじに退院することができて自宅へ戻り、社会復帰に向けて体力作りに励んでいるとのことだった。
職場へ戻って慌しい日々を送っているのだろう。それで、なろうに作品を出す時間も、顔を出す暇もなくなってしまったのかもしれない。仕事が忙しいのはいいことだ。きっと、ばりばり働かれておられるのだろう。どこかで元気にされているに違いない。
でも、やっぱりさみしい。
友達がふらりと転校してしまったようだ。
――キップルさんが帰ってきてくれないかなあ。
そんなふうに思いながら、いままで彼の作品のレビューをいくつか書かせていただいた。僕のマイページのお気に入りユーザー欄は、いつもキップルさんの名前が出るようにしている。
またいつか、キップルさんの新作を読めたらいいな。
(2010年12月24日発表)
この原稿は「小説家なろう」サイトで連載中のエッセイ『ゆっくりゆうやけ』において第67話として投稿しました。 『ゆっくりゆうやけ』のアドレスは以下の通りです。もしよければ、ほかの話もご覧ください。
http://ncode.syosetu.com/n8686m/