2021年11月 元離宮二条城(京都府京都市中京区)
京都市中京区の世界遺産 元離宮二条城(二条城)にやって来ました。
徳川家康の命で、天皇のいる京都の守護と上洛時の宿所として建設された二条城は慶長8年(1603年)に落成しました。
手指消毒や検温してから東大手門を通って中へ入ります。
かの有名な唐門(重要文化財)。
唐門は二の丸御殿の正門にあたり、切妻造、桧皮葺の四脚門でその屋根の前後に唐破風が付きます。
桃山時代末期の慶長7~8年(1602~1603年)に造営されました。
コロナも落ち着いていた時期だったから、修学旅行あるいは遠足とおぼしき小中学生が多く訪れてました。
国宝の二の丸御殿(御殿内は写真撮影禁止)
何と言っても歴史の教科書に載っていた徳川最後の将軍 慶喜によって政権を幕府から朝廷に返還する大政奉還を宣言した大広間を見ることができて感激しました
ただ、残念だったのは重要文化財の本丸御殿が改修中でその姿を見ることができませんでした。。
天守閣跡から眺めた綺麗な紅葉
香雲亭(こううんてい)
普段は内部公開されていないので、南側から外観を眺めるだけですが、期間限定で食事の提供があったり、結婚式場として使われることもあるそうです。
長屋門・土蔵の前の銀杏の黄色い絨毯も綺麗でした
神泉苑(京都府京都市中京区)
二条城の南にある神泉苑(しんせんえん)にも立ち寄りました。
神泉苑(しんせんえん)は794年に桓武天皇によって平安京大内裏に接して造営された禁苑(天皇の庭園)でした。
拝観は無料です
その後、中世にかけては東寺が管掌する雨乞いを行う霊場となります。
この法成就池(ほうじょうじゅいけ)は日本中が日照りの際に、弘法大師空海が北天竺より善女龍王様をよびよせ、祈雨の修法を行い成就させたことに由来します。
824年には西寺の守敏と東寺の空海が祈雨の法を競ったとも云われてます。
律宗大本山 壬生寺(京都府京都市中京区)
お次は幕末維新史が好きな管理人が訪れてみたかった場所、新選組ゆかりの壬生寺に着きました
幕末の京都の治安維持のため、京都守護職 松平容保(会津藩主)の直轄組織だった新選組(壬生浪士)の屯所がこの壬生寺の北にある八木邸に置かれていました。
その後、屯所が西本願寺に移った後もこの寺の境内は隊士の兵法調練場として使われたそうです。
新選組隊士慰霊塔
新選組局長 近藤勇の胸像がありました。
近藤勇は寡黙な人物だったと云われてますね。また、口が大きく、口の中に自分の拳が入ったことは有名です。
新選組内の内ゲバで暗殺された芹沢鴨、平山五郎、河合奢三郎のお墓もありました。
本堂
安政3年(1856年)に再建された重要文化財の大念仏堂は壬生狂言が行われる舞台です。
この後は壬生寺の北に隣接した新選組の屯所であった八木邸に行ってみます。
つづく
過去記事<Memories of vacations in 2021(11)>
よろしければ、応援クリックお願いします!
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます