ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

『戦没農民兵士の手紙』 ( 岩手県農民文化懇談会編 )

2018-03-25 22:22:31 | 徒然の記

 岩手県農民文化懇談会編『戦没農民兵士の手紙』( 昭和36年刊 岩波新書 ) を読み終えました。

 読みながら頭に浮かんだのは、昭和24年に、東京大学協同組合出版部が世に出した、『きけわだつみのこえ』でした。空前のベストセラーとなり、戦後日本の、反戦平和運動の先頭に立つ本としても有名になりました。

 この本の読者の声が、ネットに掲載されていましたので、その一つを紹介します。

 ・高い知性を持ちながら時代の波に呑み込まれ、希望を絶たれた若者の無念が、悲痛な叫びとなっている。
 
 ・死を前にした兵士の胸にこみ上げるのは、父母への感謝、残される家族への気遣い、幼き日々への郷愁である。
 
 ・彼らの尊い犠牲に報いるためにも、日本は二度と戦争をしてはいけない、その思いをさらに強くした。

  学生時代に私もこの本を読み、強く心を動かされた一人でした。この読者と同じく、戦没学生の尊い犠牲に感謝しましたが、「日本は二度と戦争をしてはいけない」と考えず、「彼らのように、自分の国を守ろう」と心に誓いました。

 当時も、そしておそらく現在も、私のような読後感を抱く者は少数で、多くの人がこの読者のような反戦・平和志向となったのだと思います。

 昔なら黙っているのですが、ここまで反日思想が吹き荒れ、日本の過去が踏みにじられるのを見ていますと、果たしてこれでいいのかという疑問が自然と湧いてきます。

 本日もテーマに入る前段階として、自分が得ている情報を整理してみたいと思います。

 朝日新聞だけでなく岩波書店にも、長い間騙されてきたという思いがあります。反戦平和、人道主義、自由と平等など、これらはみな学生だった私の心を強くとらえた言葉でした。

 しかし調べてみますと、岩波書店も朝日新聞に負けない偏向の会社でした。

 昭和24年に、『きけわだつみのこえ』が出版された時、日本はまだGHQの統治下にありました。

 このため戦没学徒の手記は、厳しい検閲を受け、戦争を賛美したり、肯定するような文言がすべて削除されました。米国を批判するような言葉は、もちろん削除です。それだけでなくGHQが認めない内容の手記は、取り上げられなかったと言います。

 昭和26年に、サンフランシスコ講和条約を批准し日本が独立した後、戦没学徒の遺族から、岩波書店に要望が出されました。しかし話がまとまらず、結局裁判沙汰になりました。

 昨年7月の「ねこ庭」で取り上げ、同じ内容になりますが、大切なことですから何度でも紹介します。

 遺族の要望は次の二点でした。

   1.  GHQの検閲で削除等修正された箇所を、元の文章に戻してもらいたい。

   2.  GHQの検閲のため取り上げられなかった、戦争肯定の手記も取り上げて欲しい。

  岩波書店は『わだつみのこえ』を、何度も自社で出版していますが、両論併記をした『戦没学生の手記に見る15年戦争』の出版を、断りました。

 良心的、人道的平和主義を標榜する岩波書店は、一度決めたら反日・亡国の主張を捨てない、朝日新聞と同じ体質でした。結局、昭和38年に、『戦没学生の手記に見る15年戦争』は、光文社がカッパブックとして出版しました。

 こうした出来事は報道されませんので、国民は知りません。知っていれば、「報道しない自由」を武器に、戦後のマスコミが、日本の歴史や過去をどんなに思い通りにしてきたかが見えて来ます。

 岩手県農民文化懇談会とは、いったい何であるのか。

 「ねこ庭」は、ここからひっかかりました。

 個人でなく、団体が編集者になる本は、幾らでもあります。「憲法問題研究会」、「平和を考える市民団体」など、一見最もらしい団体名が、本の出版者となる例は沢山あります。

 しかし戦没農民兵士の手紙を集め、全国へ出版するのに、どうして「岩手県」でなくてならないのか。戦没農民兵士の出身者が、岩手県に集中しているという訳でもありません。岩手県だけに、なぜこうした「農民文化懇談会」が発足したのか。

 本の裏扉にいつもは著者略歴が掲載されていますが、今回は「岩手県農村文化懇談会」について紹介されていました。

 ・1957(昭和32年)9月、岩手県下の農民、改良普及員、教師、保健婦、農協職員など百余名によって作られ、農村の文化運動を推進している団体

 ・事務局・・ 岩手大学農学部石川研究所気付 連絡責任者・石川武雄  

 石川武雄氏については、情報が少しだけ見つかりました。

 ・大正10年島根県で生まれ。昭和39年に岩手大教授

 ・昭和29年に、農民教育の場として岩手農民大学を設立

 ・平成14年9月、81才で逝去  肩書きは、 農業土木学者

 これが岩手農村文化懇談会の、前身なのかもしれません。氏は何か事情があってそうしているのか、それとも控えめな人間だからかなのか。著者と特定できる人物がハッキリいたしません。

