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ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

『中国人の知恵』 ( 諸橋轍次 ( てつじ ) 氏の著書 )

2018-03-09 22:10:01 | 徒然の記

 諸橋轍次 ( てつじ ) 氏著『中国人の知恵』」( 昭和48年刊 講談社現代新書 ) を、読みました。巻末の略歴を、そのまま転記します。

 ・明治16年、新潟県生まれ 東京高等師範学校卒業

 ・文学博士「東京高師、東京文理科大学教授を歴任

 ・現在東京教育大学名誉教授

 ・文化勲章、紫綬褒章、朝日文化賞など、数々の栄誉を受けた漢学の第一人者

 ・都留文科大学の初代学長

 氏は反日・左翼の教授ではありませんが、徹頭徹尾「中国礼賛」をする漢学者でした。「お花畑の住民」でなく、お花畑を開墾し、花の種を力任せに撒いている「お花畑開拓者」の一人でした。

 日本の昔話に出てくる、「花咲か爺さん」の姿が彷彿としました。初版の昭和48年から昭和57年まで、15版も重ねているのですから空恐ろしい話です。

 目次の一部を書き抜きますと、それだけで、信じられない「中国礼賛」ぶりが明らかになります。

 「比類のない、平和・民主思想」 「巨大なスケール」

 「自己に徹する」   「交際のみごとさ」

 「磨き上げられた道徳」 「憧れの政治」

 吹き出しそうになりましたが、氏が大真面目で真剣ですから、私も本気で読みました。しかし読み終えた後でも、氏への印象は何も変わりませんでした。

 「日本の漢学者とは、こんなにレベルが低いのか。」

 「この程度の思考で文化勲章が貰えるというのなら、文化勲章も大したものではない。」

 と、勲章の価値も劣化してしまいました。

 二日前に紹介した柘植久慶氏著『沖縄独立す』と同じで、氏の著作も、「まえがき」さえ読めば、本文など付録みたいなもので、わざわざ読む必要がありません。珍しい本が続きますので、一部だけでも紹介します。

 ・わたくしは、若い頃から漢学を学び、中国に深く親しんできました。

 ・わたくしは、中国の人々が好きです。

 ・わたくしの言う中国人は、台湾治下だけの人々でも、北京治下だけの人びとでもありませんし、また、特定の時代の人々でもありません。

 ・大変漠然とした言い方ですが、四千年の歴史を経て、現在七億以上の人口となっている、中国人のすべてです。

 45年前の本ですから中国の人口も変わり、現在は約14億人と二倍になっています。

 ・わたくしは、この長い歴史を持つ人々の、深い知恵をたずね、それを与えられたページ数の中で、最大限に、力を尽くして書きました。」

 ・中国人ほど、自分を大切にし、自分を愛しているものは少ない。

 ・そしてそのようにして、完成した己をもとに、彼れらは、他人と、まことに味わい深い交際を続けます。

 ・それがどこでも、どの時代でも、究極の繁栄を得ているゆえんでしょうか。

 昭和40年代は反日左翼の出版物が日本中に出回りましたが、ここまで酷い本は珍しい気がします。紹介するのが、返って面白くなる不思議さが出て来ます。

 ・天人一如の思想は、中国の道徳・政治の基礎となるものです。

 ・この思想を理解することによって、中国の磨き上げられた道徳と、憧れの政治とに、必然的に導かれます。

 ・中国人は、自分を大切にすることの大なるため、ややもすると単なる利己主義者と解されがちです。わたくしの本は、中国人の次元を超越する、強靭性を実証するとともに、そうした誤解を解く、反面の事実を物語るものです。

 ・ちかごろ、中国へ行った人たちは、一様に中国の再興ぶりと、中国青年の意気込みをたたえます。50年前の中国だけを見聞きした人たちは、あるいは驚き、あるいは疑うのかもしれません。

 ・しかしあれも中国人、これも中国人、変転の中に一貫して生き延びていくのが、中国人です。

 氏の言葉を紹介しながら、「ねこ庭」を訪問される人が絶えてしまうのでないかと、心配になって来ます。息子たちには、「読んでも参考にならない」と注意書きをしなくてなりません。

  ・中国人は、己を中心とすることに徹底していますが、その己は、一時期の己でなく、もっと長い将来の己を考える、知恵があります。外界の事情がどう変わろうと、耐えて生き延び、自分を保全したのでしょう。

 ・清朝が滅びようが、軍閥が起ころうが、また共産主義がやってこようが、来るのなら、どんなものでもくるがよい。己は己として、生き延びて見せるというのが、中国人の確信であります。

 ・日本人ならば、共産主義の思想に入ったならば、その思想の組織内に立てこもって、終始する。だから、国情に合わなくても、時勢に合わなくても、そのイデオロギーにとらわれます。

 ・中国人は、完成した己で処置しますから、それが違つた形に変化しても、少しも頓着しません。その時の現実の上に、どっしり足を踏まえて、考えを定めていくのです。

 2000万人が殺された文化大革命の嵐が吹き荒れたのは、昭和41年から51年の10年間でした。出版が昭和48年ですから、文化大革命の最中の本です。NHKも朝日新聞も中国に都合の悪い事は報道しませんでしたから、氏だけを責められませんが、よくもここまで誉め上げたものです。

