お気楽忍者のブログ 弐の巻

ミニカー収集/お魚採取/動植物フォト/行楽記・・・趣味のごった煮ブログ

旧東海道関宿をぶらぶら(2)

2022年11月07日 17時00分00秒 | 行楽・旅行記3

11月4日

三重県亀山市、鈴鹿山系の東側の麓、旧東海道の宿場町 関宿をぶらぶら歩きます

百六里庭なる施設が目に入りました。

百六里庭は平成10年に当時空き地であったこの場所に近隣住民や小学生らのアイデアによって作られた小公園だそうです。

東海道の東の起点、江戸日本橋から106里(およそ400km)にあたる場所であることがその名前の由来になってます。

庭園前の眺関亭は2階の屋根部分をくり抜いた展望台になってて無料で上がることができました。

西側には鈴鹿山系を望みます。

昔の旅人は凄いですよね。関宿で宿泊し、翌日はあの鈴鹿の山を越えて土山宿に達する訳ですが、あの山を越えるのか~と思ったら、管理人ならテンションだだ下がりです(笑)

ポケモンのミジュマルがこの街の雰囲気から浮いちゃってますが、ミジュマルは三重県応援ポケモンなんです。

川北本陣跡

関宿には川北本陣と伊藤本陣の二軒の本陣がありました。

本陣は参勤交代の大名や、公家、幕臣などが宿泊した格式の高い宿泊施設で、関宿では両本陣とも栄えたそうです。

こちらはレトロをモチーフにしてるゲストハウスでした。

薬局もめっちゃレトロ

このお店は大正時代に創業した足袋屋さんで、東亜という名前が歴史を感じさせますね。

ペット同伴OKなドッグカフェやトリミングのお店のようですが、食べログを見ると閉店してるみたいでした。。

お昼の時間帯も近づいてくると、次第に観光客の姿も増えてきました。

つづく

過去記事<旧東海道関宿をぶらぶら(1)

よろしければ、応援クリックお願いします!


にほんブログ村


旧東海道関宿をぶらぶら(1)

2022年11月06日 17時00分00秒 | 行楽・旅行記3

11月4日

名古屋と大阪を結ぶJR関西本線の関駅は明治23年に開業した駅で目の前には国道1号線が通ってます。

この関駅から300mほど北に行ったところに旧東海道五十三次47番目の宿場町、関宿の街並みが残っています。

鉄道が開業したことで街道としての役目を終え、国道1号線が旧東海道からズレた位置に敷設されたため、今も昔の面影を残す街並みがおよそ1.8kmに渡って残されました。

古さとモダンさが組み合わされた町屋。

三番町山車倉

桶屋さんではご主人が手作りで桶を作ってました(許可を得て撮影しています)。

古き良き日本の風景って感じがしますね

こちらはアンティークショップの明治屋さん。

現在に続くこの関宿の町並みは16世紀末に伊勢国領主で戦国武将であった関盛信が領内の道路を改修したことに始まり、慶長6年(1601年)に徳川家康が行った宿駅制度で東海道47番目の宿場となってから本格的に整備されました。

関郵便局の建物もなんか凄いぞ

観光地にはお約束、手作り感満点の顔出しパネル(笑)

ポストじゃなくて書状集箱だって

もちろん、街の景観に合わせてこんなポストにしたそうですが、この形は東京の逓信総合博物館に所蔵されている日本最古のポストを模して作成されてます。

つづく

過去記事<関の山は関の山車

よろしければ、応援クリックお願いします!


