NHK大河ドラマ「真田丸」の最終回放映が終わりました。
久しぶりに毎週楽しみしていた大河ドラマだっただけに真田丸ロスになりそうです(涙)
そのうえ、放映が始まってからあと少しで1年が過ぎようとしてるのかと思ったら、過ぎゆく時の早さに愕然となります
この1年どっぷりハマっていた真田丸だけに、そのゆかりの地である長野県の上田や和歌山の九度山にも行ってみたかったけど、それは叶いませんでした。その代わり大阪市内にある信繁(幸村)ゆかりの場所にはいくつか訪れることができました。
云わずと知れた大阪城天守閣。
大阪冬の陣で徳川軍が放った大筒の砲弾が天主閣の屋根に命中するシーンはこれまでの大河ドラマでは見たことないような凄いシーンでしたね。
守りが手薄な大阪城の南端に幸村が築いたとされる出城「真田丸」があった天王寺区玉造界隈も春に訪れてみました。
写真は三光神社とその境内にある真田幸村公之像と真田の抜け穴跡。
この神社が鎮座する宰相山(真田山)は大阪冬の陣の当時、あの真田丸が置かれた場所とされてます。
抜け穴のある石垣の上に並んだ六文銭の描かれた盾が真田丸ファンにはたまりません!
その近くの大阪新四十八願所阿弥陀巡礼第11番 心眼寺には真田幸村出丸跡の碑があり、大阪市教育委員会大阪市顕彰史跡第204号真田出丸城跡のプレートも掲げられていました。
この心眼寺は真田信繁と息子大助の供養のため、江戸時代に真田家の祖先である滋野氏が建立した寺だそうで、山号は真田山となっており、紋も真田の六文銭が使われてます。写真は信繁400回忌の際に境内に建立された『従五位下 真田左衛門佐豊臣信繁之墓』の墓碑になります。
大阪天王寺区 安居神社 真田幸村像と真田幸村戦死跡之碑
元和元年(1915年)、再び家康が大阪城を攻めた大阪夏の陣。後藤又兵衛や薄田基相と片山道明寺まで討って出た信繁は又兵衛らが討死したため、殿軍となって伊達正宗兵と戦いながら撤退し、天王寺付近に布陣します。
体勢を立て直した信繁率いる真田隊は越前松平の松平忠直隊15,000の大軍を突破、後方の家康本陣に突入し、何度も家康を脅かすも、度重なる突撃で兵は消耗し、形成は次第に不利になっていきます。
兵力で勝る徳川勢に押し返されて真田軍は敗れ、追い詰められた信繁がこの安居神社で傷つき疲れた身体を休ませていたところを松平忠直隊鉄砲組頭の西尾宗次に見つかり、信繁は「わしの首を手柄にされよ」との最後の言葉を残して討ち取られたと云われています。
信繁の最後をどんな風に描くんだろうとドキドキしてましたが、ラストシーンは史実とは違ってましたね。
この1年たっぷり楽しませてもらった真田丸、総集編(12月30日放送予定)は録画して正月は再び真田丸三昧で過ごしたいと思います(笑)
※過去ブログ『お気楽忍者のブログ』も2017年3月31日まで閲覧して頂けます。
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