いろんなことがあった金曜日の夜、
居残り組でいっしょに事務所の戸締りをし、
駅へとむかう別れ際にこう言われました。
「ところで、今夜は真央ちゃん見て下さいね。
あの演技、ジャンプ、ぜんぶ終わったときの表情、
もう、素晴らしかったんですから!」
テレビを見る習慣がほとんどなく、
ソチ・オリンピックも全然みていない私を知っての「助言」でした。
「へ~、そうなん。じゃ、今夜は見るわ」
別段ポリシーがあって見ていないわけではないので
帰宅後いそいそとテレビの前にスタンバイ。
トップニュースになっていた真央ちゃんを見ました。
で、やっぱり
じわ~
すべてが終わり、一瞬のあと天を見上げ、
ぎゅっとつむった目からこぼれ落ちる真央ちゃんの涙に
こちらもこみ上げるものがありました。
「ありがとう、教えてくれて! 見てよかった!!」
興奮のままに、そうメールしようかと思って、
まてよ、と思いました。
そのとき、すでに涙が引っこんでいたからです。
ほかの方がどうだったかはわかりません。
でも、私にとってこれは、条件反射の涙、のようでした。
目の前の人が泣いていたら思わずうるうる来る、
つまり、もらい泣きです。
あ~我ながらなんと単純…と嘆いたところで、
思い出したことがありました。
バッシングの嵐を受けたドラマ、『明日、ママがいない』の一場面です。
テレビを見る習慣がないので(本当です!)
こちらもまったく興味なしだったのですが、
第2話が終わったところでスポンサーが全部降りたと知って
それはぜったい見なければ!と急にいきりたち、
第3話からは欠かさず熱心に見ています。
そして毎回…
ぐらぐらと深く揺り動かされるのを感じます。
前回の放送はとくに、そうでした。
詳しいストーリーは割愛します。
が、印象的だったのがこんなシーン。
ふだんはもの静かで心優しい施設の仲間が警察ざたを起こし、
「このままじゃ施設の子は乱暴で怖いって言われます」
「あの人をここから追い出してください」
と施設長に迫る子どもたち。
いつもはその彼を兄貴分として慕っていた子どもたちの豹変ぶりに
施設長は怒りを押し殺した声で、なぜか
「おまえら、全員、枕もってこい!」と叫びます。
そうして全員、枕を抱いて輪になって座らせ、語りはじめるのです。
――お前らは世間からどう見られるかを恐れ、
事情も分からぬままに彼を排除しようとしている
――でもそれは、あまりに表層的な判断にすぎやしないか?
――お前らが知っている彼は、理由もなく暴力をふるうような
本当にそんなやつだったか?
お前らは一度でも、やつからそんな扱いを受けたのか?
――彼にレッテルを貼ろうとするやつらをつかまえて
私の知ってる彼はそんな人じゃありませんと、
なぜそいつらの目を見て説明しようとしない?
彼をかばおうとしない?
そして、こう続けるのです。
――大人にはムリなやつもいる。こり固まった心の人間も多い。
でも、お前たちはまだ子どもだ。子どもには、やわらかい心がある。
心にクッションがあるからだ。
――その心のクッションで、目の前で起きたことを
一度すべて受けとめてみるんだ
――そうして本当の自分の感情を見つめてみなさい
…と、だいたいこんな意味のセリフだったと記憶します。
子どもたちは枕を抱きしめながら、施設長の言葉にぽろぽろ涙を流し
画面のこちら側で私もいっしょに枕を抱きしめていて
そのうえに、ぽとぽと涙が落ちていました。
…条件反射ではない涙だったようで、
ドラマが終わったあともしばらく、ぽとぽとがつづきました。
そして、気づきました。
あぁこれは、ドラマに浴びせられた数々のバッシングのことを言っているのだ、
スポンサーがすべて降り、内容変更まで迫られた、
その孤立無援への悲鳴であり抗議でもあるのだ、と。
メール、ツイッター、ライン。
いろんなツールの登場で、私たちはたぶん
「瞬時に」反応することを無言に強いられていて
そのせいか「条件反射」のような
表層的な感想ばかりがうずまいているように感じます。
その大波のうずにまきこまれるという点では
真央ちゃんも、『明日ママ』も、私たち自身も同じなのかもしれません。
心のクッション。
忘れないように、小さな枕をスーツケースに入れました。
…いえ、いつもの添乗の安眠グッズです。
明日から、冬のパリ&ロンドンなのです。
あ~早く寝よ。
***************************************
貸切バス・オーダーメイド旅行のご相談は…
銀のステッキ旅行
TEL 0797-91-2260(平日8:30~17:00)
■公式ホームページ:http://www.gin-st.com
■銀ステ旅先案内人:http://ameblo.jp/arailuka