にほんブログ村


関の山は関の山車

2022年11月05日 16時37分01秒 | 行楽・旅行記3

11月4日

三重県亀山市、西に鈴鹿山系を望む関町にある旧東海道関宿は重要伝統的建造物群保存地区、日本の道100選にも選定され、伝統的な町家が200棟以上現存しています。

百五銀行も街並みに合わせてこんな感じ。。

今週末には第35回 東海道関宿 街道まつりが開催されるみたいですね。

関の山車(せきのやま)会館なる資料館があったので入ってみました。

この会館と「関のまちなみ資料館」、「関宿旅籠玉屋歴史資料館」の共通券を買えば¥500で全て見学できます。

この建物は関宿の近代産業を代表する関萬古(焼き物)の窯元、三谷家の屋敷だったそうで、主屋、土蔵、離れ座敷が公開されてました。

窯元らしく、いくつか焼き物も展示されていて、写真は金虹焼獅子形香炉。

土蔵の中には関神社の旧神輿が飾られてました。

関の山車会館は2019年にオープンした施設で、関宿祇園夏祭りの歴史・文化を後世に伝えるため、関の山車と歴史的な関係資料が展示してありました。

そしてこの収蔵庫の中には関宿祇園夏祭りで使われる4基の山車のうち、2基が常設展示されてます。

中町四番町の山車

木崎の山車 

いずれもガラス越しなので、鮮明に撮影できなかったのが残念。。

「~が関の山」という慣用句は「それ以上はできない」、「それが限界だ」、「それが頂点だ」と言う時に使われますよね。

関町の八坂神社祭礼祇園会に出る山車(やま)が非常に豪華で、それ以上の贅沢はできないと言われたことから、「そこが頂点である」という意味の「関の山」という言い方が生まれたとされます。

まさかこの関の山車が関の山の語源だとは思いもしませんでした

こちらは牛乳パックや段ボールで作られた山車の模型。

提灯はどん兵衛のカップをふたつくっつけて作ってあるそうです(笑)

見学を終えて出ようとしたら、受付の方から「明かり取り窓はご覧になりましたか?」と聞かれ、案内して頂きました。

主屋の一部屋の天井が高く、その先から外の光を取り入れる仕組みで、古い町屋にこんな構造があるなんて驚きです

つづく

過去記事<旧東海道関宿へ

よろしければ、応援クリックお願いします!


にほんブログ村


旧東海道関宿へ

2022年11月04日 21時18分52秒 | 行楽・旅行記3

11月4日

今日は朝9時頃に家を出て、三重県亀山市の旧東海道 関宿に行ってきました。

途中、休耕田を使ったコスモス畑に立ち寄ってパチリ

ここは昭和30年に造られた農業用水のための大原貯水池(大原ダム)。

朝晩の気温が低い地域なので、この辺りのモミジはだいぶ紅葉が進んできてますね。

正面の鈴鹿山系を越えて三重県亀山へ向かいます。

江戸時代の東海道は鈴鹿山脈の東側に関宿、西に土山宿がありました。

関町にある『うなぎの初音』さんは有名なお店で、いつも昼前になるとお客さんの行列ができます

JR関西本線 関駅から北に300mほど行くと、そこは旧東海道五十三次の47番目の関の宿場町。

壬申の乱の頃に伊勢鈴鹿関が置かれたところで、それ以降も交通の要衝となっていました。

現在の関宿はおよそ1.8キロメートルに渡って伝統的な町家が200棟以上現存し、重要伝統的建造物群保存地区、日本の道100選にも選定されてます。

旧東海道の宿場でこれほど昔の街並みが残っているのは珍しいそうです。

続きはまたあらためて。

よろしければ、応援クリックお願いします!


にほんブログ村


東近江秋まつり2022 二五八祭り

2022年11月03日 18時57分13秒 | 行楽・旅行記3

11月3日

3年ぶりに滋賀県東近江市で開催された『東近江秋祭り2022』の二五八祭りに行ってきました。

例年は二五八祭りと農林水産祭りが2日連続で行われますが、今年は二五八祭りが11月3日、農林水産祭りが11月19日の開催となりました。

二五八祭りはかつて東近江市(旧 八日市町)で2、5、8の付く日に市が立ったことに由来しています。

会場となった東近江市役所の駐車場は商いの広場と称し、飲食や東近江の名産の露店が立ち並びました。

京風たこ焼きの咲たこさんには長蛇の列ができてました。。

午後2時頃に訪れたのに飲食系の露店にはまだまだたくさんの人が並んでます。

そりゃ3年ぶりの楽しいお祭りですからね。物価高と言えど、この時ばかりは財布の紐も緩んじゃいますよね。

こちらは東近江市の名産のブース。

ステージではダンスパフォーマンスも!

