ニョニョのひとりごと

バイリンガルで詩とコラムを綴っています

朝鮮新報に掲載していただきました。 3・31舞踊公演の随筆です。

2015-04-09 20:05:17 | 詩・コラム


  姜輝鮮朝鮮舞踊研究所設立35周年に思う




「舞う 舞い上がれ 一つになるまで!」


  去る3月31日、クレオ大阪中央において姜輝鮮朝鮮舞踊研究所 第33回 発表会が行われた。研究所設立35周年を迎えての記念すべき発表会だった。

  35年前の1980年5月、文芸同大阪の専従だった私は、開所式の準備を手伝うため前日から研究所に伺った。生後5か月の末息子をおんぶしたまま、先生と一緒に床磨きをしながら、いろんなことを語り合った。研究所設立は、在日同胞の中でも初めてのことだったので、不安も大きかったようだ。

  35年の間にどれだけ多くの生徒が研究所に通い、舞踊家や指導員に育ったことか。大阪だけでも舞踊教室は5ヵ所に増え、当初のころ7~80人いた研究生も今や25人ほどになったが、オムツも外せなかった2歳のころから30年間通い続けている研究生もいる。彼女を惹きつけたものは何だったであろう。

  運営も苦しく何回も研究所を閉じようとされたが「自分には朝鮮舞踊しかない」という想いが、先生を今日まで奮い立たせたと思う。

  35年のあいだ、発表会を毎回手伝うことは出来なかったけど、ナレーションの原稿を書いたりと、色々な形でお手伝いをさせていただいた。





「抗日パルチザンの娘ーチェ・ヒスク」を演じて


  今回の発表会には特別なものを感じた。それは2部の「朝鮮の娘たち」の中に抗日パルチザン「チェ・ヒスク」が初めて描かれたためだ。

  今から45年ほど前、歌舞団団員だった私は、中之島公会堂で行われた集いの公演でこの演目を演じさせていただいた。

  祖国の解放の為、パルチザンの裁縫隊の責任者として600着もの軍服を超人的な努力で期限内に作り上げたチェ・ヒスク。討伐隊の襲撃にあい、過酷な拷問の末、眼まで奪われたが、屈することなく「私には目が見えない、しかし私には革命勝利の日が見える!・・・」と言って敵を震えあがらせたチェ・ヒスク。

  ナレーションを書くにあたり、もう一度資料を読みなおした。45年前のことが昨日のことのように鮮明に蘇った。青春真っただ中だったあの頃、私が舞台で演じたチェ・ヒスクを45年経った今、中級部時代の教え子である金里奈が舞台で踊る。考えただけでも胸の高鳴りを抑えることが出来なかった。






  発表会当日、すべての演目が素晴らしかったけど、抗日パルチザン「チェ・ヒスク」は最高の感動を呼び起こした。

  先生自身も演出過程で、この舞踊が客席の皆さんに受け止めていただけるだろうかと少し心配されたそうだが、とんでもない。一番大きな拍手を頂いた。こんな不安定な時代だからこそ、決してぶれることなく、最後まで祖国解放のため戦った彼女の生き様が大きな支持と感動をもたらしたのだと思う。

  発表会を見に来て下さった「火曜行動」常時参加者の中山さんが、感想を送って下さった。

 「舞踊は良く分からないが、ただただ感動の連続だった。2部の『朝鮮の娘たち』はすばらしかった。古朝鮮から日帝支配まで大国の支配に抵抗して独立を勝ち取る歴史を描いた舞踊。特に反日武装闘争を描いた場面は躍動的で圧巻だった。朝鮮半島をがんじがらめにしていた太い鉄鎖が千切れる瞬間、踊り手のそれまでにらみつけるような表情が瞬時に笑顔になった。すばらしい演出だった。これが解放か。表情すら一瞬で変わる・・・」

  今回の発表会を通じて私は、姜先生の舞踊人生と共に自分自身の人生をも振り返ることが出来た。

 「舞う 舞い上がれ 一つになるまで!」

  このスローガンを掲げ、35年もの長い間、唯々祖国統一を願いひたすら歩んでこられた先生!古希を迎えられても「祖国統一のその日までは・・・」と今日も頑張る先生!なんと素晴らしい人生だろう!







       (写真提供は秦勝元さん)
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