アートセラピー「心のお絵かき」の世界

アートセラピストで妻で母で女の、楽しく豊かでゆるい人生後半日記。

与える愛 受け取る愛

2019-06-28 18:19:15 | 心や気持ちのお話
市村正親さんと草笛光子さんの「ドライビング・ミス・デイジー」の続きです。

ラスト、もう97才になり高齢者施設で暮らすミス・デイジー(草笛光子)を、かつて彼女の運転手だったホーク(市村正親)が
久しぶりに訪ねます。

ホークはもう85才で、足腰は弱っているけれど頭はしっかりしています。

ミス・デイジーはホークの訪問を喜んではいるのだけれど、もはや昔のしっかり者の面影はなく、
聞こえているのかいないのか、ぼんやり椅子に寄りかかっています。

感謝祭の日で、テーブルの上にはパイが置いてありました。

続かない会話、なんとなく気まずい空気を消すかのようにホークは言います。

「ああ、ほら感謝祭のパイが」

言われて、そうね、食べなくてはね、というふうにナイフとフォークを持つミス・デイジーですが、
身体が衰え手が震えてパイを切ることができません。

すると立っていたホークが横に座り、ミス・デイジーのためにパイを切ってあげます。

食べやすいように小さく切ったパイを口元に運んであげると、ミス・デイジーは、
あーんと口をあけて食べます。

ひとくち、またひとくち・・・とホークが小さく切ったパイを素直に食べるミス・デイジー。

無言の穏やかな二人の姿・・・そして照明がすべて落ち、万雷の拍手。

泣けましたよ、ほんと。

ミス・デイジーは若い頃学校の先生をしていてプライドが高く、他人に甘えるみたいなことは全くできない人でした。

だから、自分が高齢になって事故を起こして運転ができなくなっても、運転手を雇うことに抵抗
し続けていました。

たまりかねたホークに
「奥様は車の運転をしてもらう、私は仕事をもらう、それでいいじゃないですか!」
と言われても、いまひとつ納得できなかった彼女。

単に誰かにやってもらう、というだけのことなのに、それが「甘え」に感じられるみたいな、
罪悪感のようなものさえ感じてしまう人格。

できることはなんでも自分でやります、みたいな人格。

それ、よくわかります。 ていうか、それ私です。

なので、素直に口を開けてパイを食べるミス・デイジーを見た時、これでいいんだよね
と心から思って、じんわり涙ぐんだのでした。

何かをしてあげる、与えるだけが愛じゃないのよ。

素直に口を開けてそれを受け取る、喜んで、ありがとうって受け取ることも愛。

どちらが価値があるかって?

両方、全く同じ価値ですとも!

どちらかが欠けたらどちらも成り立たない。

与える愛と受け取る愛は、全く同等。同じくらい必要で同じくらい貴重なもの。

そうなんだと思います。