母は、長いこと、私にとっては最強、最恐の存在でした。
早く結婚したのも、母から逃げたいというのが理由の一つだったし、姑と居る時の方が、
実の母と居る時よりも、ずっと平安でした。
もう10年以上前になるけれど、心のバランスをひどく壊してしまい、
カウンセリングやヒプノセラピーを受けていた時期がありましたが、そのカウンセラーにも、
「あなたのお母さんは、キョーレツな人だね。」
と、言われましたっけ。
母は、70過ぎてもなお、私にきつくあたってきたけど、あれは、弱いものしかいじめられない
「弱いものいじめ」だったんじゃないかと思うわ・・・今思えば。
ってことは、あの、病院での一言からも言えるけど、母こそ弱い人だったのかな。
いろいろな仕打ちやなにやかや、思い出せば怒ることも憎むことも、いくらでもできるけれど、
そんなに単純な関係ではないところが、母子というもの。
「こんな母は大嫌いだ。もう、顔も見たくない、声も聞きたくない。行くことも連絡もしたくない。」
という一面は、ある。確かに。
でも、産んでもらった恩、育ててもらった恩、という絶対的な事実もあるわけです。
これはもう、なにがどうあっても感謝しかないわけです。
自分が年をとって良かったと思えることは、こういう事態になった時に、
「好きか嫌いか」だけみたいな、 all or nothing 的な、幼い思考ではなくて、もうちっと、
幅を持たせた考え方ができるようになる、ということです。
つまり
「こういう、私の大嫌いな母もいるけれど、それとはまた違う母もいる」と、思えることです。
これには「落ち着いている」ことが必要で、感情に振り回されていると、ここに着地できないんですが、
ま、深呼吸したり、時間の力を借りたり、あるいは、私はアートセラピストだから、コラージュをしたりして
着地したわけね。
とにかく、何度もくだくだしく言っちゃうけど、いいとか悪いとか、好きとか嫌いとか、そんな単純な問題では
ないです、私の場合。母との関係は。
「どうやって、折り合いをつけるのか」
これにつきます。
早く結婚したのも、母から逃げたいというのが理由の一つだったし、姑と居る時の方が、
実の母と居る時よりも、ずっと平安でした。
もう10年以上前になるけれど、心のバランスをひどく壊してしまい、
カウンセリングやヒプノセラピーを受けていた時期がありましたが、そのカウンセラーにも、
「あなたのお母さんは、キョーレツな人だね。」
と、言われましたっけ。
母は、70過ぎてもなお、私にきつくあたってきたけど、あれは、弱いものしかいじめられない
「弱いものいじめ」だったんじゃないかと思うわ・・・今思えば。
ってことは、あの、病院での一言からも言えるけど、母こそ弱い人だったのかな。
いろいろな仕打ちやなにやかや、思い出せば怒ることも憎むことも、いくらでもできるけれど、
そんなに単純な関係ではないところが、母子というもの。
「こんな母は大嫌いだ。もう、顔も見たくない、声も聞きたくない。行くことも連絡もしたくない。」
という一面は、ある。確かに。
でも、産んでもらった恩、育ててもらった恩、という絶対的な事実もあるわけです。
これはもう、なにがどうあっても感謝しかないわけです。
自分が年をとって良かったと思えることは、こういう事態になった時に、
「好きか嫌いか」だけみたいな、 all or nothing 的な、幼い思考ではなくて、もうちっと、
幅を持たせた考え方ができるようになる、ということです。
つまり
「こういう、私の大嫌いな母もいるけれど、それとはまた違う母もいる」と、思えることです。
これには「落ち着いている」ことが必要で、感情に振り回されていると、ここに着地できないんですが、
ま、深呼吸したり、時間の力を借りたり、あるいは、私はアートセラピストだから、コラージュをしたりして
着地したわけね。
とにかく、何度もくだくだしく言っちゃうけど、いいとか悪いとか、好きとか嫌いとか、そんな単純な問題では
ないです、私の場合。母との関係は。
「どうやって、折り合いをつけるのか」
これにつきます。