7月14日
滋賀県甲賀市に移り住んで31年経ちますが、この日初めて『甲賀流 忍術屋敷』に行ってきました。「近い観光地ほど行かない」の典型ですね(笑)
甲賀市には、忍者をテーマにした観光施設として、『甲賀の里 忍術村』、『甲賀流 忍術屋敷』、『甲賀流 リアル忍者館』があって、このブログで唯一紹介してないのが忍術屋敷でした。。
この忍術屋敷は観光用に建てられたものではなく、元禄年間(1688-1704年)に建てられた甲賀五十三家筆頭格の望月家本家の邸宅でした。
まずは、大広間で忍者の歴史に関する映像鑑賞。
甲賀忍者愛用の薬草茶である健保茶を頂くことができました。
一昨年の自然体験会で飲んだ薬草茶に似てますね。
過去記事<自然体験で栗大福?>
「その始祖は出雲之守や七変化」
庭にあった碑ですが、出雲守(いづものかみ)とは望月出雲守のことでしょうか?
長享元年(1487年)、将軍 足利義尚が近江守護 佐々木六角高頼を討伐するために近江に侵攻。甲賀武士団は高頼の依頼を受けて義尚軍に対してゲリラ戦を展開。これにより六角高頼を守り抜き、後にこの奇襲戦は「鈎(まがり)の陣」と呼ばれました。
六角氏に味方した甲賀の地侍が甲賀五十三家と呼ばれる後の甲賀流忍術の中心となった家々で、望月家はその筆頭格でした。その望月出雲守は霧を自由に発生させる術を持っていたとも伝わります。
引き戸を開けるとそこは落とし穴
今は上にガラス窓がはめ込まれてます。
ここは引き戸を開けると2階にあがるハシゴが現れます。
天井の低い2階には外を見張る窓もありました。
すでに世の中が安定した江戸時代前期に建てられた邸宅でしたが、まだ乱世の記憶も覚めず、豊臣秀吉による改易処分といった厳しい経験を重ねてきたことから、今だ忍者としての高度な能力を有していた望月一族は、今後の不測の事態に備え、自身の居宅に抜け穴やどんでん返しといった多くのからくりを施したと考えられています。
1階の紐を引っ張ると、2階の鳴子が鳴る仕掛け
下に降りるハシゴが架かっている場所には、刀を置けるようになってました。敵が攻めてきた時の備えなんですかね。
お次は忍者にまつわる資料を見学してみます。
つづく
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