飯田龍太氏著「俳句の魅力」(昭和61年刊 社会福祉法人 埼玉福祉会)を読了。
読み終わって、もう一度読み返した。味のある、面白い本だった。中身は、虚子以降の俳人の句を、有名無名を問わず、龍太氏が選んで批評した本ということになる。従って、著者本人の句は含まれていない。
取り立てて俳句に興味を持っているのでなく、例の図書館の定期廃棄処分書籍の中から、半年前に貰ってきた中の一冊だ。
学校の国語で教えられているから、芭蕉、一茶、蕪村の名前と代表的な句は知っている。明治以後の俳人では、子規、虚子、蛇笏、せいぜい山頭火くらいなもので、作品はほとんど知らない。
それなのに、二度も読み返したくなるのだから、不思議な魅力のある本だ。
著者の龍太氏については、どのような人なのか、後でネット検索をしてみよう。取り上げられた句も素晴らしいのだろうが、氏の説明が心を捉えて離さなかった。私が知らないだけで、このような文章のかける人だから、きっと名のある俳人なのだろう。
目次の巻頭「序にかえて」という文が、初っ端から気持ちを奪った。長くなっても引用したくなる、名文と思える。
「たしかに名句と称せられるものの大方は、外見は至極当たり前の顔つきをしている場合が多い。」「一読、なるほどと深い共感をおぼえ、見事な句だなと感銘するが、よくよく考えてみると、誰もが見、誰もが感じていたことで、なんでいままでこのようなことに気付かなかったろうと、いぶかしく思われる。」
「いわば大事な忘れ物を目の前に差し出されたような気分である。くり返し読んでいるうちに、自分の目や心を言い当てられたような気持ちになる。」「作品が作者の手を離れ、読者の胸に棲みついて忘れ難くなった時、その作品は読者にとって大事な秀句となる。」「そのような感銘が多くの人の共感を誘い、歳月の風化に耐えて生き残った時、古典としての名作の位を得る。」
そして氏は、高田蝶衣、原月舟、吉武月二郎という俳人の句を分かり易く解説してくれる。
漱石を除けば、あとはもう知らない人物ばかりだから、いかに自分が門外漢なのかよく分かる。この本には収録されていないが、私は漱石の句でとても好きなのものがあり、漱石もひとかどの俳人だとばかり思っていた。好きな句は、
あるほどの 菊投げ入れよ 棺のなか
近親者なのか、親しくしていた友人なのか、そこは分からないが、あるだけの菊を入れずにおれないほどの漱石の悲しみが、ひしと伝わってくる。白菊の高い香りと凜とした様子まで、彷彿としてくる。
それなのに、氏は漱石の句について、私の予想に反する説明をした。
「私は、俳人漱石について、多分に口ごもった、歯切れの悪い調子で作品の若干に触れてきたが、仮りに佳作を俳句として守備整った一応の出来栄え、秀作はその上位にくらいし、完成された上にその人でなければ生み得ないオリジナのティを持つ作というなら、漱石俳句に佳作はあっても秀作は一句もないこととしたい。」
氏はほとんど無名の靱郎の句を、高く評価する。
「父と来し時の高野も秋の暮れ」
「この作品は、それが元禄でも明治でもいい。」「もとより、こん日、ただいまの作品として眺めても、一部の隙もない句である。」「それが過去の事実なら今日に尾を引き、今日の作なら、遠く遡って元禄にも響く。」「特定の地名が、その地にふさわしく、時間の限定を超えて生命を保つ、まさに名吟の一つと言っていいだろう。」
なるほどそうか、そんなものかと繰り返し読んでいくと、名句と思えてくる不思議さだ。
草城の句も高い評価で、説明文がそのまま心に残る名文でもある。
「きさらぎの藪にひびける早瀬かな」
「一見何ということもなく平淡な、そして素直な自然諷詠であるが、まことに滋味つきぬ俳句の醍醐味をおぼえる句である。」「こうした作品を読むと、何やらこころなごむ思いで、俳句のよろしさが身に沁みる。」
俳人を区分する氏の意見というものが、また面白い。
「私は俳人を、大雑把に分けて、専門俳人と本格俳人の二種類に区分したいと思っている。」「専門俳人というのは、俳誌を主催し、多くの門弟を擁しつつ、主としてそれを専業とするひと。」「本格俳人とは、それとは直接関わりなく、俳句に専心し、文字通り本格の俳句を作って自らの芸境を持つひと。」「あるいはその一筋をつらぬいて生涯を終わったひとの謂である。」
