岩手県農民文化懇談会編『戦没農民兵士の手紙』( 昭和36年刊 岩波新書 ) を読み終えました。
読みながら頭に浮かんだのは、昭和24年に、東京大学協同組合出版部が世に出した、『きけわだつみのこえ』でした。空前のベストセラーとなり、戦後日本の、反戦平和運動の先頭に立つ本としても有名になりました。
この本の読者の声が、ネットに掲載されていましたので、その一つを紹介します。
学生時代に私もこの本を読み、強く心を動かされた一人でした。この読者と同じく、戦没学生の尊い犠牲に感謝しましたが、「日本は二度と戦争をしてはいけない」と考えず、「彼らのように、自分の国を守ろう」と心に誓いました。
当時も、そしておそらく現在も、私のような読後感を抱く者は少数で、多くの人がこの読者のような反戦・平和志向となったのだと思います。
昔なら黙っているのですが、ここまで反日思想が吹き荒れ、日本の過去が踏みにじられるのを見ていますと、果たしてこれでいいのかという疑問が自然と湧いてきます。
本日もテーマに入る前段階として、自分が得ている情報を整理してみたいと思います。
朝日新聞だけでなく岩波書店にも、長い間騙されてきたという思いがあります。反戦平和、人道主義、自由と平等など、これらはみな学生だった私の心を強くとらえた言葉でした。
しかし調べてみますと、岩波書店も朝日新聞に負けない偏向の会社でした。
昭和24年に、『きけわだつみのこえ』が出版された時、日本はまだGHQの統治下にありました。
このため戦没学徒の手記は、厳しい検閲を受け、戦争を賛美したり、肯定するような文言がすべて削除されました。米国を批判するような言葉は、もちろん削除です。それだけでなくGHQが認めない内容の手記は、取り上げられなかったと言います。
昭和26年に、サンフランシスコ講和条約を批准し日本が独立した後、戦没学徒の遺族から、岩波書店に要望が出されました。しかし話がまとまらず、結局裁判沙汰になりました。
昨年7月の「ねこ庭」で取り上げ、同じ内容になりますが、大切なことですから何度でも紹介します。
遺族の要望は次の二点でした。
1. GHQの検閲で削除等修正された箇所を、元の文章に戻してもらいたい。
2. GHQの検閲のため取り上げられなかった、戦争肯定の手記も取り上げて欲しい。
岩波書店は『わだつみのこえ』を、何度も自社で出版していますが、両論併記をした『戦没学生の手記に見る15年戦争』の出版を、断りました。
良心的、人道的平和主義を標榜する岩波書店は、一度決めたら反日・亡国の主張を捨てない、朝日新聞と同じ体質でした。結局、昭和38年に、『戦没学生の手記に見る15年戦争』は、光文社がカッパブックとして出版しました。
こうした出来事は報道されませんので、国民は知りません。知っていれば、「報道しない自由」を武器に、戦後のマスコミが、日本の歴史や過去をどんなに思い通りにしてきたかが見えて来ます。
岩手県農民文化懇談会とは、いったい何であるのか。
「ねこ庭」は、ここからひっかかりました。
個人でなく、団体が編集者になる本は、幾らでもあります。「憲法問題研究会」、「平和を考える市民団体」など、一見最もらしい団体名が、本の出版者となる例は沢山あります。
しかし戦没農民兵士の手紙を集め、全国へ出版するのに、どうして「岩手県」でなくてならないのか。戦没農民兵士の出身者が、岩手県に集中しているという訳でもありません。岩手県だけに、なぜこうした「農民文化懇談会」が発足したのか。
本の裏扉にいつもは著者略歴が掲載されていますが、今回は「岩手県農村文化懇談会」について紹介されていました。
・1957(昭和32年)9月、岩手県下の農民、改良普及員、教師、保健婦、農協職員など百余名によって作られ、農村の文化運動を推進している団体
・事務局・・ 岩手大学農学部石川研究所気付 連絡責任者・石川武雄
石川武雄氏については、情報が少しだけ見つかりました。
・大正10年島根県で生まれ。昭和39年に岩手大教授
・昭和29年に、農民教育の場として岩手農民大学を設立
・平成14年9月、81才で逝去 肩書きは、 農業土木学者
これが岩手農村文化懇談会の、前身なのかもしれません。氏は何か事情があってそうしているのか、それとも控えめな人間だからかなのか。著者と特定できる人物がハッキリいたしません。
間違っていましたら申し訳ないのですが、「まえがき」と「あとがき」を書いたのは、同名なので石川武雄氏と推測しておきたいと思います
どうして根気強く調べるのかと言いますと、「集められた農民兵士」の手紙の内容と、「それを読んでいる解説者」の説明の中身が、とてもズレているからです。
手紙を書いた兵士は、花が白いと語っているのに、読んだ解説者は、花が赤いと説明しています。読者を間違った方向へ誘導する、反日マスコミの方法に似ています。
今朝方、大濱徹也氏著『天皇の軍隊』の紹介を止めたのは、捏造に近い偏見があったからでした。
今回「ねこ庭」を警戒させたのは、「まえがき」の叙述でした。
・本書の編集にあたっては、阿部知二氏のご教示を得た。さらに、国民教育研究所の方々から、多大なご協力をいただいた。」
国民教育研究所をネット調べてみますと、次のような説明がありました。
・昭和32年(1957年)に、日教組が設立した教育研究所
・教育に関する、調査・研究を行うもので、本部は東京都にある
・1960年 ( 昭和35年 ) 代後半には,各都道府県の教職組合で、研究所設立の動きが高まった。
・これらの研究所が加盟する「全国教育研究所連盟」からは、研究年報が発行されている。