 間違っていましたら申し訳ないのですが、「まえがき」と「あとがき」を書いたのは、同名なので石川武雄氏と推測しておきたいと思います

 どうして根気強く調べるのかと言いますと、「集められた農民兵士」の手紙の内容と、「それを読んでいる解説者」の説明の中身が、とてもズレているからです。

 手紙を書いた兵士は、花が白いと語っているのに、読んだ解説者は、花が赤いと説明しています。読者を間違った方向へ誘導する、反日マスコミの方法に似ています。

  今朝方、大濱徹也氏著『天皇の軍隊』の紹介を止めたのは、捏造に近い偏見があったからでした。

 今回「ねこ庭」を警戒させたのは、「まえがき」の叙述でした。

 ・本書の編集にあたっては、阿部知二氏のご教示を得た。さらに、国民教育研究所の方々から、多大なご協力をいただいた。」

 国民教育研究所をネット調べてみますと、次のような説明がありました。

 ・昭和32年(1957年)に、日教組が設立した教育研究所

 ・教育に関する、調査・研究を行うもので、本部は東京都にある

 ・1960年 ( 昭和35年 ) 代後半には,各都道府県の教職組合で、研究所設立の動きが高まった。

 ・これらの研究所が加盟する「全国教育研究所連盟」からは、研究年報が発行されている。

 石川氏が、岩手大学内に「岩手県農村文化懇談会」の事務局を置いた年と、教育研究所設立年が、すっかり重なります。単なる、偶然なのでしょうか
 
 大濱氏の著作が、朝日新聞の慰安婦問題と歩調を揃える形で出版されたように、石川氏の著作には、日教組と岩波書店という反日・左翼勢力との連携があるのではないかと、思えてきます。
 
 息子たちに伝えたいのは、国内の反日・左翼勢力が、どんなに広範囲に連携しているのかという事実です。自分の知識や経験を過信し、相手を侮ってはいけないということでしょう。
 
 これだけの予備知識、反日の人々に言わせれば「偏見」を頭に入れ、明日から具体的な中身の紹介をします。
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『天皇の軍隊』 ( 大濱徹也氏の著書 )

2018-03-25 00:07:03 | 徒然の記

 大濱徹也氏著『天皇の軍隊』(  昭和53年刊 教育社 ) を、読了。

 三潴(みつま)氏の著書の後に、この本を読みますと、両極端の思想に接することになります。天皇崇拝の三潴氏から、左翼系教授の話ですから、興味深い経験をさせられます。

 昭和12年生まれの大濱氏は、存命ならば81才です。東京教育大(現筑波大)卒業後、同大の歴史人類学系教授、名誉教授を経た後、国立公文書館フェロー、淑徳大学客員教授をしています。肩書きは、日本の歴史学者です。

 簡単に言いますと、東京裁判史観に立った、「天皇の軍隊」の歴史的解説書です。

 東京裁判史観に立っていますから、「極悪非道な日本軍」はどのようにして作られたかを、明治初期から資料を基に説明しています。

 明治時代の日本は農民が80パーセントでしたから、無知蒙昧な彼らが、どのようにして皇軍の兵として鍛え上げられたかを、批判的な視線で叙述しています。

 でも私は、今ではこうした左翼教授の著書を手にしても、さほど驚かなくなりました。敗戦以来つい2、3年前まで、学者と言われる人物の出す書物は、ほとんど全て、東京裁判史観の上に立って書かれていると知ったからです。

 「日本だけが間違った戦争をした」「日本軍だけが、他国を侵略し、暴虐の限りを尽くした。」・・とこれが出発点で、何が何でも日本は間違いを犯した、悪い国として語られます。

 本論に入る前に、著者が使っている「15年戦争」という言葉を、説明しなくてはなりません。

 15年戦争とは、昭和6年(1931年)の満州事変から、昭和20年(1945年)にポツダム宣言を受諾し、太平洋戦争が終結するまでの戦争を、総称した呼称です。日本の先の戦争を、原因から結果まで論じることができるとして、反日学者・ 有識者などに利用されているのだそうです。

 保守系の人物や学者は、幕末から敗戦までの全ての戦争を「東亜百年戦争」と言いますので、「15年戦争」という用語を使うのは、反日・左翼学者と公言するのと同じことになる、と「ねこ庭」は理解しております。

