アートセラピー「心のお絵かき」の世界

アートセラピストで妻で母で女の、楽しく豊かでゆるい人生後半日記。

小倉遊亀展

2018-11-10 16:28:33 | 美術・芸術
少し前になりますが、平塚市美術館に「小倉遊亀展」を見に行きました。

小倉遊亀といえば超有名女流作家。

昨今の東京の美術館は、どの展覧会も平日でも混雑しているので、ここも混んでるのかなあと
警戒して行きましたが・・・がらがらで、久しぶりにゆったりと鑑賞することができました。

やはり、少し交通の便が悪いからでしょうかね?

でも、電車とバスを乗り継いででも見る価値はあると思いますよ。

年代順に、作品数も多くて、小倉遊亀自身の言葉も添えてあり、作品への理解とともに愛着もわきます。

まるでマチスのようなダイナミックな作品もあり、そういう小倉遊亀は知らなかったので、へええと思いました。

でもやっぱり、優しい女性の視点を感じる、そして昭和の時代を感じる作品が大好きです。



「ああ、こういうワンピースを母や叔母が着ていたなぁ」とか「こういうレースのテーブルクロス、うちにもあったな」とか・・・。

絵の美しさと懐かしさが混じり合い、見ている内に、ほのぼのとしてくるような、
懐かしくてちょっと悲しくなるような、なんともいえない気分になってきます。

もう平成も最後の年になり、昭和はますます遠くなりますが、小倉遊亀のような作品は
忘れられることなく、ずっと愛され続けてほしいと思いました。


プーシキン美術館展の風景画

2018-06-05 14:57:54 | 美術・芸術
私は、美しい自然の中に入るとほっとします。

しばらくその中にいると、とても良い気分になって元気になります。

この展覧会の会場では、不思議なことにそれと全く同じ事がおこりました。

一枚一枚の作品が、とにかく美しく気持ち良いのです。

風景画がテーマの展覧会でしたから、まるで美しい自然の中を散歩しているのと同じ感覚になれたのです。

18世紀くらいまでは、人物画や宗教画の背景としての風景ですが、手を抜かず、
無邪気に真剣にありのままに風景を写実して表現してくるので、それはそれで心を打たれます。

19世紀からは、風景画が一つのジャンルとして確立してきます。

産業が盛んに成り、都市・都会が発生して、その反作用として、今までどこにでもアタリマエにあると
思っていた自然の美しさ、貴重さに気づいたのかもしれません。

なので、この時代の風景画は、そのままの自然に対してとても誠実な感じがします。

自然の中に座って、ただただ無心に眺める感覚に似ています。

更に20世紀以降になると、そこに画家の感情みたいなものが混じってくるみたいですね。

風景をそのまま正確に描くというより、「自分にはこう見える」「私にはこう感じられる」みたいな。

ですから、同じ場所の風景を描いても作家それぞれの表現になります。

見る方も、自分の感覚に合った絵を好きになりますね。

セザンヌの色合いやタッチにぐっとくる人もいるでしょう。



私の場合、シスレーはどれを見てもキュンときてしまいます。

日本人はもともと、自然の美に対しては敏感だと思います。

ですからこの展覧会は、とても気持ちの良いものに感じられるかもしれません。

私は、会場の部屋を回るごとに、まるで美しい森の中を散歩したみたいに癒やされましたもの。

プーシキン美術館展

2018-06-04 16:23:44 | 美術・芸術
過日、上野の東京都美術館で開催中の「プーシキン美術館展」を見に行ってまいりました。

この展覧会の副題は「旅するフランス風景画」でした。

つい先日行ってきたターナー展は、もちろん最初から最後まで純粋な風景画でしたが、
こちらはやや違う印象でした。

18世紀くらいまでは、風景というのは宗教画や肖像画の背景として描かれていました。

風景をそれ単独で絵画のモチーフにするという考えは無かったのだと思います。

だって、豊かな自然の風景は、あまりにも普通に身近に当たり前に存在してましたものね。

それが19世紀コローのあたり、バルビゾン派のあたりから違ってきたように思います。

私はコローが大好きで、コローの絵に出会うと息が止まるほど嬉しくて、コローの絵の中の空気を吸うような
思いで、長い時間その絵を眺めてしまいます。


(コローの「夕暮れ」)

