銀ステ根なし草

銀のステッキ旅行・スタッフの雑記帳

インド旅行 旅日記 2016

2019年12月22日 | 見かけだおしNのつぶやき

先日、インドの説明会を実施しました。

何が一番大変だったかと訊かれ、正直に答えました。

マサラ料理、香辛料にあたると、よく言いますが、本当のところ、

人にあたるが正解かも。

それを率直にお話ししたところ…

じゃあ、私苦手かも、と、あっさりキャンセルされる方も、、、

それは困ります。

なので、古いブログを引っ張ってきましたので、

当時の思いをご覧ください。。

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北インド、タージ・マハルとベナレスを旅して

~添乗員日記より~

①初日

 

本日は、移動日。関西空港より香港経由でインド・デリーへ。約10時間半の長旅となりました。

すでに関西空港出発時に1時間の遅れもあって、これからのインド旅行を占うようでした。

2度の機内食は、①カレー②カレー・・・

初体験の細長いインド米に「しらす?」「ココナッツ」と皆さん興味深々・・・でもお味は?!

パサパサの触感には正直参りました。

さてインド・デリー空港に到着は、夜も遅く21:00をまわっていました。

しかも荷物がなかなか出て来なくて、心配しました。

他社のインド専門ツアーの添乗員さんによると「これでも今日は早い方ですよ!」と??

またインドの共和l国記念日(1/26)が近いとあって、空港内の物々しい警官の数にも圧倒されました。

今日から安倍首相も3週間前に宿泊されたというホテル「タージ・パレス」に3連泊です。

 

②2日目

初日の朝食(ホテル内)は、皆さん「インド料理」にまだ?興味もあって珍しい食材に

果敢にチャレンジされていました。

まろやかなヨーグルトや、

ジャガイモのスパイス炒めが入ったドーサと呼ばれるパリパリのクレープに、

普段はコーヒー派の方も「ここはお紅茶が美味しいね」と、この頃はインド食にも抵抗ない様子・・・・

 

本日の観光テーマは「デリー三大世界遺産を訪ねて」。

①クトゥブ・ミーナール

(インド最初のイスラム王朝時代に建設されたヒンドゥー教徒との戦いに勝利した際の記念塔です。)

青空広がる中、空を突き抜けるようなミナレット(尖塔)の装飾も美しく。

②フマユーン廟

(タージ・マハルに影響を与えたムガル帝国第2代皇帝お墓で、インドイスラム建築の傑作といわれています。)

赤砂岩と白大理石のコントラストが際立っていました!

③ラール・キラー

(ムガル帝国第5代皇帝により建設された城塞「赤い砦」)

内部は非公開の場所も多く、赤砂岩の壁と門構えだけの見学でしたが、

頑強な赤い城は圧巻でしたね。

 

インド門は、独立記念日前とあって、

またパキスタンとのきな臭い状況下で、厳重な警備体制のもと、車窓見学となりました。

隣国パキスタンとの摩擦、こんなニュースも現地ならでは。

遠く日本では、知らなかった現実を間近に感じることになりました。

 

さて、ガイドさんの計らいでシク教の寺院「バングラサーヒブ・グルドワラ」にも足を運びました。

ちょうど、祭りの日だったようで、夜遅くまで明かりが灯され賑わっていましたね。

そして私が一番驚いたのは【グル・カ・ランガル】と呼ばれる共同食堂。

シク教の“宗教、カースト、肌の色、信条、年齢、性別、社会的地位に関係なく、

すべての人々は平等である”という教義を守るために500年近く続いている習わしです。

食堂で使われる食材は全て寄付によるもので、働くスタッフも全て無償労働。

誰もが、ここで無料で温かい食事をとることができるのです。

そしてそれは毎日提供されているのです。何百人もの数のです。

裸足で参拝するため、足先が冷たく、そろそろ限界を感じ始めたころ、靴下を履いた時のその温かさ。

じんじんと身体に、そして心に伝わってきた「感謝」の心。

それは、ここで見たもの、感じたものが影響していたのかもしれません。

 

③3日目

長距離移動となった今日、バスに乗ってアグラーへ。

今回の旅のハイライト、タージ・マハルを目指します。

朝の凄まじい通勤ラッシュに、この国の車事情を知りました。

政府は、排気ガス対策に、偶数・奇数ナンバーで規制をしているとのことでしたが・・・?!

あまり効果はないように・・・

クラクションの渦を通り抜け、あとは高速をただ走り、

4時間半かけて到着した、アグラーは、牛が闊歩する昔ながらのインドの風景がありました。

決して美しいとはいえないヤムナー河で洗濯する洗濯屋さん。

カースト制度でいう一番下のクラスの職業というガイド案内も耳に残ります。

世界で一番美しいお墓といわれる「タージ・マハル」には沢山のインド人が訪ねていました。

中国のみならず大国インド人も今は観光ブームなんだとか。

ムガル帝国第5代皇帝が愛妃のために

22年もの歳月をかけて完成させた白大理石の世界一豪華なお墓です。

ここも厳しいセキュリティチェックを受けての入場でした。

銃を持つ警官の数と、輝く大理石の透明感と、そのギャップが印象的でした。

内部の繊細な装飾にも皆さんから感嘆の声が何度もあがりました。

ヤムナー河の対岸に黒大理石の同じお墓を造ることに囚われた皇帝。

それを憂いだ息子に幽閉された「アグラー城」へも。

囚われの塔から河を隔てて、遠く見えた「タージ・マハル」に皇帝は何を思っていたのでしょうか。

 

④4日目  

本日は、移動日のため早朝8:00出発。国内線ですが、セキュリティはやはり厳しく。

念入りなボディチェック強化のため、男女で検査口が異なっていました。

自爆テロがある、その現実を思いました。

1時間半ほどの短いフライトでベナレスへ。

初めて目にしたベナレスの町並はいかがでしたでしょうか?

