6月8日
滋賀県東近江市の石塔町にやって来ました。
県道46号線八日市蒲生線から目的地に向かう道に折れると、何かよく分かりませんが、顔の石像がありました(謎)
よく整備された道で、屋根付きのステージのような施設もありますね。
その道の突き当りにあるのが、今回の目的地の天台宗阿育王山 石塔寺(いしどうじ)です。
伝承によれば、聖徳太子が近江に48か寺を建立し、最後となる48番目の満願の寺院として建てたのが石塔寺で、本願成就寺と称したと云われます。
受付で拝観料を払い・・・
本堂の裏手の丘へ長い石段を登っていくと・・・
聳える三重石塔(伝 阿育王塔)がありました。
この石塔は奈良時代前期に建立されたもので、石造層塔としては日本最古であり、石造三重塔としては日本最大(高さ7.6m)、国の重要文化財に指定されてます。
三重石塔の周りにはおよそ1万基の石塔があると言われてます。
平安時代に唐に留学した比叡山の僧 寂照法師は、唐五台山の僧から、「昔、インドの阿育王(あしょかおう、アショーカ王)が仏教隆盛を願って三千世界に撒布した8万4千基の仏舎利塔のうち、2基が日本に飛来していて、1基は琵琶湖の湖中、1基は近江国渡来山の土中にある」と聞きました。
寂照は日本に手紙を送ってこのことを知らせ、それを聞いた一条天皇は勅命を発し、塔の探索を行ったところ、石塔寺の裏山に大きな塚を発見しました。天皇の勅使が掘ってみたところ、この阿育王塔が出土したと伝わってます。
三重石塔の様式は、朝鮮半島の古代の石造物に類似しているそうです。
日本書記に、天智天皇8年、朝鮮の百済からの渡来人700人を近江国蒲生野へ移住させた旨の記述があることから、三重石塔は百済系の渡来人によって建立されたものであるとの見方が一般的だそうです。
残念ながら阿育王塔ではないようですが、まさかこんな所で、紀元前3世紀頃に古代インド マウリヤ朝の王で、仏教を篤く信仰、保護したアショーカ王の伝説に出会えるとは思いませんでした。
つづく
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