風景そのものの美しさに心を留めるようになったのが、この頃なのでしょうね。

でもたぶん、最初はこういう絵画は少数派だったでしょうね。

こう、なんていうか、それまではマグロのお刺身の絵、あるいはマグロを引き立たせるために
大根のツマを添えたマグロのお刺身の絵をみんなが描いていた。

ところがある時、長い西洋絵画の常識を破り、ツマの美しさに気づいた画家がツマだけを描いた。

それで、周りの画家たちは「なにそれ、ありえなーい!」と言った・・・みたいな・・・

うーん、ありえないほどくだらない例えになってしまったわ

次回は、もうちっとまともに書きます。

ターナーの絵とヨーロッパ絵画

2018-06-02 13:17:38 | 美術・芸術
イギリスももちろんヨーロッパの国のひとつです。

「西欧」の中に入ってますよね。

でも、ターナーの作品を見て、「なんか違うな~」と感じました。 

いわゆる西洋絵画っていうと、西欧、中欧、東欧、北欧のヨーロッパ大陸の国々の絵画を
指していると考えます。

西洋美術の二大モチーフといえば、聖書とギリシア神話でしょ。

大陸の画家達の作品には、どの時代にも必ずといっていいほど出てきますよね。

例えば風景画だったとしても、単に風景だけを描くのではなく、ギリシア神話や聖書の一場面が描かれていたりして
風景は背景に過ぎなかったりします。

今回のターナー展にも、たっくさんの絵が展示されていたのですが、私の記憶する限り
聖書モチーフが1点だけで、ギリシア神話モチーフはゼロでした。

今まで数多くの西洋絵画を見てきた者にとって、それが不思議な違和感として感じられたのでした。

とにかくヨーロッパ(大陸)の人々にとって、ギリシア文明、ギリシア神話は文化の偉大なルーツ、
永遠の憧れみたいなものがあるような気がします。

聖書も絶対不可侵なバックボーンで、絵画芸術も色々な形とレベルでその影響を受けて
表現しているように思えます。

が、ターナーの絵からは、それらが感じられなかった。

古代ギリシアやローマの遺跡を描くんじゃんくて、ストーンヘンジ描いてるしね。

ドーバー海峡ひとつ隔てるだけでこんなに違うんかい?みたいな印象。

昨日の記事で「異界に近い」と書きました。

妖精とか精霊とかは、大陸ではニンフと呼んで、それは神話や物語の世界を連想させますが、
イギリスではニンフじゃなくてフェアリーでしょう?

もう、フェアリーって言えば、そこいらへんの草原や森に普通にいそうですもの。

ホグワーツ魔法学校だって、やっぱりイギリスだからある話よね・・・。

とりとめなく書きましたが、同じヨーロッパでも、大陸とイギリスの文化の雰囲気の違いを
感じたターナー展でありました。

ターナー展

2018-06-01 16:07:56 | 美術・芸術
昨日は、損保ジャパン日本興亜美術館に「ターナー 風景の詩」という展覧会を
見に行きました。

入口のチケット売り場からの展望がすばらしくて(ビルの42階だから)、思わずカシャリ。



ターナーは大好きな画家ですが、今までこれほど充実した展覧会は無かったのでは?
と思います。

「ターナー」と名前が出ていても、ターナーを中心として、その時代の画家だったり
同じようなモチーフを描く画家と一緒の展覧会だったりで、例えば全部で80点の作品が
あったとしても、ターナーの絵はせいぜい半分かもうちょっと、という感じだったと思います。

でも!
この展覧会は100%ターナーなのよ!!

ターナー好きにはたまりません。もう満足満腹。



しかも、水彩画が数多くあり、彼の美しく透明な空気感を堪能することができます。

私は、ターナーは水彩画の方が圧倒的に良いと思いました。

油彩画も数点あったけれど、なんかピンと来なかったなぁ。

水彩画で、木の葉の一枚一枚まで綿密に描き込んである絵の方がずっと美しいと感じました。

イギリスっていうと、ロンドンのような都会は別として、妖精のようなやや異界に近い雰囲気を
私は感じるのですが、ターナーの絵って、まさに妖精が宿ってるような、妖精に描かされているような
なんか不思議な雰囲気を感じるんですよね。

展覧会場をゆっくり歩いていると、美しい不思議な世界に迷い込んでしまったみたい。

あとね、銅版画もたくさんありましてね、それもまたすんばらしく良かったですよ。

唸りました。うーーーむむむって・・・一人で行って良かった