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居残り組でいっしょに事務所の戸締りをし、
駅へとむかう別れ際にこう言われました。
「ところで、今夜は真央ちゃん見て下さいね。
あの演技、ジャンプ、ぜんぶ終わったときの表情、
もう、素晴らしかったんですから!」
テレビを見る習慣がほとんどなく、
ソチ・オリンピックも全然みていない私を知っての「助言」でした。
「へ~、そうなん。じゃ、今夜は見るわ」
別段ポリシーがあって見ていないわけではないので
帰宅後いそいそとテレビの前にスタンバイ。
トップニュースになっていた真央ちゃんを見ました。
で、やっぱり
じわ~
すべてが終わり、一瞬のあと天を見上げ、
ぎゅっとつむった目からこぼれ落ちる真央ちゃんの涙に
こちらもこみ上げるものがありました。
「ありがとう、教えてくれて! 見てよかった!!」
興奮のままに、そうメールしようかと思って、
まてよ、と思いました。
そのとき、すでに涙が引っこんでいたからです。
ほかの方がどうだったかはわかりません。
でも、私にとってこれは、条件反射の涙、のようでした。
目の前の人が泣いていたら思わずうるうる来る、
つまり、もらい泣きです。
あ~我ながらなんと単純…と嘆いたところで、
思い出したことがありました。
バッシングの嵐を受けたドラマ、『明日、ママがいない』の一場面です。
テレビを見る習慣がないので(本当です!)
こちらもまったく興味なしだったのですが、
第2話が終わったところでスポンサーが全部降りたと知って
それはぜったい見なければ!と急にいきりたち、
第3話からは欠かさず熱心に見ています。
そして毎回…
ぐらぐらと深く揺り動かされるのを感じます。
前回の放送はとくに、そうでした。
詳しいストーリーは割愛します。
が、印象的だったのがこんなシーン。
ふだんはもの静かで心優しい施設の仲間が警察ざたを起こし、
「このままじゃ施設の子は乱暴で怖いって言われます」
「あの人をここから追い出してください」
と施設長に迫る子どもたち。
いつもはその彼を兄貴分として慕っていた子どもたちの豹変ぶりに
施設長は怒りを押し殺した声で、なぜか
「おまえら、全員、枕もってこい!」と叫びます。
そうして全員、枕を抱いて輪になって座らせ、語りはじめるのです。
――お前らは世間からどう見られるかを恐れ、
事情も分からぬままに彼を排除しようとしている
――でもそれは、あまりに表層的な判断にすぎやしないか?
――お前らが知っている彼は、理由もなく暴力をふるうような
本当にそんなやつだったか?
お前らは一度でも、やつからそんな扱いを受けたのか?
――彼にレッテルを貼ろうとするやつらをつかまえて
私の知ってる彼はそんな人じゃありませんと、
なぜそいつらの目を見て説明しようとしない?
彼をかばおうとしない?
そして、こう続けるのです。
――大人にはムリなやつもいる。こり固まった心の人間も多い。
でも、お前たちはまだ子どもだ。子どもには、やわらかい心がある。
心にクッションがあるからだ。
――その心のクッションで、目の前で起きたことを
一度すべて受けとめてみるんだ
――そうして本当の自分の感情を見つめてみなさい
…と、だいたいこんな意味のセリフだったと記憶します。
子どもたちは枕を抱きしめながら、施設長の言葉にぽろぽろ涙を流し
画面のこちら側で私もいっしょに枕を抱きしめていて
そのうえに、ぽとぽと涙が落ちていました。
…条件反射ではない涙だったようで、
ドラマが終わったあともしばらく、ぽとぽとがつづきました。
そして、気づきました。
あぁこれは、ドラマに浴びせられた数々のバッシングのことを言っているのだ、
スポンサーがすべて降り、内容変更まで迫られた、
その孤立無援への悲鳴であり抗議でもあるのだ、と。
メール、ツイッター、ライン。
いろんなツールの登場で、私たちはたぶん
「瞬時に」反応することを無言に強いられていて
そのせいか「条件反射」のような
表層的な感想ばかりがうずまいているように感じます。
その大波のうずにまきこまれるという点では
真央ちゃんも、『明日ママ』も、私たち自身も同じなのかもしれません。
心のクッション。
忘れないように、小さな枕をスーツケースに入れました。
…いえ、いつもの添乗の安眠グッズです。
明日から、冬のパリ&ロンドンなのです。
あ~早く寝よ。
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TEL 0797-91-2260(平日8:30~17:00)
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