昨日は地元の方からご招待をいただき結婚披露宴へ出席して来ました。
たくさんの方々がご出席されて、皆さんからのご祝福されて素晴らしい披露宴でした。
お二人のこれからの幸多き人生になられる事を、心から祈念いたします。
昨日の実照寺さんの続きです。
脇の神様には、清正公様(せいしょこさん)と呼びます。
熊本の日蓮宗の檀家のご仏壇には、かなりの確率で清正公さんのご神体がお祀りされています。
ヒノキの後ろにお祀りされていらっしゃるのは大黒様で、実照寺のご住職が世界三大荒行の百日行に三回行かれて、授かっていらっしゃったのが、大黒様です。
檀家の各家庭にも、分け御霊の大黒様をお祀りされています。
また、鬼子母神様は最初は子供を食べていたのですが、心を改めて子供の守り神になられました。
また淡島さんは、イザナギノミコト、イザナミノミコトの2番目の子供で、
住吉明神の奥さんになられて、安産、子授け、万病平癒の神様としてお祀りされていらっしゃいます。
清正公様、虎退治でも有名で、退治したといわれる虎が沢山並んでいました。
正直初めて気付きました。
左が鬼子母神様、右が淡島様です。
前は鬼子母神様に使えられた女官の方々。
実照寺さんの門の脇の柿の木の葉が紅葉して、秋が深まってきた事を実感していました。
昨日は菩提寺の天長山実照寺さんで、日蓮上人のお会式が行われました。
お会式とは、日蓮上人の命日の法要です。
11月21日だそうですが、各お寺で開催されるので、少しずつ日にちがずれています。
法要の後、植木の石井様が演歌を披露していただきました。
石井様は三橋美智也のファンで結成された美智也会で、グランドチャンピオンになられた方です。
音響機材も自前で持って来られて、歌っていただきました。
地元代表で、川口佐間が3曲歌われました。
最初の画像は、来迎寺さんにあるお墓ですが、四角ではなく丸い墓石は歴代御住職のお墓だそうです。
今日の題名「札打観音」は三十三番目の観音様です。
観音堂が別に建っていまして、札打ち観音様を守るように、沢山の観音様がいらっしゃいます。
今日は来迎寺さんの1部を紹介します。
建立は安土桃山時代に加藤清正が熊本を治めた際に、佐敷城を建てました。
城代に澁谷重次公が赴任された際、重次公のお母様が浄土宗の信者でいらして、
福岡の浄土宗のお寺にお願いされて、建立されたそうです。
ここには葦北三十三観音の三十三番目の札打ちの観音様もいらっしゃいます。
入口には六角の石塔と共に、お地蔵様が鎮座されていらっしゃいます。
また本堂の横には、沢山の墓石や石仏が供養されています。
これは前のご住職が、佐敷川が氾濫して沢山の方がお亡くなりになられ、
お墓なども立てられない方が、お墓代わりに供養されていたものが、
時代が経つにつれて、供養する方がいなくなられた石仏や納骨堂に収められたお墓の墓石などを一緒に供養されていらっしゃいます。
今日は薩摩街道佐敷宿にあります勝屋さんのお話です。
赤い昔のポストが立っているお店が勝屋さんです。
ここと、細い路地を隔てて、お隣の元大福屋(家具屋)さんは明治時代の建物です。
なぜそう言えるのかといえば、軒の下に飾り瓦が並んでいます。
この造りは、佐敷の明治時代のお金持ちの家で流行った造りです。
今は勝屋さんは文房具や本、雑誌を扱われ、学校へ教科書の納入をされていらっしゃいます。
また先月記事にした祇園さんはここのお宅が個人でお祀りされていらっしゃった神様です。
今日は薩摩街道佐敷宿にあります勝屋さんのお話です。
赤い昔のポストが立っているお店が勝屋さんです。
ここと、細い路地を隔てて、お隣の元大福屋(家具屋)さんは明治時代の建物です。
なぜそう言えるのかといえば、軒の下に飾り瓦が並んでいます。
この造りは、佐敷の明治時代のお金持ちの家で流行った造りです。
今は勝屋さんは文房具や本、雑誌を扱われ、学校へ教科書の納入をされていらっしゃいます。
また先月記事にした祇園さんはここのお宅が個人でお祀りされていらっしゃった神様です。