市役所前の想の広場にあったモザイクアート。

女の子の髪の毛あたりをアップで撮ると、全て小さなサイズの写真でできてました(驚)

きっと市民の皆さんから寄せられた写真なんでしょうね。

童の広場では子ども向けに職業体験や交通安全関係のイベントが開催されてました。

高所作業車のバケットに乗せてもらった子供たちも嬉しそうです

東近江消防本部のレスキュー工作車や滋賀県警のパトロールカーの運転席に乗って写真を撮れるってことで、子供もお母さんもはしゃいでます

こちらは近江タクシー×戦国無双5 コラボの織田信長タクシー。

これ、特注トミカで出してくれなかな(笑)

フリーマーケットゾーンも凄い人出だ。

ジャンクトミカを売ってるブースもありましたが、最近のモノが中心でめぼしいお宝はありませんでした。。

別に何を買う訳でもなくお祭り会場をブラブラするだけでしたが、何かテンション上がっちゃったな(笑)

よろしければ、応援クリックお願いします!


にほんブログ村


京都写ん歩 堀川通~京都駅

2022年11月01日 17時00分00秒 | 行楽・旅行記3

10月19日

堀川通と塩小路通の交差点を東に折れ、JR京都駅へ戻ります

途中にこんなモニュメントがありました。

梅小路公園にある京都水族館のクラゲがモチーフになってて可愛い

こっちは同じく梅小路公園の京都鉄道博物館のC62蒸気機関車ですね。

オープンルーフの観光バスが走ってたから、慌ててカメラを向けましたが行っちゃった。。

と思ったら、駅前の定期観光バスターミナルに止まってました(笑)

こんなスカイホップバスで京都観光するの楽しいだろうなぁ~。

ただ、このバスはクソ寒い京都の冬の間も運航してんのかな

京都駅に着きました。

電車の時刻まで少し時間があったから、京都伊勢丹側の大階段まで行ってみました。

クリスマスシーズンには階段前の広場に大きなクリスマスツリーが立つんだけど、コロナ禍の間はどうなってたんでしょうね

この場所からは京都タワーをこんな感じで撮影することができます。

京都駅構内

鉄道開業150周年記念復刻駅弁企画として、鉄道開業初期の掛け紙を復刻した駅弁が売られてました。

おしまい

過去記事<京都写ん歩 真言宗興正派 興正寺

よろしければ、応援クリックお願いします!


にほんブログ村


京都写ん歩 真宗興正派 興正寺

2022年10月30日 13時00分00秒 | 行楽・旅行記3

浄土真宗興正派本山 円頓山 興正寺

西本願寺を後にして南隣にある興正寺を早足で参拝してきました。

興正寺(こうしょうじ)は配流されていた親鸞が京都の地に戻り、建暦2年(1212年)に山科の地に一宇を草創したことに始まります。

室町時代、興正寺(当時は佛光寺)の蓮教上人は本願寺の蓮如上人と歩みを共にし、本願寺と歩調を合わせて度重なる移転にも常に行動を同じくしていました。

本願寺が今の地に移ってからは隣接地にお堂を建て、江戸時代を通じて興正寺は西本願寺の末寺という立場でしたが、明治9年(1876年)に浄土真宗興正派として独立を果たしました。

御影堂

明治45年に建立された御影堂ですが、2018年の大阪北部地震で構造に歪みが生じたそうで立ち入り禁止になってました。

元々あった本堂は日光東照宮の本廟や知恩院の三門と並んで日本三建築の一つと言われた「一つ御堂」と呼ばれる壮大華麗な建築物だったそうです。

しかし、明治35年(1902年)に不慮の火災で本堂をはじめ多くの堂宇が灰燼に帰してしまいました

できればその一つ御堂というかつての本堂を見たかったですね。

西本願寺の顔出しパネルに比べてどこか垢抜けない感じ(笑)

阿弥陀堂

大正4年(1915年)に建った本瓦葺二重入母屋造の阿弥陀堂は一つ御堂が焼失してしまった後、興正寺の本堂として使われてます。中央には本尊の阿弥陀如来木像を安置しています。

経蔵

経蔵は嘉永元年(1848年)建立で、明治35年の火災を免れました。

と、そろそろここでタイムアップ⏱ 夕方から用事があるので駅に戻らねばなりません。

仏教総合博物館 龍谷ミュージアム

堀川通を南に下ります。

龍谷大学の龍谷ミュージアムは仏教に関する文化財の収集や調査研究、教育を行っていて、一般にも公開されています。

堀川通と塩小路通が交わる交差点にあるのはリーガロイヤルホテル京都。

ホテルの裏手300m先に梅小路公園、京都水族館、京都鉄道博物館があります。

鉄道開業150周年ってことで京都鉄道博物館に行きたかったんですが、生憎この日は休館日で叶いませんでした。。

JR京都駅近くまで戻ってきました。

つづく

過去記事<京都写ん歩 西本願寺(2)

よろしければ、応援クリックお願いします!