専門俳人とは誰なのか、具体的には書かれていないが、高浜虚子もその一人であるらしい。それなら門弟を多数抱えた芭蕉はどうなるのかと思っていたら、ちゃんと述べていた。「芭蕉は、専門から本格に入って生涯を終えた好例であろう。」
虚子の句に高い評価を与えないが、それでもキチンと敬意だけは表している。
「春山に屍を埋めて空しかり 虚子」
「虚子の終句を眺めると、単に命終のあわれというだけではすまされぬなにかが湧き出てくる。」「すぐれた俳人として生涯をつらぬいたひとの多くは、殆ど例外なくこの幸と不幸を背負って歩き続けたように見える。」
本格俳人として不遇のうちに早世した俳人の句が、沢山解説されているが、老境に入りつつある私は、もう一度草城の句を引用して終わりとしたい。長い病臥の末、50代で亡くなった草城は、捨て身の看護をつくした夫人への歌が多数あるらしい。私の心に残った二句である。
「妻の蚊帳 しずかに垂れて 次の間に」
「妻の留守 妻の常着を ながめけり」
巻末の著者名、出版社、発行年月日の欄にカッコ書きの注がある。(限定部数500部)
世間に多数出回る本でないが、そうでなくともこの本はなぜか宝ものみたいな気がする。そのうち家内にも読ませたいと思うくらいだ。句作する姿を見たことはないが、古めかしい歳時記を大事にしているから、俳句への関心はあるのだと推測している。
貧しかったけれど三人の息子を育て、家内はパートやアルバイトに精を出し、三人とも大学へ行かせ、ずっとやりくり算段の苦労をさせてきた。互いを知らない、冷たい夫婦ということでなく、俳句の余裕などなかった過去の暮らしがある。
だから今、苦労のいくばくかに報いるべく、掃除、洗濯、料理など共同作業でやっている。家内への感謝は、親にも劣らない大きさがあり、こんな気持ちは、高度成長時代を生きて来た男にきっと共通するものと思っている。
読み終わって、もう一度読み返した。味のある、面白い本だった。中身は、虚子以降の俳人の句を、有名無名を問わず、龍太氏が選んで批評した本ということになる。従って、著者本人の句は含まれていない。
取り立てて俳句に興味を持っているのでなく、例の図書館の定期廃棄処分書籍の中から、半年前に貰ってきた中の一冊だ。
学校の国語で教えられているから、芭蕉、一茶、蕪村の名前と代表的な句は知っている。明治以後の俳人では、子規、虚子、蛇笏、せいぜい山頭火くらいなもので、作品はほとんど知らない。
それなのに、二度も読み返したくなるのだから、不思議な魅力のある本だ。
著者の龍太氏については、どのような人なのか、後でネット検索をしてみよう。取り上げられた句も素晴らしいのだろうが、氏の説明が心を捉えて離さなかった。私が知らないだけで、このような文章のかける人だから、きっと名のある俳人なのだろう。
目次の巻頭「序にかえて」という文が、初っ端から気持ちを奪った。長くなっても引用したくなる、名文と思える。
「たしかに名句と称せられるものの大方は、外見は至極当たり前の顔つきをしている場合が多い。」「一読、なるほどと深い共感をおぼえ、見事な句だなと感銘するが、よくよく考えてみると、誰もが見、誰もが感じていたことで、なんでいままでこのようなことに気付かなかったろうと、いぶかしく思われる。」
「いわば大事な忘れ物を目の前に差し出されたような気分である。くり返し読んでいるうちに、自分の目や心を言い当てられたような気持ちになる。」「作品が作者の手を離れ、読者の胸に棲みついて忘れ難くなった時、その作品は読者にとって大事な秀句となる。」「そのような感銘が多くの人の共感を誘い、歳月の風化に耐えて生き残った時、古典としての名作の位を得る。」
そして氏は、高田蝶衣、原月舟、吉武月二郎という俳人の句を分かり易く解説してくれる。