 ・日清戦争が戦死者977人、傷病兵28万4526人であったのに対し、日露戦争は、戦死者4万6423人、傷病兵166万8076人となるほど、苛烈な戦争であった。

 ここで氏が言いたいのは、日露戦争時の傷病兵166万8076人のうちに、性病にかかった兵士が1000人あたり、2、30人いたという事実です。

 211ページの中の、139ページの部分の叙述ですが、なぜ最初から紹介せず途中からやるのかと言いますと、氏が反日・左翼教授ということを示す言葉を発見したためです。

 日本だけの特殊事情であるように氏は語っていますが、世界のどこ国の軍隊も、兵の疾病対策には苦心しています。精神的、身体的病気から、兵の健康を守ることが、軍の士気を大きく左右するからです。

 そうであるのに氏は、兵の花柳病 ( 性病 ) に関する話を、大正元年から昭和2年までの資料に基づき、次のように説明します。

 ・これほど花柳病が、兵を侵す病毒となった原因は、兵士の個人的な理由である以上に、非人間的兵営生活が彼らを抑圧し、安い私娼の世界へ走らせたためであった。

 ・それは、兵士個人の自覚の欠如からきた病気であるというよりも、兵士を物として扱った軍隊が、必然的に負わねばならなかった社会病理の典型だったのである。

 性病の浸透は、軍隊生活の非道な圧迫と、理不尽な日々から生ずるもので、全ては軍に責任があると氏は主張します。そして次のように続け、韓国を喜ばせる慰安婦問題につないでいきます。

 ・ここに帝国軍隊は、兵士の頭脳のみならず人体の下部にいたるまで、兵士の心身を監視統轄する必要に迫られた。

 ・それは15年戦争下において、軍の督励指導のもとに、従軍慰安婦の名で女たちを戦地に送り込む、遠因となっていたと、言えよう。

  ネットで調べますと、憎むべき売国詐欺師だったあの吉田清治が、『朝鮮人慰安婦と日本人』という本を出したのが、氏の著作が出版される1年前の、昭和52年でした。

 朝日新聞だけでなく大濱氏も、吉田清治の大嘘を活用し、「日本軍罪悪説」を世間に広めていたことが分かりました。

 朝日新聞は吉田清治の本の出版以後、約40年間もの長い間、慰安婦の捏造記事を世界に発信してきました。朝日新聞だけでなく、氏のような反日・左翼の教授や学者たちと、反日野党の政治家が騒ぎ立てたのですから、日本の歴史が台無しにされるはずです。

 どんな内閣もマスコミが一斉に、3ヶ月間ネガティブ・キャンペーンをすれば倒される、というのが常識らしいのですが、振り返りますと確かにそうでした。

 日本中の新聞が大見出しで攻撃し、テレビが毎日悪口を報道すれば、誰でもその気にさせられてしまいます。かっての「ねこ庭」は、マスコミが攻撃すれば、叩かれる人間が悪いのだと考えていました。

 マスコミを信じていたからですが、慰安婦問題以来、彼らの捏造の悪どさを知り、信頼するのを止めました。

 氏の著書が出版された昭和50年代なら、まだ「ねこ庭」がなかった時なので、私も「お花畑の住民」になっていたかもしれません。

 氏の本は、反日・左翼の活動がいかに広範囲に、しかも巧みに行われていたのを、教えてくれる材料でもあります。これだけ日本中が、東京裁判史観で染められていたら、自民党の議員諸氏を「国会で眠っていたのか」と攻め立てるのも、一方的かと思ったりします。

 いやそんなことではなく、自民党の議員の中に、朝日新聞や反日学者と同じ意見を持つ者がいるのですから、「憲法改正」の困難さが一層分かります。

 今回も話が横道へ外れましたが、ついでにもう一つ、横道へ進みます。

 ネットで私が調べたところでは、日清戦争時の日本軍の総数は、約24万人で、日露戦争時は、約30万人となっていました。

 そうだとすれば、氏の言う日清戦争時の「傷病兵28万4526人」と、日露戦争時の「傷病兵166万8076人」とは、いったいどこから持ってきた数字なのでしょう。

 軍人の数より傷病者が多い多いのですから、おかしなデータです。「ねこ庭」のように、いろいろ調べる人間が少ないせいで、氏のでたらめな数字が見過ごされていたのでしょうか。そうなると、氏の本自体が朝日新聞に負けない捏造の悪書となります。

   1. 「国民皆兵の虚実」 2. 兵営への道   3. 兵営生活の虚実

   4. 天皇と「股肱の臣」 5. 兵士たちの素顔 6. 出征兵士と留守家族

   7.  「皇軍」哀歌

 以上7章に分かれ、氏の意見が述べられていますが、続ける気持が無くなりました。読者が疑わないのを良いことに、おかしな数字を使う心根の卑しさが私を失望させます。

 期待する人はいないと思いますが、本日で氏の本の紹介を終わりにします。

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