2016年11月
初冬の夕暮れに妻と訪れた三重県伊賀市にある真言宗智山派 五寶山 新大仏寺。
建長2年(1202年)、源頼朝が後鳥羽上皇の勅願寺として開創、重源を開山として創建された古刹です。
重源は源平の争乱で荒廃した奈良の東大寺の再興事業を指揮した僧で、このお寺はその当時 東大寺の伊賀別所となっていました。
新大仏寺は東大寺に敬意を払って、「新」の文字を頭に付けたと云われてます。
大仏殿
岩屋不動
元々は後の岩肌に不動明王が彫られていたそうですが、崩落してしまい、現在はその前に高さ6mの大きな不動明王立像が安置されていて迫力がありました。
国の重要文化財 本尊の大仏はこちらの建物の中にあるようです。
受付で拝観したい旨を告げ、拝観料¥300を払って中に入れてもらいました(写真撮影禁止)。
何となく奈良の大仏をイメージしてたのに、表面に金箔が貼られたピカピカの仏像でした
体部分は江戸時代に作り直されたものだそうですが、頭部はあの快慶の作であることが分かっています。
もともとは阿弥陀如来立像だったと云われてますが、今は廬舎那仏として地元の方々の信仰を集めてます。
因みに奈良の大仏は廬舎那仏、鎌倉の大仏は阿弥陀如来です。
境内に咲いていた十月桜。
紅葉と桜のコントラストが何とも不思議・・・下の仏像は白寿観音と慈母観音です。
戦国末期から江戸時代前期はかなり荒廃したようで、再建されたのは江戸中期の頃でした。
伊賀出身の俳人 松尾芭蕉は『笈の小文』の中で「伽藍は破れて礎を残し・・・」と荒廃期の新大仏寺の様子を書き記してます。
新大仏寺ホームページより引用
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