ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

『統帥権について』 - 3 ( 真偽を図る二つの物差し )

2018-03-17 20:41:14 | 徒然の記

 「ローマ法の思想」と「ゲルマン法の思想」・・、こういうものがあることを、氏の著作で知りました。

 学校で教わらなかった話なので、馴染みがないせいか、分かったような、分からないような部分が多々残ります。

 今回のブログは、退屈されると確信しますので訪問はお休みください。息子たちは父と共に、著者の意見にひたすら耳を傾け、「百読、意自ずから通ず」という言葉を、信じて欲しいと思います。

 ・ローマ法の思想というのは、武力、権力など、利害関係、利益主義というところからきている法理なのです。

 ・つまり古代ローマの考え方では、国家社会の秩序を捉える場合に、権力主義と利益主義の、二つの物差ししか持っていません。

 ・そんな物差しだけで、ローマ帝国が長続きし、栄えることはできません。これを支え、強化したのが、ギリシャ文明でした。

 ・ローマは、ギリシャ文明によって征服された、という言葉があります。ギリシャの精神や道徳や文明が、非常にローマを支えていたと、こういうことであります。

 ・こうしたローマ法のもとで、約二千年間、つまり近世の初頭まで、ヨーロッパの国家思想は権力国家観でした。それが近代の市民革命にぶつかり、今度はそこに、利益国家観と言うものが生まれてきた。

 ・つまり権力国家でなく、国家は、利益共同体だという考えです。

 ・前の権力国家観の時代においては、国の元首というのは、国家の最高の権力者である。国家の最高権力、絶対的な支配権力が主権であると、こういうふうに、堅く信じられてきた。

 ・ところが、利益国家観が起こってきますと、元首とは、国家という利益共同体の機関なのだということになりました。

 ・利益主義の上から言って、ちょうど会社のような、社団法人に準じて国家を説明しようとしました。

 ・だから、元首というものは、いわば代表取締役みたいなものですね。

 ・例のベンサムの、最大多数の最大幸福とか、多数決原理などというものが、出てきました。こういうふうにして、近代デモクラシーが生まれてきたということになります。

  分かったような、分からないような気になるのは、こういう理由です。

 私はしがない年金暮らしの後期高齢者で、氏は元大学の学長で憲法学者ですから、うなづくしかありせん。専門知識に長けた官僚から、事前レクチャーを受ける門外漢の議員は、もしかすると、私みたいな立場なのでしょうか。

 ・ところがゲルマン法というのは、もともとが農本国家、農業民族です。

 ・だから自然を征服するとか、自然との戦いとかいうのではないのです。

 ・農業民族というのは、自分は、もともと天地から生まれたというもので、天地自然と一つになっていくと、こういう道を持っておるのです。

 ・だから人間同士の間でも、決して利害損得とか権力の対立関係などを、互いの秩序の基礎とは、考えていないのです。

 ・本来、みんな一心同体だと、そこから出発しているのです。

 ・ゲルマンの思想は、全体主義でなく、本来みんな一心同体だという、いわば生命の原理というか、そういうところから、出発しているのです。

 ここまでは、何とかついて行きましたが、それ以降が、しっくりときません。

 氏の説明によりますと、ローマ法は性悪説に立ち、ゲルマン法は性善説つに立っているといいます。

 ドイツの中では、ゲルマンへ帰れという声が何度も起こり、フィヒテの「ドイツ国民に告ぐ」という大演説もそれだと言います。マルクスも、ローマ法に反発し、マルクシズムを考えた・・、こうなりますと、もう私の理解の範囲を超えてしまいます。

 長いので、「ねこ庭」の独断で割愛し、要点のみを紹介します。

 ・マルクスが、マルキシズムというものを持ち出したはじめの動機は、かなり純粋なものがあり、汲むべきものがあると思うのです。

 ・つまり商品の価格形成は、需要と供給のバランスということだけから、やるべきでない。それは利己心の妥協という、考え方であるに過ぎない。

 ・もっと大事なことは、その商品を生み出すため、どれだけ人間の努力が、そこに注がれているか。そこのところを、見なければならぬというのが、マルクスが、労働価値説を打ち出した理由で、あるわけです。

 学生の頃、「資本論」を読んだ時、引きつけられたのは労働価値説でした。

 多くの若者や学生たちは、マルクスのこの説に心を奪われたはずです。利益を上げることだけを考え、労働者を劣悪な環境で働かせ、低賃金で酷使する。そういう経営者が多かったので、貧乏人の息子や娘たちは、マルクスの思想に「世直しの光」を見出したのです。

 氏の説明に納得しましたが、これから先が、また分からなくなります。

 ・当時、ドイツの周りの国は、帝国主義的な体制を整え、どんどん植民地を増やしていました。

 ・国家の統一が一番遅れていたのが、ドイツとイタリアでした。両国に統一国家ができたのは、やっと十九世紀に入ってからでした。

 ・マルクスは、自分の祖国ドイツを非常に心配しました。ドイツを立て直すためには、帝国主義の土台となっている、ローマ法の思想から、脱皮しなければならないと思いました。

 ・それで、労働価値説を唱えたのだけれど、彼はあまりにも焦って、ドイツの構造改革論まで出した。

 ・これが、唯物史観です。ご存知のように唯物史観では、プロレタリアート、つまり労働者と農民の独裁体制、ということを考え出して、そのためには暴力革命もやる、ということも打ち出しました。

 ・しかし暴力主義を打ち出したのでは、世の中に非常な害を流すかもしれない。労働価値説まではいいけれど、唯物史観は表には出さないとマルクスは言い、死んだのです。

 ・ところが、前々から彼の友達であったレーニンは、ドイツを敵視していましたから、マルクスの死を好機として唯物史観を持ち出し、マルクスの祖国ドイツを壊そうとしたのです。

  学生時代に読んだ本には、

 ・マルクスは、暴力革命については述べていない。

 ・マルクスの考えを、暴力で達成すると発展させたのはレーニンである。

 ・だから、「マルクス・レーニン主義」と言われる

 と、書いてありました。マルクスの親友はエンゲルスで、亡くなったマルクスの思想を深化し、完成させたのはエンゲルスだと教わり、レーニンが親友という話は初耳です。

 ですから氏の著作を読んでいますと、混乱してきます。真面目な書とは思いますが、予想外の説明が飛び込んでくるので、「極左」と「極右」に同時に接しているような戸惑いを覚えます。

 息子たちに言います。憲法一つ取っても、教授次第でこんなに違う意見があるということ。どれが本当なのか自分で考えないと、振り回されるだけで終わるということを是非とも、学んで欲しいと思います。

 中途半端ですが、本日はここで一区切りとしますが、父として自信をもって息子たちに言えることがあります。どんな著名人が語っても、どんなに高名な学者が説明しても、人物の真偽を見分ける物差しは二つです。

   1.  自分の国を愛する人間なのか。

   2.  ご先祖様に、感謝を忘れない人間であるか。

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