漱石を除けば、あとはもう知らない人物ばかりだから、いかに自分が門外漢なのかよく分かる。この本には収録されていないが、私は漱石の句でとても好きなのものがあり、漱石もひとかどの俳人だとばかり思っていた。好きな句は、
あるほどの 菊投げ入れよ 棺のなか
近親者なのか、親しくしていた友人なのか、そこは分からないが、あるだけの菊を入れずにおれないほどの漱石の悲しみが、ひしと伝わってくる。白菊の高い香りと凜とした様子まで、彷彿としてくる。
それなのに、氏は漱石の句について、私の予想に反する説明をした。
「私は、俳人漱石について、多分に口ごもった、歯切れの悪い調子で作品の若干に触れてきたが、仮りに佳作を俳句として守備整った一応の出来栄え、秀作はその上位にくらいし、完成された上にその人でなければ生み得ないオリジナのティを持つ作というなら、漱石俳句に佳作はあっても秀作は一句もないこととしたい。」
氏はほとんど無名の靱郎の句を、高く評価する。
「父と来し時の高野も秋の暮れ」
「この作品は、それが元禄でも明治でもいい。」「もとより、こん日、ただいまの作品として眺めても、一部の隙もない句である。」「それが過去の事実なら今日に尾を引き、今日の作なら、遠く遡って元禄にも響く。」「特定の地名が、その地にふさわしく、時間の限定を超えて生命を保つ、まさに名吟の一つと言っていいだろう。」
なるほどそうか、そんなものかと繰り返し読んでいくと、名句と思えてくる不思議さだ。
草城の句も高い評価で、説明文がそのまま心に残る名文でもある。
「きさらぎの藪にひびける早瀬かな」
「一見何ということもなく平淡な、そして素直な自然諷詠であるが、まことに滋味つきぬ俳句の醍醐味をおぼえる句である。」「こうした作品を読むと、何やらこころなごむ思いで、俳句のよろしさが身に沁みる。」
俳人を区分する氏の意見というものが、また面白い。
「私は俳人を、大雑把に分けて、専門俳人と本格俳人の二種類に区分したいと思っている。」「専門俳人というのは、俳誌を主催し、多くの門弟を擁しつつ、主としてそれを専業とするひと。」「本格俳人とは、それとは直接関わりなく、俳句に専心し、文字通り本格の俳句を作って自らの芸境を持つひと。」「あるいはその一筋をつらぬいて生涯を終わったひとの謂である。」
専門俳人とは誰なのか、具体的には書かれていないが、高浜虚子もその一人であるらしい。それなら門弟を多数抱えた芭蕉はどうなるのかと思っていたら、ちゃんと述べていた。「芭蕉は、専門から本格に入って生涯を終えた好例であろう。」
虚子の句に高い評価を与えないが、それでもキチンと敬意だけは表している。
「春山に屍を埋めて空しかり 虚子」
「虚子の終句を眺めると、単に命終のあわれというだけではすまされぬなにかが湧き出てくる。」「すぐれた俳人として生涯をつらぬいたひとの多くは、殆ど例外なくこの幸と不幸を背負って歩き続けたように見える。」
本格俳人として不遇のうちに早世した俳人の句が、沢山解説されているが、老境に入りつつある私は、もう一度草城の句を引用して終わりとしたい。長い病臥の末、50代で亡くなった草城は、捨て身の看護をつくした夫人への歌が多数あるらしい。私の心に残った二句である。
「妻の蚊帳 しずかに垂れて 次の間に」
「妻の留守 妻の常着を ながめけり」
巻末の著者名、出版社、発行年月日の欄にカッコ書きの注がある。(限定部数500部)
世間に多数出回る本でないが、そうでなくともこの本はなぜか宝ものみたいな気がする。そのうち家内にも読ませたいと思うくらいだ。句作する姿を見たことはないが、古めかしい歳時記を大事にしているから、俳句への関心はあるのだと推測している。
貧しかったけれど三人の息子を育て、家内はパートやアルバイトに精を出し、三人とも大学へ行かせ、ずっとやりくり算段の苦労をさせてきた。互いを知らない、冷たい夫婦ということでなく、俳句の余裕などなかった過去の暮らしがある。
だから今、苦労のいくばくかに報いるべく、掃除、洗濯、料理など共同作業でやっている。家内への感謝は、親にも劣らない大きさがあり、こんな気持ちは、高度成長時代を生きて来た男にきっと共通するものと思っている。