朝方の雨が止み、珍しく青空が広がった。心地よい涼風が、例年より早い秋の気配を運んできている。
今日はこれから、玄関の植木を手入れしようと思う。ちいさな緑色の実をつけ木が、程よく入り口を飾っている。どんぐりの仲間だと思うが、名前は知らない。大木になると手に負えないはずだが、今はほっそりとした姿で目を楽しませてくれる。昨年冬の寒さで鉢がひび割れたのを、細縄で縛り、洒落た飾りのつもりでいたが、木の成長で割れが広がり、水をやっても漏れてしまうようになった。
それで大蔵大臣の家内と相談し、昨日奮発して植木鉢を買ってきた。朝から本を読んでいる間に天気が回復したので、植え替え作業にかかろう。
うまい具合に本も読み終えた。産経新聞東京経済部編「資源小国ニッポンの挑戦」(平成19年刊 産経新聞社)だ。新聞に一年間連載した記事を、一冊にしたものだという。
風力発電、太陽光発電、地熱発電、燃料電池、バイオエタノール等々、未来のエネルギーが紹介されている。いかにも有望なものとして語られているが、採算面から不可能な話も混じっているらしく、素人の自分にはどれも夢の話でしかない。資源小国の日本は、原油の90%以上を中東に依存している。オイルロードと呼ばれるシーレーンに、日本の原油使用量の半日分に相当する30万キロリットルを積む巨大タンカーが航行し、1日1500万バレルを運んでいるとのこと。産経新聞の不親切さなのだろうか、それなら1日に何隻のタンカーが走っているのか、石油の単位を統一つしてくれないので、すぐに計算できない。
どっちにしてもシーレーンは、私が思っている以上に日本経済の支えであり、重要なオイルロードだと分かった。民主党など野党が、シーレーンの防衛に自衛隊を派遣するのはおかしいと言っているが、果たしてそうなのだろうか。
LNGガスにしても、石炭にしても、日本が世界一の輸入国だと初めて知ったが、自慢でもなんでもなく、それだけ我が国には資源がないということだ。面白くもなんともない本だが、いろいろ教えてもらったので感謝はしている。
きっとこれは、恥ずべき無知ということになるのだろうが、原子力発電を続けることが核兵器の開発につながっているとこの本で初めて知った。ぼんやりとそんな予想はしていたが、日本には大量のプルトニュームがあり、平和利用だと宣言し世界の監視を受け入れているから特別に認められている。社員も監視カメラでチェックされ、誰でも簡単に入れない体制になっている。だからこそ電力会社は、国家機密の深いベールに包まれ、国と一体になって運営されている。
東日本の事故が起こった時、現場の状況を掴もうとしても、彼らが民主党政権の首相や官房長官に情報を出さない訳がわかった。
中断したままになっている、プルサーマル計画の重要性も理解できた。この本は東日本大震災の前に出版されているから、東電の勝俣社長も胸を張って語っている。
「07年から、日本でも再処理が始まるが、プルトニュームを余分に持たないということは、日本の国際公約だ。プルサーマルで消費することが、日本が核拡散を防ぐ最高の道だ。エネルギーの利用効率を高める意味も大きい。」
原発の利用が核兵器の開発につながっていることを、東電の社長が言うのだから、電力会社のトップたちにとってこんなことは常識なのだろう。知らないのは、私のような無知な国民ということになる。そしてこれもまた、不思議なマスコミの姿勢だ。「知っていても、報道しない自由。」「国民にシッカリと情報を伝えない自由」か・・・・。
東京理科大学の森教授も語っている。
「例えば、30年40年後にも、原子力なしで電力が賄えるかと言うと、やはりそこまではなかなかいかない。原子力発電は、将来もっと大きな必要性が出てくるのではないでしょうか。」
氏の話を受けて、衆議院議員の近藤三津枝氏(自民党)が答えている。
「原油が高騰している厳しい時代だからこそ、太陽光や風力など、自然エネルギーの低コスト化に向けた技術開発を進めていかなければなりません。」「そうした中で、一般の生活者に、原子力について必ずしも十分な理解が得られていない点には、供給サイドも政府も今以上に情報提供をしていく工夫が必要です。生活者に、より理解を深めてもらう努力が必要でないかと思います。」
東電の原発事故という悲劇的な大惨事があったが、冷静に考えていけば、これらの諸氏の話は資源小国の日本として常識的なものだ。
