お気楽忍者のブログ 弐の巻

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京都写ん歩 神泉苑から壬生へ

2021年11月25日 17時30分00秒 | 行楽・旅行記3

二条の神泉苑を後にしてさらに南へと向かいます。

京都はメインの通りよりも狭い通りを歩くと色んな発見があって面白い町ですね。

神泉苑通りを歩くと、民家に挟まれたお稲荷さんがありました。

過去記事<京都写ん歩 神泉苑

「感謝の心で花が咲き、不平の心で花が散る」

ありがたいお言葉・・・

後院通りの壬生車庫前交差点に出ると、京都府警中京警察署がありました。

ウッド調の格子が付いた窓が京都っぽい。でも、おそらく木の格子ではないですよね。。。

四条通りから坊城通りに入ると元祇園 梛神社(もとぎおん なぎじんじゃ)がありました。

元祇園ってどういう意味? どうして梛神社って名前なの?

いろいろ疑問が尽きません

社伝によると、貞観11年(869年)に京の都で疫病が流行り、播磨の国の広峰神社から牛頭天王を勧請して鎮疫祭を行った時、牛頭天王の分霊を乗せた神輿を梛の木の前に置いて祀ったことが社名の由来だそうです。

その後、牛頭天王(素戔嗚尊)を祀る祇園の八坂神社を創建する際に、ここの住民が牛頭天王の神輿を八坂に送ったといい、これによって元祇園社と呼ばれたそうです。

ご神木の梛は葉の葉脈が縦に走ることから、葉が切れにくく、これが縁が切れないに転じて、縁結びのご利益があります。

また、大正時代に式内 隼神社が境内に建てられ、梛神社の本殿(左)と隼神社の本殿(右)が並ぶ珍しい様式の神社となってます。

シンプルかつ京都っぽい佇まいのカフェ。

京都市の有形文化財の旧 神先家住宅。

足利家に仕えた神先備前太輔がに壬生に移り住み、神先家は代々郷士を相続しました。

現存する建物は19世紀初頭に建築されたもので、保存状況も良く、武家住宅風の上層民家として貴重な建物だそうです。

さてさて、誠の文字が染め抜かれた幟が見えてきましたよ。

幕末維新史が好きな管理人が訪れてみたかった場所、新選組ゆかりの壬生寺に着きました

つづく

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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (masa)
2021-11-26 06:32:10
まめ吉さん>
お疲れ様です。
9か月ぶりの京都でした。
平日でしたが、観光客はそこそこ居ましたね。
コロナが落ち着いてる今が京都観光のチャンスではあります。
お時間があればぜひ行ってみて下さい。
返信する
Unknown (まめ吉)
2021-11-25 22:33:14
お疲れ様です。
いや〜、良いですね〜。
私も京都行きたくなってきました。
神泉苑も壬生寺もまだ行った事無いんですよね〜。
京都なら日帰り可能なので時間作って行ってみようかな。
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