2017年1月
三重県伊賀市街の中心部にある崇廣堂(すうこうどう)
崇廣堂は伊勢国津藩の第10代藩主 藤堂高兌が伊賀・大和・山城の領地に住む藩士の子弟を教育するために津の藩校・有造館の支校として伊賀の地に建てたものです。
1930年(昭和5年)には、「旧崇廣堂」として国の史跡にも指定されています。
入館するとまず薄暗い展示室に案内され、有無を言わさず崇廣堂の歴史に関するビデオを見ることに・・(笑)
当時使われていた論語の教本。
豊臣秀吉、徳川家康に仕えた藤堂高虎が伊勢津藩主となり、この崇廣堂を造った藤堂高兌は江戸時代中期に津藩第10代藩主を務めました。
嘉永7年(1854年)に伊賀地方を襲った安政伊賀地震で建物の大半が大破したそうですが、翌年には復興され、明治の世になってからは小学校や市立図書館として使用されていた時期もあったそうです。
講堂は創建時の姿のままだそうです。
当時、この広間で藩士の子供たちが机を並べて勉学に励んでいたんでしょうね。
息子もあやかりたいものです。。
台所には大きなかまどがありました。
木でできた小便器なんて初めてみました
崇廣堂は伊賀上野城や伊賀流忍者屋敷のある上野公園の南側すぐのところにあります。
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