安全神話に浸かりきった電力会社や政府、官僚たちに遠因があったとしても、これからこそが日本の正念場なのだ。
当時は参議院自民党の議員だった舛添氏が、次のように述べている。
「地熱や風力や太陽光などの自然エネルギーは、風が吹かなかったり、日が陰ったりすると、電力を安定的に供給できません。」「そういう中で原子力というのは、克服しなければならない問題はいろいろとありますが、クリーンなエネルギーとして電力供給量の3割から4割を占めている。」「この水準を今後とも保っていきながら、新しいエネルギーの開発を進めていくべきです」
右往左往する国民が騒いでも、国の未来を考える議員はこうでなくてはならないと思う。
しかし舛添氏はこの後自民党を離脱し、原発について語らなくなり、今では都知事をしている。日本より韓国を重要視しているのか、韓国の大統領に近づいている。この本の中身だけでなく、舛添氏も、たった8年前なのにこんなに変貌した。だから私は、舛添氏を信頼していない。彼もまた、国を考える政治家というより、政局の海を泳ぐ政治屋でないかという気がしている。
面白い本ではなかったが、たくさん教えてもらったし、考える材料も提供されたので、有意義な本だったと感謝している。
短期間のものだが、これだって日本の歴史の一部を構成する立派な資料だ。果たして再読するときがあるのか、確信は無いが、書棚に並べてみるとしよう。そのときの日本がどうなっているか。この本の中身が再評価されているのか。夢のプロジェクトが叶えられているのか。考えだすと、退屈な本なのに、まるでタイムカプセルみたいに思えてきだした。
こんな戯言を書いていたら、いつの間にか夜になった。とうとう、植木の入れ替えができなかった。明日も明後日も、いくらでも時間があるのだから、今日できなくてもそれが何だろう。私を待っている者はどこにもいないし、急ぐ仕事だってありはしない。
自分を待っていると確信できるのは、万人の友達である「死」くらいのものだ。時折思考の海に浮かんでくるが、実感としてはまだ遠い。
こんなことまで考えさせてくれるのだから、この本は有意義だった。面白くはないが、有意義だった。
今日はこれから、玄関の植木を手入れしようと思う。ちいさな緑色の実をつけ木が、程よく入り口を飾っている。どんぐりの仲間だと思うが、名前は知らない。大木になると手に負えないはずだが、今はほっそりとした姿で目を楽しませてくれる。昨年冬の寒さで鉢がひび割れたのを、細縄で縛り、洒落た飾りのつもりでいたが、木の成長で割れが広がり、水をやっても漏れてしまうようになった。
それで大蔵大臣の家内と相談し、昨日奮発して植木鉢を買ってきた。朝から本を読んでいる間に天気が回復したので、植え替え作業にかかろう。
うまい具合に本も読み終えた。産経新聞東京経済部編「資源小国ニッポンの挑戦」(平成19年刊 産経新聞社)だ。新聞に一年間連載した記事を、一冊にしたものだという。
風力発電、太陽光発電、地熱発電、燃料電池、バイオエタノール等々、未来のエネルギーが紹介されている。いかにも有望なものとして語られているが、採算面から不可能な話も混じっているらしく、素人の自分にはどれも夢の話でしかない。資源小国の日本は、原油の90%以上を中東に依存している。オイルロードと呼ばれるシーレーンに、日本の原油使用量の半日分に相当する30万キロリットルを積む巨大タンカーが航行し、1日1500万バレルを運んでいるとのこと。産経新聞の不親切さなのだろうか、それなら1日に何隻のタンカーが走っているのか、石油の単位を統一つしてくれないので、すぐに計算できない。
どっちにしてもシーレーンは、私が思っている以上に日本経済の支えであり、重要なオイルロードだと分かった。民主党など野党が、シーレーンの防衛に自衛隊を派遣するのはおかしいと言っているが、果たしてそうなのだろうか。
LNGガスにしても、石炭にしても、日本が世界一の輸入国だと初めて知ったが、自慢でもなんでもなく、それだけ我が国には資源がないということだ。面白くもなんともない本だが、いろいろ教えてもらったので感謝はしている。