にほんブログ村


京都写ん歩 西本願寺(2)

2022年10月28日 17時27分08秒 | 行楽・旅行記3

10月19日

阿弥陀堂門

昭和期の阿弥陀堂修復工事の際に檜皮の一部葺替、飾金具の修正、金箔押などの補修が行われ、創建当初の美しい姿が再現された阿弥陀堂門(重要文化財)。

10月19日に訪れた京都市下京区の西本願寺散策の続きです

経蔵

延宝5年(1677年)の建築の経蔵(きょうぞう)。

経蔵に納められている大蔵経(一切経)は天海僧正が寛永12年(1635年)から12年かけて完成させたもので、幕府の要請によって慶安元年(1648年)年に銀27貫目で購入したものだそうです。

安穏殿

中には本願寺ブックセンターがあって、本願寺出版社が出版する仏教に関する本が販売されてます。

浄土真宗を広めるために自前の出版社があるんですね。。

本願寺参拝記念の顔出しパネル

プトラとプトリは浄土真宗本願寺派少年連盟のキャラクターだそうで、サンスクリット語でプトラは男の子、プトリは女の子という意味なんだって。

お茶処は総合案内所と休憩スペースですね。

御影堂 北留蓋瓦、南留蓋瓦 唐獅子型

中には文化6年(1809年)に造られ、かつては御影堂の屋根にあった唐獅子が展示されてました(許可を得て撮影しています)。

この梵鐘は元々、織田信長と対峙した大阪の石山本願寺にあったそうです。広隆寺から石山本願寺に売却されたもので、平安時代の12世紀の作で国の重要文化財に指定されてます。

このスマートなフォルムは平安期の梵鐘の特徴だそうです。

龍頭が木でできているのもこの梵鐘の珍しい点だそうですが、ドクロみたいにも見える龍の顔が不気味でした

大銀杏

樹齢約400年のこの銀杏は京都市の天然記念物。本願寺に火事があった時、この銀杏から水が噴き出して消し止めたという伝説から「水吹き銀杏」とも呼ばれてます。

幕末期、新選組は隊士の増加によって手狭になった壬生屯所からこの西本願寺に屯所を移しました。

ここを新選組隊士たちが闊歩していたんですね。歴史のロマンを感じますね~。

境内の北集会所と太鼓楼が屯所になっていたそうですが、太鼓楼の写真を撮り忘れました

他にも見てみたい建築物がありましたが、時間の関係で西本願寺を後にしました。。

つづく

過去記事<京都写ん歩 西本願寺(1)

よろしければ、応援クリックお願いします!


にほんブログ村


京都写ん歩 西本願寺(1)

2022年10月27日 13時00分00秒 | 行楽・旅行記3

10月19日

御影堂門(重要文化財)

浄土真宗本願寺派本山 龍谷山 本願寺(西本願寺)にやってきました。

本願寺は文永7年(1272年)、浄土真宗 親鸞の廟堂として京都東山の地に創建されたのを始まりとします。

その後、場所は転々とし、今の場所には天正19年(1591年)に豊臣秀吉の寄進で大阪から移転しました。

目隠し塀の奥に見えるのは御影堂(国宝)

関ケ原の戦い以後、本願寺は准如を十二世宗主とする本願寺教団(現在の本願寺派)と教如を十二代宗主とする本願寺教団(現在の真宗大谷派)に分裂しました。

慶長8年(1603年)に真宗大谷派の東本願寺が開かれ、准如が継承した七条堀川のこの本願寺は西本願寺と通称されるようになりました。

蓮の花をモチーフにした噴水(?)は1955年に門徒から寄進されたものだそうです。

ちょうど境内で菊花展が始まってましたが、まだ花が咲いてない

御影堂(ごえいどう)

寛永13年(1636年)に建立された国宝の御影堂。

東西48m、南北62m、高さ29mの巨大な建物で、中央に宗祖 親鸞聖人の木像、両脇に本願寺歴代宗主の影像が安置されてます。

阿弥陀堂

宝暦10年(1760年)に再建された阿弥陀堂も国宝に指定されてます。

中央には阿弥陀如来木像、両脇にインド・中国・日本の七高僧のうち、龍樹菩薩・天親菩薩・曇鸞大師・道綽禅師・善導大師・源信和尚の六師の影像、法然聖人と聖徳太子の影像を安置しています。

浄土真宗本願寺派伝道本部

東本願寺は何度か行ったことかありましたが、何の予備知識も無く訪れたこの西本願寺がいわゆる本願寺の大元だったんですね。また、国宝がこんなにたくさんある寺院だとは思っていませんでした。

次回も西本願寺散策のつづきです。

過去記事<京都写ん歩  京都駅~本願寺伝道院

よろしければ、応援クリックお願いします!


