昨日と打って変わった、曇天の日和だ。一面の薄雲が日の光を遮り、私の気持ちまで暗くする。
しかし、昨夜決めたのだから、気分をかき立て、ライシャワー氏の叙述を追うとしよう。
「新憲法の中で、最も注目すべきものは、第九条が掲げる、戦争の放棄、という規定である。 」「この規定は、日本を永久的に武装解除しようという、アメリカの狙いとも、」「また、かって国中にはびこった、軍国主義に対する日本人の反感とも、合致するものであった。」
昔なら同意して読んだであろうが、今は、氏の説明を鵜呑みにできない自分がいる。
氏の著書は、最初からそうだが、半分の事実と半分の虚構がある。軍国主義に対する国民の反感と合致したと、説明しているが、後段で氏が述べる、次のような事実が背景に隠れている。
「軍国主義者と、天皇中心論の保守主義者が、不名誉な敗北を喫した時、」「一般の日本国民は、社会主義者や、共産主義者の批判が正しかったのだと考えた。」「アメリカの占領は、思想界を、社会主義者と共産主義者の牛耳るままに任せ、」「その左翼思想が雑誌、新聞、大学教員、学生団体を席巻した。」「小中学校の強力な教職員組合は、おおむね極左勢力が、支配するようになった。」
現在保守の人々が嫌悪して止まない、反日・売国の人間は、この時から力をつけていたのだ。GHQがした強力な報道規制のため、軍事にからむ言動が禁止され、代わりに左翼的主張が放任され、「腐れマスコミ」の横行が、ここから始まっている。
いわばこれらの人間たちの存在は、占領軍の置き土産なのだ。人殺しは嫌だ、戦争はもう沢山、平和こそが素晴らしい、人間の命は尊いなどと、美しい反戦の言葉が、国民に浸透して行ったのは、GHQの力があったからだ。こんな歴史の事実を、国防意識を失ったお花畑の人々に、知ってもらいたいものだ。
「日本を、軍事的に弱体化するには、政治制度の民主化が必要だという認識は、」「アメリカ人にとって、自明のことであろう。」「だがそれよりも、アメリカ人が、民主的改革の基盤づくりのため、」「日本の経済と社会を、徹底的に変質させようと考えたことは、むしろ驚きに値する。」
「アメリカ人が、およそアメリカ人らしからぬ、革命的情熱を日本で燃やしたのは、なぜだろう。」「よく聞かされる説明は、日本社会は極めて悪質だから、荒療治で臨まなければ矯正できない、という説であった。」
「この弁明は、ある点では、無知がもたらした結果であり、ある点では、マルクス主義的な解釈によるものであった。」
こうして、米国の事情を率直に批判するから、多くの日本人が、氏を「親日派」などと誤解したのだ。後に続く氏の主張を知ったら、それでも親日派だと信じる人間は、果たして何人になるのか。
「しかし診断がいかに間違っていようとも、この薬は結果的にな、かなかの効き目を見せた。」「マッカーサーは、アメリカが生んだ、最も過激な、社会主義的と呼んでもいいくらいの指導者と化し、」「目覚ましい成功者の一人となった。」
「革命的変革というものは、どこかよその国が、有無を言わせぬ軍事力を背景とした方が、実現はたやすいのである。」
この高慢な意見に対して、私は、新聞記者ゲインに抱いたのと同じ怒りを覚える。しかも、氏はまたしても、重要な事実を故意に語っていない。
アメリカ人が、なぜ日本で革命的情熱を燃やしたのかと、不思議そうに語るが、不思議でも何でもない。当時マッカーサーの側近の中には、多くの共産主義者たちがいて、民主化という名の下に、日本を共産化の実験場にしていたからだ。
今では多くの日本人が知っているのに、反日・売国のマスコミと、学者や政治家たちが国民への説明を拒んでいる。
1950年代に、アメリカで、マッカーシー旋風が吹き荒れたことを思い出してみよう。レイモンド・マッカーシー議員が、「国務省には250人の共産党員がいる。」と主張し、アメリカ国内が激しく揺れた。
政府職員やマスコミ関係者や、著名な映画人など、アメリカ社会の全般にわたって赤狩りの嵐が吹き、自殺者や追放者や密告者などが、ニュースを賑わせ、国家反逆罪やスパイ容疑で徹底的に糾弾された。
マッカーサーの配下にいて、日本への荒療治を断行したのは、こうした共産主義者たちだった。自国では、非情なまでに共産主義者の追放をしていながら、日本ではそのまましていたアメリカ・・と、これが氏の語らなかった重要な事実だ。私が、氏の著作を評価しない理由が、ここにある。
おかげで反日・売国の勢力は、現在も日本の隅々にはびこり、社会に騒擾の種を蒔き続けている。いわゆる「獅子身中の虫」「駆除すべき害虫」である。
だがもう、こんなことはいくら述べてもキリがない。それより昨日発見した「平泉氏との共通点」について語りろう。そっちの方が、少しは前向きな話だ。
忘れもしない、これが亡くなられた平泉氏の切実な主張だった。
「今の日本は、時代の流れとして、国民が英語をやらねばならなくなっています。」「書物を理解するための英語でなく、日本人の意見を、世界に発信するための道具としての英語なんです。」
ライシャワー氏の叙述の中に、この事実が証明されている。
「当時の日本政府の最大の仕事と言えば、アメリカ側と折衝し、」「占領政策に影響を与えるよう、努めることであった。」「この任務を遂行するうえで、堪能な英語力がものをいったから、占領下の首相のうち一人を除いて、」「幣原、吉田、芦田と三人までが、外務省出身者であったのも、偶然でない。」
当時から、意思を発する道具としての英語力無しでは、政治家が務まらなかったという事実だ。( 余計なことだが、除かれた一人とは、英語の喋れなかった鳩山氏であり、ルーピー鳩山元総理の、祖父である。)
本の最後に書かれた氏の意見を引用し、そろそろ終わりとしたい。
長い文章なので、省略し、割愛し、自分に都合の良い部分だけを書き抜くこととする。創作だと氏に抗議される可能性もあるが、虚実をない交ぜにした、この著作の全体を思えば、これくらいのことは許されていいような気がする。
「日本人が、みごとな組織化能力を発揮してきたことを思えば、」「日本が、世界の中で、重要な役割を果たす可能性は、大きかった。」「しかし日本人は、際立った独自性を持つ言語と、日本人独特の控えめな態度、」「あるいは対人関係にみせる、特有の流儀に阻まれて、他国民と打ち解けた交際をするのが、概して下手であった。」
「日本が、指導的な役割を果たすうえでは、もちろんのこと、世界のもろもろの問題解決に参画し、役立っていくためには、」「これまで以上に、意思疎通に熟達し、他国民との共同体意識を持つことが、求められている。」
私はラ、イシャワー氏の言葉の向こう側に、平泉氏からの熱い訴えを聞いた。
「今の日本は、時代の流れとして、国民が英語をやらねばならなくなっています。」「書物を理解するための英語でなく、日本人の意見を、世界に発信するための、道具としての英語です。」