ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

環境副大臣と千葉市長

2015-12-26 21:56:10 | 徒然の記

 12月15日の、千葉日報の記事だった。

 東電千葉火力発電所の跡地に、汚染消却灰の処分場を作りたいという副大臣と、調査を受け入れられないとする市長の、せめぎ合いだ。現在分散管理している、県内の仮処分場を、一箇所に集約したいとする副大臣に、あくまで分散管理を主張する千葉市長だった。

 東日本大震災の当時もそうだったが、放射能汚染となると、何が何でも反対という人々の意見が、まるで正義そのもののように、大きく報道される。私には、これが不思議でならない。

 ゴミ焼却場の建設についても同じことだが、自分たちが、享受している利益への対価として、嫌なものも、誰かが受け入れなければ、社会は成り立たない。それなのに、自己主張だけをし、他人について、一切考慮しない人間が増えている。いくら反対しても、いくら無茶を言っても、国になら許されると、そんな思い違いをしている人間が、あまりに多い。

 こうした反対運動は共産党とか、社民党とか、民主党とか、左翼活動家がたいてい主導している。東電の原発事故は、確かに恐ろしかったが、電気の恩恵に浴していない国民は、いないというのも事実だ。隠蔽したり誤魔化したり、政府と東電の対応が、不安や不信感を与えたのも間違いない事実だ。

 発生した汚染消却灰の処分が、このままで良いはずがない。政府や関係者が知恵を絞り、現在考えられる最大限の安全対策をしながら、処分場を建設しようというのなら、まず耳を傾けなくてどうするのだろう。

 絶対に安全かと、威丈高に質問されれば、絶対安全のはずだった、東電の原発事故の例があり、そうだと答えられる人間のいるはずがない。常識の話なのに、いい年をした大人が、子供のように「絶対の保証」を求める。じゃあどうすれば良いのかと、反対者たちに聞くと、「原発の即時廃棄だ」と答える。

 即時に廃棄したら、日本の経済や社会がどうなるのか、反対者たちは、そんなことはどうでもいいのだ。

 しかもその活動には、常に「市民」とか「国民」とか、あたかも多数の人間が参加しているような、紛らわしい名前がついている。国の安全保障にも絶対反対、国がどうなっても構わないと、反日の党や活動家たちの姿勢は、何処で何をやろうと、常に同じだ。こうした無責任な反日たちに、振り回されるのは、もうごめんだと言いたい。

 千葉市長は、若くて良識のある人物とばかり思っていたが、氏もポピュリスト政治家の一人だったのだらしい。選挙で支援してくれた団体が、反対しているのだと思うが、いざ市長になったら、声の大きな一部住民の意向ばかりでなく、国政の中の市の立場も忘れてはなるまい。

 私は千葉県民として、処分場建設に、何がなんでも反対ではない。誠意を持って、国が安全な設備を建設するのなら、汚染消却灰の受け入れをすべきだと考えている。

 私が市長に望むのは、初めから結論ありきの反対でなく、副大臣と交渉のテーブルにつき、安全な設備とはどんなものなのか、どのような基準で、どのような形で作られるのかと、議論をしてもらいたい。交渉の過程と中身については、全てマスコミに公開するとすれば良い。

 これなら政府も、いい加減な説明ができないし、本気で取り組んでいるのか、誠意があるのか、住民にも国民にも即座に分かる。こんな時にこそ、社会の木鐸を自称するマスコミの出番でないか。

 朝日新聞みたいに、偏見や捏造を交えず、ありのままの交渉過程を、好きなだけ報道すれば良い。前向きの提案の一つもせず、話が平行線であるとか、先行き不透明だとか、他人事みたいな報道をしている記者は、無責任でないのか。記者に、意見記事が書けないというのなら、論説委員などという社説専門の幹部記者が、いくらでも提言できるはずだ。

 新聞社は、社会変革の先導者などと、自惚れる暇があったら、先導者らしい議論を展開したらどうなのだろう。

 千葉日報の記事にはないが、他社の記事では、副大臣の進める廃棄物処理場の建設について、「安倍独走」とか「安倍独裁」とか、活動家に言わせているが、そもそも原発の事故は、民主党時代に起こったものでないか。

 適切な事故対応をせず、菅総理のパフォーマンスと、枝野君のまやかし会見で、どれだけ国民が右往左往させられたか。少しは頭を冷やして考えてはどうかと言いたいい。安倍総理の政策には、安保関連法案を除けば、私には沢山異論がある。全面的に支援していないが、それでも亡国の民主党政権に比べれば、格段にましだ。

 民主主義の日本なので、沢山の意見があって結構だし、日本は、中国が逆立ちしても真似られない社会だと思うが、千葉市長が、中国や韓国みたいな、頑なな姿勢では困る。絡まった糸をほぐし、懸案の解決に努力するところに、政治家の偉大さがある。

 反日の市民活動家に支援されたからといって、それだけで当選した市長ではないはずだ。沢山の物言わぬ市民の票があって、市長に選ばれたのだと、初心に帰ってもらいたい。派手な左翼活動家に迎合するのでなく、彼らを説得する熱意と良識を、期待する。

 それでこそ、若くして選ばれた市長だと、私は思う。

コメント
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