にほんブログ村


京都写ん歩 京都駅~本願寺伝道院

2022年10月26日 18時00分00秒 | 行楽・旅行記3

10月19日

大阪から帰る途中、京都駅で途中下車しました。

1時間半ほどしか時間が取れないから、駅から歩ける範囲でブラブラしてみまーす

過去記事<大阪城と鉄道開業150周年

京都タワーホテル前の塩小路通を西に向かいます。

京都抹茶で有名な辻利さんのカフェがありますね。

北に曲がって、新町通を歩きます。

京都は大通りよりもこんな路地を歩くのが楽しみのひとつ。思わぬ発見もあったりするからね~。

今年は3年ぶりに京都三大祭りの時代まつりが開催されました。

※京都三大まつり・・葵祭り(5月)、祇園祭り(7月)、時代祭り(10月)

時代祭りは平安遷都1,100年を記念して明治28年に始まった平安神宮の祭禮。

平安京造営の時代から明治維新時代までの各時代の装束に扮して、京都のまちを練り歩く時代行列が有名です。

正面通を西へ向かうと、西本願寺の建物が見えてきました。

東本願寺は何度か行ったことありますが、西本願寺には初めてお参りします。

と、ここで煉瓦造りの建物の周囲にポケモンチックな石像がありました。

羽根が生えたゾウ?

顔はケモノだけど翼があって、脚の形は鳥みたい

正面通と油小路通が交わる場所にあるこの建物は本願寺伝道院。

明治45年に生命保険会社社屋として東京帝国大学の伊東忠太教授が設計しました。

インド風のドーム、イギリス風の煉瓦壁、日本建築のような破風が取り入れられた何とも独特な建築様式でした。

何でこれが仏教の本願寺の伝道院なの?って思いましたが、今は僧侶の研修や本願寺の研究施設として使われてるそうです。

このあたりの住所は数珠屋町、仏具屋町で、仏具を扱うお店や法衣を扱うお店が何軒も軒を連ねてました。

では、西本願寺に行ってみましょう

つづく

 

よろしければ、応援クリックお願いします!


にほんブログ村


大阪城と鉄道開業150周年

2022年10月25日 17時00分00秒 | 行楽・旅行記3

10月19日

ミライザ大阪城を出て天守閣前にやって来ました。

おーっ、めっちゃ人がいる!

まだ完全にコロナが終息した訳ではありませんが、久しぶりに見る光景にちょっと嬉しくなっちゃいました。

抜けるような青空に映える大阪城も見事です

本当は数十年ぶりに天守閣に登ろうと思ってましたが、チケットを買うのも長蛇の列だったから、また次の機会にしておきますか。。

天守閣前には大阪城夢祭のステージが設置され、ステージ上の桐紋と瓢箪のパネルの前で写真を撮ることもできました。

Yahooニュースで見ましたが、イベントのオープニングセレモニーでは松平健さんがここでマツケンサンバを踊ったんですね。

内堀を巡るの黄金の和船にも観光客が乗り込んでました。

大阪城散策はこれでお終い。JO-TERRACE OSAKAを通って駅に向かいます

大阪では有名なお好み焼きの千房(ちぼう)。

駅前パーラー JO-TERRACE OSAKA

結婚式場のキャッスルガーデン大阪の前にエレクトリックトレインがやって来ました。

結婚式の前撮りかな? 末永くお幸せに!

