さて、1月中頃から、身体の各所が順番に大変痛みまして、もうブログどころではなかったのです。
身体のどこかが痛いというのは、本当に辛いものですね。
若いときには、幸い、ほとんど「痛みをこらえる生活」というのをした記憶がありません。
「疲れる」という症状は慢性的にありましたが、「痛い」とは違う。
「痛い」というのは、情け容赦ありませんね。
恐怖や不安すら覚える。
ある土曜日の昼頃、右肘がなんとなく痛くなりました。
「知らないうちに、どこかへぶつけちゃったかな。」
みたいな軽い痛みでしたので、適当にさすっておりました。
が、時間が経つに連れ、段々痛みが増し、夜には口をきくのもしんどいほど痛くなってしまいました。
土曜日の夜ですから、どうしようもありません。
月曜日まで待つしかありません。
この時は、痛みもさることながら、
「いったい、自分の腕はどうなってしまったんだろう?」
という不安感が強くて、それが痛みを増幅させていたのだと思います。
自分のからだですから、なんとなく「どーってことない。寝れば治る」みたいな感覚と
「これってちょっとまずいんじゃないか」みたいな感覚の区別はつくものです。
残念ながら、今回は後者の感覚でした。
一晩寝たら、明日はもっとひどくなって起きられなくなっていたらどうしよう・・・
などと恐れおののき、実際、痛みで夜中も目が覚めたりしましたが、翌朝も、そんなに
ひどくなってなくて、ま、普通に起きて、なんとか家事もできたのです。
身体のどこかが痛いというのは、本当に辛いものですね。
若いときには、幸い、ほとんど「痛みをこらえる生活」というのをした記憶がありません。
「疲れる」という症状は慢性的にありましたが、「痛い」とは違う。
「痛い」というのは、情け容赦ありませんね。
恐怖や不安すら覚える。
ある土曜日の昼頃、右肘がなんとなく痛くなりました。
「知らないうちに、どこかへぶつけちゃったかな。」
みたいな軽い痛みでしたので、適当にさすっておりました。
が、時間が経つに連れ、段々痛みが増し、夜には口をきくのもしんどいほど痛くなってしまいました。
土曜日の夜ですから、どうしようもありません。
月曜日まで待つしかありません。
この時は、痛みもさることながら、
「いったい、自分の腕はどうなってしまったんだろう?」
という不安感が強くて、それが痛みを増幅させていたのだと思います。
自分のからだですから、なんとなく「どーってことない。寝れば治る」みたいな感覚と
「これってちょっとまずいんじゃないか」みたいな感覚の区別はつくものです。
残念ながら、今回は後者の感覚でした。
一晩寝たら、明日はもっとひどくなって起きられなくなっていたらどうしよう・・・
などと恐れおののき、実際、痛みで夜中も目が覚めたりしましたが、翌朝も、そんなに
ひどくなってなくて、ま、普通に起きて、なんとか家事もできたのです。