きっとこれは、恥ずべき無知ということになるのだろうが、原子力発電を続けることが核兵器の開発につながっているとこの本で初めて知った。ぼんやりとそんな予想はしていたが、日本には大量のプルトニュームがあり、平和利用だと宣言し世界の監視を受け入れているから特別に認められている。社員も監視カメラでチェックされ、誰でも簡単に入れない体制になっている。だからこそ電力会社は、国家機密の深いベールに包まれ、国と一体になって運営されている。
東日本の事故が起こった時、現場の状況を掴もうとしても、彼らが民主党政権の首相や官房長官に情報を出さない訳がわかった。
中断したままになっている、プルサーマル計画の重要性も理解できた。この本は東日本大震災の前に出版されているから、東電の勝俣社長も胸を張って語っている。
「07年から、日本でも再処理が始まるが、プルトニュームを余分に持たないということは、日本の国際公約だ。プルサーマルで消費することが、日本が核拡散を防ぐ最高の道だ。エネルギーの利用効率を高める意味も大きい。」
原発の利用が核兵器の開発につながっていることを、東電の社長が言うのだから、電力会社のトップたちにとってこんなことは常識なのだろう。知らないのは、私のような無知な国民ということになる。そしてこれもまた、不思議なマスコミの姿勢だ。「知っていても、報道しない自由。」「国民にシッカリと情報を伝えない自由」か・・・・。
東京理科大学の森教授も語っている。
「例えば、30年40年後にも、原子力なしで電力が賄えるかと言うと、やはりそこまではなかなかいかない。原子力発電は、将来もっと大きな必要性が出てくるのではないでしょうか。」
氏の話を受けて、衆議院議員の近藤三津枝氏(自民党)が答えている。
「原油が高騰している厳しい時代だからこそ、太陽光や風力など、自然エネルギーの低コスト化に向けた技術開発を進めていかなければなりません。」「そうした中で、一般の生活者に、原子力について必ずしも十分な理解が得られていない点には、供給サイドも政府も今以上に情報提供をしていく工夫が必要です。生活者に、より理解を深めてもらう努力が必要でないかと思います。」
東電の原発事故という悲劇的な大惨事があったが、冷静に考えていけば、これらの諸氏の話は資源小国の日本として常識的なものだ。
安全神話に浸かりきった電力会社や政府、官僚たちに遠因があったとしても、これからこそが日本の正念場なのだ。
当時は参議院自民党の議員だった舛添氏が、次のように述べている。
「地熱や風力や太陽光などの自然エネルギーは、風が吹かなかったり、日が陰ったりすると、電力を安定的に供給できません。」「そういう中で原子力というのは、克服しなければならない問題はいろいろとありますが、クリーンなエネルギーとして電力供給量の3割から4割を占めている。」「この水準を今後とも保っていきながら、新しいエネルギーの開発を進めていくべきです」
右往左往する国民が騒いでも、国の未来を考える議員はこうでなくてはならないと思う。
しかし舛添氏はこの後自民党を離脱し、原発について語らなくなり、今では都知事をしている。日本より韓国を重要視しているのか、韓国の大統領に近づいている。この本の中身だけでなく、舛添氏も、たった8年前なのにこんなに変貌した。だから私は、舛添氏を信頼していない。彼もまた、国を考える政治家というより、政局の海を泳ぐ政治屋でないかという気がしている。
面白い本ではなかったが、たくさん教えてもらったし、考える材料も提供されたので、有意義な本だったと感謝している。
短期間のものだが、これだって日本の歴史の一部を構成する立派な資料だ。果たして再読するときがあるのか、確信は無いが、書棚に並べてみるとしよう。そのときの日本がどうなっているか。この本の中身が再評価されているのか。夢のプロジェクトが叶えられているのか。考えだすと、退屈な本なのに、まるでタイムカプセルみたいに思えてきだした。
こんな戯言を書いていたら、いつの間にか夜になった。とうとう、植木の入れ替えができなかった。明日も明後日も、いくらでも時間があるのだから、今日できなくてもそれが何だろう。私を待っている者はどこにもいないし、急ぐ仕事だってありはしない。
自分を待っていると確信できるのは、万人の友達である「死」くらいのものだ。時折思考の海に浮かんでくるが、実感としてはまだ遠い。
こんなことまで考えさせてくれるのだから、この本は有意義だった。面白くはないが、有意義だった。