JR環状線で大阪駅に戻り、大丸梅田店のトミカショップで未購入のオリジナルモデルやイベントモデルをお買い上げ。

トミカショップで先行発売されたジブリトミカはとなりのトトロのネコバスと千と千尋の神隠しの海原鉄道は売り切れになってました。通常販売は来月からで既に予約してるので大丈夫です。

ポケモンセンター大阪にも海外からのお客さんが戻ってきてました。

ゲームメーカーのカプコンのSTORE & CAFEがオープンするんだね。。

JR大阪駅 中央口

10月14日は鉄道開業150周年でした。

中央口では鉄道開業150周年ポップアップショップがオープンしていて、記念グッズが販売されてました。

鉄道むすめシリーズの黒潮しらら(左のパネル)のフィギュアがないかなと思いましたが、売ってませんでした。。

黒潮しららは和歌山白浜駅の運輸管理係をモチーフにしたキャラクター。アドベンチャーワールドに因んでパンダを持ってます(笑)

白浜駅では夏になると駅員さんたちがみんなアロハシャツで勤務することでも有名です。

家族にお土産として岡山のきびだんごと三陸岩手のかもめの玉子を買いました。

伊勢の赤福と鉄道150周年のコラボ商品は売り切れみたいでした・・残念。

さて、この後は京都で途中下車してまたブラブラしてきまーす

過去記事<ミライザ大阪城

よろしければ、応援クリックお願いします!


にほんブログ村


ミライザ大阪城

2022年10月24日 13時00分00秒 | 行楽・旅行記3

ミライザ大阪城のこの建物は旧大日本帝国陸軍第四師団司令部庁舎として昭和6年に完成しました。

前大戦後はアメリカ軍に接収され、返還された後は大阪市警察庁、大阪府警本部としても利用されたそうです。

そして昭和35年から平成13年までは大阪市立博物館になっていました。

玄関を入ると目の前には重厚な石造りの階段がありました。

あっ!ミッフィーのパネルが写っちゃってる(爆)

大阪市立博物館が閉館した後は13年間閉鎖されていた建物でしたが、平成29年に商業施設としてリニューアルオープンしました。

シャンデリアも豪華ですね。

90年に渡って戦争の時代、平和な時代を見てきた歴史的な建造物です。

忍屋(SHINOBIYA)は戦国・和小物専門のスーベニアショップ。

修学旅行生たちが賑やかにお土産を選んでる姿にほっこりしました

こちらもお土産物屋の「大阪城本陣」。

海外からの観光客にもウケそうなグッズがたくさん並んでました。

なにわ串専門店の「えんにちや」に「みっふぃーおやつ堂」。

一階にはこの他、「タリーズコーヒー」や「THE KONAMON BAR RIKYU」がテナントとして入っていて、2階、3階にはイタリアンやバー、BBQレストランがあるみたいでした。

大阪城の歴史を紹介した「特別史跡 大阪城跡」のコーナーもありましたよ。

現在の大阪城は豊臣家が滅んだ後に盛り土をして、徳川幕府が大阪城を再築城しました。

なので、見えてる部分は徳川期以降のもので、秀吉の大阪城や石山本願寺遺構は地下に埋没した状態になってます。。

天守閣の南東側で長いこと工事が行われてましたが、発掘された豊臣時代の石垣の展示施設を作っていたんですね。

公開が楽しみです

つづく

過去記事<大阪城西の丸庭園 ライブ準備中

 

よろしければ、応援クリックお願いします!


にほんブログ村


氏郷まつり楽市楽座 2022

2022年10月23日 18時00分00秒 | 行楽・旅行記3

10月22日

滋賀県蒲生郡日野町の日野町役場駐車場で開催された『氏郷(うじさと)まつり 楽市楽座』に妻と出掛けてきました。

コロナ禍前はほぼ毎年訪れてましたが、昨年、一昨年はコロナで中止となってました。

露店の数やお客さんの数は例年に比べると少な目でしたが、地元のイベントによく出掛けていた頃に戻ったみたいでワクワクしちゃいますね~(笑)

いつも人気の唐揚げ、焼き鳥のお店。

店先で焼いてるから、ついつい匂いに誘われちゃいます(笑)

