エドウィン・ライシャワー氏著「ライシャワーの日本史」(昭和61年刊 株式会社文芸春秋)、を読んでいる。
平泉氏の対談と合わせ読むと、結構面白いという発見をした。
私の記憶にあるライシャワー氏は、日本大使をしていた壮年の頃の、精悍な姿だ。動画の平泉氏氏が81歳なので、ついライシャワー氏の方が若いような、錯覚をしてしまう。
パソコンで調べてみると、ライシャワー氏は明治45年生まれなので、平泉氏より14才も年長だった。日本女性と結婚していると聞いていたが、宣教師だった父君が、たまたま日本に住んでいたため、生まれも東京だとは知らなかった。
何回目かの対談で、平泉氏が語っていた。
「戦前の日本が間違ったのは、中国に対するアメリカの強い思い、」「執念とも言える思い込み。それに気づかなかったところですね。」「あるいは気づいていても、軽く考えていたのか。」「遅れて台頭した列強でしたから、アメリカは中国に対して、野心を燃やしていました。」
「宗教的情熱の国でもありますから、自分の国のミッションは、神の国を地上に作ることだとも信じています。」「当時の列強が、中国を勝手に分割していた時、国務長官名でアメリカが門戸開放宣言をしましたね。」「これは、どこの国にも、中国をこれ以上勝手にさせないぞという、強い意思表示でした。」
「今でこそ共産化していますが、当時の中国は、アメリカにとって花園のような認識でした。」「キリスト教を伝えるために渡っている、宣教師の数は、アメリカが一番でしたし、」「彼らは中国を理解し、中国のために献身していました。」「宣教師たちのもたらす情報によって、アメリカの中国認識が、ますます深まっていきました。」
そんなに強い思い入れがあるとも知らず、満州を侵略した日本は、アメリカの虎の尾を踏んでしまった。
「アメリカのという国の性格を、簡単に言って仕舞えば、」「中国への野心と、人種偏見なんです。」
白人でもない日本人が、どこまでいい気になるのかと、だから敗戦後は、徹底的にやられたのだと言うのが、平泉氏の説明だった。
ライシャワー氏の著作を読んでいると、意識の底を流れる、米国人の思考の糸が見えてきた。平泉氏の言に、符合するものがある。学識豊かなライシャワー氏の語り口が、偏見を感じさせないから、深く考えず読んでいると素通りしてしまう。
氏は冒頭に、日本人の気質の素晴らしさや勤勉さを語り、縄文時代から弥生、飛鳥と、並みの日本人が知らない歴史を詳述する。しかし、日本史の区切り方は、私たちが学校で習った区分ではない。
古墳時代、飛鳥、奈良、平安と教わったが、氏は、これを
1.国土と民族、 2.中国の模倣時代、
3.国風文化の発展 4.封建社会の発展、と区分する。
本の表題が「ライシャワーの日本史」だから、氏が好きにして良いという理屈もあるが、私には違和感があった。そして、この記述だ。
「文化的には、日本は中国文明の娘の一人である。」
遣隋使、遣唐使の頃から、日本は多量の文明、文物を中国から受け入れ、国づくりの根幹にした。だからといって、「娘の一人」であるというこの表現 ?
平泉氏の言葉が、私の中で重みをもって蘇る。
「宣教師たちは中国を理解し、中国のために献身していました。」「彼らのもたらす情報によって、アメリカの中国認識が、ますます深まっていきました。」
氏の父君がそうした宣教師の一人であったこと、氏が父君を通じ、中国や中国人に親しみを覚え、深く理解をしていることが伺えた。日本の歴史という本だから、多くは語られていないが、素晴らしい文明国としての中国が、常に背景に置かれている。
以前の自分なら、感心しながらぺージを追ったのだろうが、愛国の意識に目覚めた今は、なぜか素直に読めなくなった。戦国時代、鎌倉、江戸、明治維新と、日本人の学者かと思うほど、詳しく歴史を語っていた氏が、今大戦前の頃から、米国人らしい意見を見せ始める。
「日本の全体主義には、ヒトラーの " わが闘争 " に匹敵するものが、なかった。」「それに代わる、国家哲学を作り出そうとした結果生まれたのが、」「" 国体の本義 " という、書物である。」「古代神話を強調し、万世一系の天皇家のユニークさゆえに、」「日本は、他の国家より優れているという思想である。」
「天皇に関する記述も、むろん多いが、儒教思想や、武士道についての言及も、少なくない。」「だがこれは、時代遅れな思想の、奇妙きわまりない混合でしかなかった。」
「知的内容はなく、提唱されている思想でさえ、曖昧模糊として、中身がなかった。」
「中には、八紘一宇という意味の、古代中国の哲学思想からの、借用まであった。」「善意に解釈すれば、世界の全民族が、一つに連帯することを表す言葉とも取れるが、」「悪意に解釈すれば、世界中に、日本の支配が行き渡ることを表したとも取れる。」
完膚無きまでの悪評である。「国体の本義」は、本の名前だけしか知らないので、果たしてそんなものなのか、いつか自分で確かめてみようと思う。
こうして氏は、一気に、第二次世界大戦での日本の敗北へと進む。これまでの冷静な文章が影を潜め、日本の指導層、特に軍部へ、憎しみに近い思いが滲んでくる。氏は、軍部の暴走を強調するが、今日では、ルーズべルトやスターリンが、日本を戦争に追い込んだという記録も、明らかになりつつある。
要するに氏の意見は、「日本軍部の暴走」、「日本軍の邪悪な侵略」、「天皇制の間違い」、「日本の過ち」といった、いわゆる東京裁判史観の展開だった。知日派の政治家として、日本では、親しみをもって語られているが、事実はそうだったのだろうか。
「日本軍部の対外政策には、根本的に間違っていた、一つの思い込みがあった。」「日本軍部は、みずからが、盲目的愛国心に身を委ねる一方で、」「近隣諸国からは、欧米の圧政からの解放者として、歓迎されるばかりか、」「彼らが、日本を盟主とする東アジア支配におとなしく盲従して、何も不満を持たぬはずと、思い込んでいたのである。」
「しかしナショナリズムの波は、急速に広がっていた。」「特に中国では、その勢いが激しく、朝鮮半島や満州での植民地支配の現実は、」「もはや日本人を、ヨーロッパ人やアメリカ人よりも、魅力ある主人とは思わせなくなっていた。」
「日本帝国が、大きくなっていくに従って、中国人の抵抗も激しいものとなっていった。」「東アジアに侵略し、一大帝国を築きあげようと、野心にかられた日本は、歴史的にいささか遅きに失していた。」
現在のアジア諸国では、戦前の日本について、氏と異なる主張もあり、こうした断定が正しいのかどうか。自分でもっと確かめてみたい。
ハッキリしているのは、氏が述べている通り、日本を憎み、嫌悪しているのは、今でも中国と韓国で、侵略侵略と騒いでいるのも、この二国である。むしろ、こうした氏の著作が、中国や韓国に日本攻撃の口実を与え、アメリカが理解していると、強気にさせたのではなかろうか。
本当に彼は知日派なのだろうかと、次第に疑問が生じてくる。
明日から、本の後半に入るが、忙しいことになった。平泉氏とライシャワー氏の二人を同時に、相手にするなど、こんなことが、何時まで続けられるのだろう。気力体力、そしてもちろん知力だって、私にはもうない。
あるとしたら、自分の国を思う心、それだけだ。
不安もあるが、ええままよ、どうせ「みみずの戯言」でないか。なるようになれ
・・・・ということで、今晩はここで終わり。