車窓から眼下を見やる皆さんは終始無言でしたね。

まさに喧騒の町というにふさわしいカオスの世界へ、いざ突入です。

私たち日本人がイメージする「インド」はここ「ベナレス」に全て凝縮されているといっても過言ではないでしょう。

騒音・物乞い・物売り・牛・犬・そして屈託のない笑顔で迫ってくる多くの人々。

戸惑いを隠せない皆さんの表情がいつもありました。

観光としては四大仏跡のひとつ、仏陀が初めて説法したという「サルナート」へ。

ダメーク・ストゥーパ(仏塔)や考古学博物館を見学。

石柱の上にあったライオンの像(インドの国章としてデザイン化)を見学。

夕方には、聖なる河ガンガーで毎夜行われる「プージャー(礼拝)」を見学しました。

日没後、ドラと太鼓が鳴り響く中、燈台の火を掲げて一心不乱に祈りをささげる姿。

無数のローソクの火に照らされ、一種劇場化した空間を舟上から見物。

 

また大型バスが入場できないため、リキシャ-(サイクル)に初乗り体験も!

最初はおっかなびっくりでしたが、慣れると、街の喧騒がライブ感覚で感じられ、

また「インドの今」が自転車をこぐ小さな背中から見えて来たという方もありました。

 

⑤5日目

早朝、5:45出発。ベナレス観光のハイライトともいえる「ガンガーの日の出」観賞へ。

ガイドさんが名物「チャイ」をご馳走してくれました。

でも・・・皆さんお腹を心配されて、少し用心ながら香辛料のきいたミルクティーでほっと一息。

素焼きのカップは一度使ったら捨てて大地に返すが常識です。

ヒンドゥー教の聖地でもあるベナレス。

母なる河ガンガーで沐浴すればすべての罪は清められると信じられています。

そしてここで焼かれた遺灰を河に流せば、輪廻からの解脱を得るとされています。

ですからインド全土から巡礼者が訪れているのです。

舟上からの見学でしたが、火葬場で白い煙が天に登る様子を眺めながら、

あらためて強烈な異文化を感じることになりました。

「死を待つ家」(貧困や病気で死にそうになっている人の最期を看取るための施設)も外観でしたが見学。

個人的には日本人のバックパッカーが減っている話が印象に残りました。

(若者よ、旅に出ないのか!?)

さて肝心の日の出は、渡り鳥の演出もあって、大変美しいものでした。

現世の差別を離れ、皆一様に祈り、沐浴する人々を同じように明るく照らしていました。

ヴィシュワナート寺院への参道は賑やかで、ガイドさんの言葉を借りるなら「ゴミゴミした場所」。

牛がわがもの顔で道を遮断する狭い路地裏歩きも楽しかった。

 

でも、やはりここでも銃をもった警官の厳しいチェック。

この国の人々は常に何かの脅威におびえながら、しかし敬虔な信仰のもと強く生きているのですね。

バクシーシ(施し)の習慣がない私たちが一番驚いたのは、

物乞いの多さと、その人々に金品を与え、功徳をえるという、その考え方かもしれません。

ずらりと並ぶ物乞い人に皆さんは何を思い、あのコインを投げ入れていましたか?

私は、正直、心の葛藤を無視して、平常心でただガイドさんのいうまま、

真似事をした、が本当のところです。

「ギブ&テイク」、マザー・テレサが説いた本当の意味、

私にはまだまだ理解をこえたところにあるということだけ、わかった気がしました。

旅の最後にはシルクのショップに立ち寄り、目の保養をしていただき、一路ベナレス空港へ。   

夕食は空港内で考えていましたが、スパイスのきいたものはもうギブアップの皆さまは、食欲もなく・・・。

深夜便でしたが、復路は珍しく?定刻どおりの出発で、インドを後にしました。

関西空港到着も予定通り。荷物もちゃんと出てきましたね(笑)。皆さま、大変お疲れさまでした。

 

お客様の声:旅のアンケートにはそれぞれの思いが記されており、

そのどれもが「インドの圧倒的な異文化にしてやられた」ということです。

◎旅に出るとは、写真で見るきれいなものや歴史的景観を見たりすることだけ

ではないと思います。

そういう意味では、民族や生活を実体験できた今回の旅は、

まだまだ世界には知らないことがある、

そんなあたり前のことを気付きました。

◎帰宅後したからゆっくりと実感がわいてきて、いい旅ができたと感謝しています。

◎マサラ料理は大変でしたが、健康にいいと思いながら食べました。 

◎観光名所よりも狭い路地裏の散策や朝のガンガーの様子が印象的でした。

◎インドで頭がドロドロです。整理するためにもう一度インドを訪ねてみたいです。

 

旅の終わり、デリー空港でお客様が仰った一言が、今回の旅のすべてかもしれません。

「結局インドはわからない国ということだけが、わかった気がします」

 

さて、皆さま、インドの実力は今からなのですよ。

旅の後半、もう手が出なくなったマサラ料理(多種多様のスパイス料理)と同じで、

だんだん、スパイスが恋しくなってきて、、、

インドに再び行きたいか、行きたくないか、そろそろ皆さん答えが出ているはずですね。

 

2016年1月9日~14日 インドにて


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