子供たちにとっても楽しいイベントでしょうね。

このコロナ禍で子供たちも色々不自由な生活をしていたでしょうから。

毎年5月に開催される日野祭の曳山。

ステージではマジックショーが行われてました。

田舎町のイベントだから地元の野菜や木工製品を販売するお店が多いですね。

こんななめこの原木も売られてました

このブログでも度々紹介している戦国武将 蒲生氏郷グッズも色々。

蒲生氏郷はここ日野出身の武将ですが、秀吉の元で伊勢松坂城主になったことから、三重県松阪市でも同じく「氏郷まつり」という名前のイベントがあるそうです。

上のイラストのマントに書かれたLEON(レオン)はキリシタン大名であった氏郷の洗礼名ですね。

日野の鎌掛地域の女性たちが立ち上げた地元食材を使った惣菜販売のお店「かますけ工房」さんで好物のくさ餅をお買い上げ

鹿の角も売ってる

帰りは近江牛専門店の岡崎さんで牛肉を購入。

豚や鶏肉はスーパーで買ってるけど、牛肉はここでまとめ買いして冷凍保存しています。

イベントで貰ったブロッコリースプラウトの水耕栽培セット。さっそく育ててみよーっと!

 

よろしければ、応援クリックお願いします!


にほんブログ村


大阪城西の丸庭園 ライブ準備中

2022年10月22日 18時00分00秒 | 行楽・旅行記3

10月19日

もう大阪城公園は数十回訪れてるのに、初めて西の丸庭園(有料)に入ってみました。

庭園から見る天守閣も綺麗ですね

茶室がある豊松庵には入れませんでした。。

大阪城と言えば豊臣秀吉が茶聖 千利休を招いて茶の湯を楽しんだ場所でもありますからね。

この豊松庵は経営の神様 松下電器の松下幸之助氏が寄贈し、昭和44年に完成したそうです。

この西の丸庭園はもともと大阪城代屋敷があった場所でした。

大坂夏の陣の後、大阪は徳川幕府の直轄領となり、1620年からは大阪城の再築城も始まり、城内には城の防衛や維持の最高責任者たる大阪城代が置かれ、城代屋敷は本丸御殿につぐ規模の大きさだったそうです。

しかし、その城代屋敷も幕末維新の混乱の中、火事で焼失してしまいました。。

今は芝生の広場になってる城代屋敷跡では工事車両が慌ただしく出入りして何やら作ってました。

これ、今日18:00から開催されてる『大阪城夢祭 関西ジャニーズ Jr. DREAM LIVE 2022』のライブステージの設営でした。

おかげで大阪迎賓館の写真が撮りにくかったけど、珍しいもんを見ることができました(笑)

千貫櫓は土日に公開されていて、中にも入ることができるようでした(ただし別料金・・)。

ライブの時は天守閣もライトアップされたりするんかな

と、ここで一旦タイムアップ!

病院に戻って診察を受けてから再び今度は本丸に向かいます。

公園内に屋台が出てるなんて2年半ぶりの光景でした

内空堀の緑が綺麗

桜門を通って本丸に向かいまーす

つづく

過去記事<大阪城西の丸庭園  大阪迎賓館

よろしければ、応援クリックお願いします!


にほんブログ村


大阪城西の丸庭園 大阪迎賓館

2022年10月22日 04時00分00秒 | 行楽・旅行記3

10月19日

大阪城大手門から城内へ入ります。

9時を過ぎると、観光バスが次々と到着し、修学旅行生たちがたくさんやって来ました。

こういったコロナ禍前の日常に戻りつつあるのを見ると嬉しくなっちゃいます

欧米からの観光客もチラホラ。

多聞櫓をくぐってすぐの所に西の丸庭園の入り口があります。

入園料を払っていざ西の丸庭園へ初入場

国の重要文化財の焔硝蔵(えんしょうぐら)

徳川幕府が鉄砲や大砲に使う火薬を保管していた蔵で貞亨2年(1685年)に建造されました。

焔硝蔵は当時城内に数か所あったそうですが、青屋口にあった蔵は万治3年(1660年)に落雷で大爆発を起こしたそうです。

蔵の入り口。

幕府は焔硝の保管方法に苦労したらしく、この焔硝蔵は耐火、耐久、防水に工夫を凝らし、床、壁、天井、梁は全て花崗岩を使い、壁の厚さは2.4mもあります。

庭園の一番奥にあるのが大阪迎賓館。

1995年のAPEC大阪開催のために造られた建物で、2019年にはG20大阪サミットの夕食会場としても使われました。

今は宴会場、結婚式披露宴会場としても利用されてるそうですね。

入り口は北側にあって、中を覗くと玄関に一の谷馬藺後立付き兜の秀吉甲冑がありました。

つづく

過去記事<大阪城  市民の森から大手門へ

よろしければ、応援クリックお願いします!


にほんブログ村