大森インプラントクリニック松元教貢歯科医院腫れ痛みなく早く、骨不足でも骨ができて直ぐに歯が入る幸せのブログ

松元教貢歯科医院は骨が不足で骨造りしても腫れ痛みのとても少なく早く治せる方法をしてる即時荷重インプラントパイオニアです。

部分即時荷重インプラント500以上の経験から語る、出来ると思えば出来る即時荷重の第1歩

2012年11月01日 | 患者さんの知らないンプラント業界の話

今日は、見学の先生がわざわざ関西からお越しになり、1日上顎へのインプラント植立を見て行かれました。

色々と沢山お話をして、即時荷重に私が踏み込んで行った当時のお話もして、とても受けていただいて喜んでいただけました。

今日は、そのエピソードを綴ります。

 

私は、2000年の秋、ホノルルのAAPに参加しました。

2000年は、私は北九州の今は亡き筒井先生が開催していた、東京筒井塾に参加していた時で、オリジナルの創案された筒井先生の手術方法とかに凄く刺激され、自分に似ているなー、と感じていた頃でした。

筒井先生の凄さを学び、それでは海外にはどれぐらい凄い先生がいるのだろう、と期待にワクワクして参加していました。

その2000年のAAP海外の先生のお話を直に聴き、凄く刺激になっていました。

その時のラストレクチャラーが、後の恩師DR.ラムだったのです。

 

その時に、私は初めて即時荷重のレクチャーを聞きました。

凄い話でした。

インプラントの植立の仕方、工夫、そして即時荷重で、すぐにその日のうちに綺麗に仮歯を入れてしまう。

それも今はうろ覚えですが、確か300~400本以上の症例数で、成功率も95%以上であった、と報告されていたかと思います。

凄い話を聞いて、私は大興奮して、ホノルルに来て本当に良かった、と思いました。

 

そして、ラム先生の講演が終わり、先生の周りを30人以上のDRが取り囲み、Q&Aを繰り広げていました。

単細胞な私も、感激してその輪に加わり、拙い英語で質問をし、答えを聞いて感激していました。

それで、そうか即時荷重って出来るものなんだ、と思ったのです。

 

結構な長い時間30分位だったかと思いますが、Q&Aが続いて最後に8人程度が小さな輪になってラム先生を囲んで答えを聞いていました。

そして、最後の最期に先生はもう質問はないか、と軽く会釈をしながら皆を見渡し、皆が満足の笑顔を返しました。

すると、先生はおもむろにビジネスカードを取り出し、最後に残った8人に一人一人渡し、機会があったら何時でも訪ねて来なさい、何時でも教えるよ、歓迎するよ、と言って下さったのです。

大感激してしまいました。

そのビジネスカードは、私の宝物になりました。

 

次の日フライトで日本に帰り、当時の勤務医に、こんな凄い先生がいたんだよ、と興奮したままに話したのを良く覚えています。

何時か、彼の元を訪れて学びたい、即時荷重を出来るようになりたい、と夢を語りました。

 

私には不思議なくらい引きの運が強い、必要な時に必要な人に出会う、と言う運の強さを持っています。

即時荷重のレクチャーを聞いて帰国したら、不思議なことに即時荷重を熱望する患者さんが私の元にご紹介で来られたのです。

実に不思議な引きの運の強さです。

 

そうして、私は導かれるかのように、即時荷重第1症例の治療を、何とかかんとか成し遂げました。

それは、筒井先生と同じで、全く文献等の裏付けのない、オリジナルの創案で、必死で工夫してやったものです。

やはり私は運が良いのでしょう。

その当時の、勤務医は非常に有能なDRで、私の史上初めての部分即時荷重、同時GBR骨造成インプラント治療を手伝ってくれたのです。

 

今彼女は杉並で開業していて嶋デンタルクリニックhttp://www.shima-dc.jp/をやっています。

実は、即時荷重の治療を受けた時、彼女は猛反対しました。

前例がない、文献がない、そんな話聞いたことがない、と勉強家でしたので、危険極まりない、と反対してくれたのです。

それは勿論、患者さんのことを思ってのことで、失敗したらとんでもないことになる、と言う心遣いからでした。

 

それに対して私が言ったことは、お前が手伝ってくれたら出来る、必ず成功する、だから手伝ってくれ、でした。

彼女は、私の首を懸けてでも止めて欲しい、と私に食い下がりましたが、全責任は私にある、だからやってみよう、そうしないとこの患者さんは救われる可能性が0だ、だから力を貸してくれ、で押し切りました。

 

結果は大成功でした。

 

筒井先生のように、世界でも例のないオリジナルの治療を成し遂げたのです。

 

実情は、朝の10時に始まって、1日中手術してて、終了したのが夜の9時過ぎと言う、皆ヘロヘロになる大変な即時荷重の初体験手術でした。

最後の最期の縫合は、天才と私が呼ぶ勤務医に任せ、院長の私はクタクタで医局でへばってしまっていました。

これが、第1症例の嘘偽りのない真実の話です。

 

私は、インプラント植立、GBR骨造成、仮歯の調整を何とかかんとかやって、その後の最も大変な閉じる作業、縫合は勤務医に任せきりで下がっていたのが本当の所でした。

それでも、勤務医は見事な手捌きで綺麗に傷口を閉じ、手術を終了してくれました。

もし、私が疲れ切った状態で縫合に入っていたら、もっと下手な縫い方になっていたでしょうし、3倍以上の時間も掛かったことでしょう。

勤務医も疲れていた筈ですが、縫合するのが得意中の得意で、そこまで辿り着ければ彼女が何とかしてくれる、と私は期待し見事に期待以上に素晴らしい出来栄えで答えてくれたのです。

 

即時荷重第1症例の成功の鍵は、勤務医の見事な縫合にある、と言っても過言ではないでしょう。

手術は、縫合の上手下手で結果が凄く左右するからです。

因みに、私は色々な先生の手術見学をして来ましたが、勤務医より上手なDRには会ったことがありません。

かの世界的名医パラチ先生のレクチャーを受けたことがありますが、その綺麗さが彼女と同じレベルだ、と感じたくらいです。

その他には、亡き恩師今間司先生が同レベルの見事な縫合をされていたと思います。

 

即時荷重を2000年から始めた、出来る、と言って来た私ですが、その裏には医院全体の実力、勤務医、DH、DAの総合力があったのが真実です。

しかし、始める時には私たった一人だけが出来るはずだからやろう!でした。

そして、実際にやってみたら出来たのです。

 

私はその経験から、出来ると思えば出来る、最初から諦めて挑まなければ絶対に出来ない、と学びました。

 

そこからスタートして即時荷重を始め、今では500回以上の経験を積み重ね実績を築いて来ました。

 

その後、2003年には恩師DR.ラムの元に直接訪ね、その時にも新婚であった勤務医に無理を言って留守番を頼み、私の今日があります。

笑い話ですが、2003年の9月私は医院を半分以上留守にしたので、帰って来た後に、患者さんからなんだ院長帰って来たの、そのまま(勤務医がDR)でも良かったのに、と言われたりしてしまいました。

それは彼女が非常に人柄の良いDRだったからで、私みたいな変人DRではなかったからです。(笑)

 

出来ると思って必死に努力し続ければ出来る、その運が巡って来る、私はそう信じています。

 

即時荷重第1歩の時のエピソードです。