 いい加減にすれば良いのに、氏は、孔子・孟子・老子・荘子・荀子の教えを、手当たり次第に説明していきます。

 ・学問は自分のためにする。人を知るより、自分を知れ。天意は、民の声によって決まる。人間社会の道は、交際

 ・・などなど、論語や易の古典から説明してくれます。

 1400年前の隋や唐の時代の中国を語るのなら、分からないでもありません。当時の中国は日本の先生で、現在の日本文化の土台は中国からもたらされています。

 そこは謙虚に感謝する「ねこ庭」ですが、現在においてこういう手放しの賞賛をするというのでは、学者としての適性が疑わしくなってきます。

 中国古来の文化・文明を破壊し、紅衛兵たちが毛沢東の政敵を晒し者にし、なぶり殺しにした、悪名高い文化大革命があったのは、昭和41年からの10年間です。朝日新聞も氏によく似た、中国礼賛の新聞社でしたから文化大革命について、「偉大な民族の実験」「大躍進の中国」と、大嘘の報道をしていました。

 それにしても、この能天気な中国礼賛には首を傾げてしまいます。

 ・この複雑で、聡明な、中国の民族に対して、策略や術策などをもってするのは、愚の至りです。もしそれで争おうとするのなら、どんな手を用いても、こちらの負けに決まっている。」

 ・では、どうする。それはやはり、徹頭徹尾、誠意をもっていくより他はないでしょう。

 ・中国の人々がすべて誠意の人であり、誠意に感ずる人であるとはいいませんが、あの長い歴史の経験において、誠の人を渇望すること、また誠の人を認める眼識の高いことについては、世にも優れた民族だと思います。

 ・中国人は、誠意は必ず通ずる人たちであると、私は中国の歴史を読みこの事実に接する毎に、深い感銘に打たれるのであります。ただいま当面している、日中修好の要訣だと信じます。

 つまり氏の本が出版されたのは、日中国交が正常化された翌年でした。

 田中総理が周恩来首相と握手を交わし、日中共同声明に調印しました。あれから45年以上経った今、果たして中国は、氏が言うような礼節の国であったのか。誠意と真心の通じる平和国家であったのか。

 数年前に氏は亡くなっていますが、国民弾圧国家として中国が残虐な姿を見せはじめた時に、よくも自分はあんなでたらめを日本国民に語ったと恥じ、著作の絶版をしても良かったのではないでしょうか。

 良心のある作家や学者が、時々そ絶版宣言をしますが、氏にはどうやらそんな学者の良心がなかったようです。

 論語読みの論語しらず。専門馬鹿。獅子身中の虫、駆除すべき害虫。

 申し訳ない事ですが、今の「ねこ庭」から贈る言葉は、これしかありません。息子たちに言います。立派な賞を貰い、世間で持て囃されても、馬鹿な人間は、時の経過が化けの皮を剥ぐということです。

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裁判官の常識 ( 東京高等裁判所 ? )

2018-03-09 12:16:02 | 徒然の記

 3月3日の千葉日報の記事でした。なんとも不可解な、裁判の結果が報道されていました。

 千葉県内に住む男が、パチンコ店の駐車場で、警察官の職務尋問を受け、カバンの中を調べられ、覚せい剤を発見されてしまいました。

 男はその場で、現行犯逮捕され、一審の千葉地方裁判所が、懲役4年、罰金50万円の判決を言い渡しました。ところが東京高等裁判所で、若園敦雄裁判長が、一審判決を破棄し、男を無罪としたのです。

 理由は、「被疑者の承諾なしに、カバンの中身を調べたのは違法である。」「令状のない違法捜査なので、覚せい剤は証拠にならないと判断した。」というものです。最近はこのような、信じられない判決がよく出ます。私みたいな普通の常識人間には、とても納得できない裁判官の判断です。

 法律の通りに正確な解釈をすれば、若園裁判長のような、おかしな結論が出せるのかもしれませんが、覚せい剤を所持している男を無罪にする「常識」は、どこから出てくるのでしょう。

 まして、一審の千葉地方裁判所が、重い判決を出しているのに、これを無罪にするというのですから、東京高等裁判所で「裁判官の常識」はどうなっているのか、という疑問が自然と湧いてきます。

 「疑わしきは罰せず。」、「罪を憎んで、人を憎まず。」などと、戦後は人道主義と人権の思想が強くなり、犯罪者に温情をかける裁判官がもてはやされる風潮にあります。

 結果として殺人犯の人権を守る方には力が入り、殺された被害者の人権は無視される社会になりました。

 こんな裁判官はたいてい反日左翼の思想を持ち、犯人を守ろうとする弁護士も、反日左翼系の団体に所属しています。偏見だと言われても、「ねこ庭」はこうした裁判官や弁護士や、これを正当化するマスコミに対し、「正しいことをしているのか。」「庶民の常識を壊そうとしているのか。」と、怒りと疑問を覚えます。

 人殺しをしても、「心神喪失状態だった」、「殺意はなかった」という理由で、信じられない軽い刑になります。「ねこ庭」から見ればこんな裁判官たちは、「社会の安全と平穏」を願っている常識人でなく、殺人や犯罪を奨励するばか者でないかと、そんな気がしてきます。

 こうした記事を説明なしにキチンと届け掲載する千葉日報は、「常識のある新聞社」だと思います。

 「こんな馬鹿な裁判官が、東京高等裁判所にいますよ、」「名前は若園敦雄と言いますよ」と、千葉県民に教えてくれています。せっかくですから、こんな常識のない裁判官は、「ねこ庭」で公表し、国民の常識で正しく裁かなくてはいけません。

 「ねこ庭」が、反日・左翼の人間を好きになれないのは、こんな判決をだす裁判官がいるからです。これを偏見と言うのなら、言う人間に「常識」が欠けていると「ねこ庭」は頑張ります。

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