ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

『敗戦日本の内側 』 - 12 ( 近衛公の遺言 )

2018-03-04 19:21:05 | 徒然の記
 陛下の「終戦詔勅」の放送が、全国に流れました。戦争が終わり、連合国軍が進駐し、マッカーサーの統治が始まります。鈴木内閣が総辞職し東久邇宮内閣となり、近衛公は副総理格で入閣します。 
 
  東久邇宮内閣は、マッカーサー元帥と米本国の意思疎通の齟齬のため、閣僚の一斉罷免指令を受け、わずか50日で崩壊し、幣原内閣となります。
 
 公は以後政治から退き、氏の本には重要事がまだ多く語られています。しかし、そろそろ本の紹介を終わりにしたいと考えます。
 
 本日私は著書を読み終え、自決した近衛公に関する叙述を読みました。
 
 突然目の前から、公の姿が消えてしまいました。さほど魅力のある人物と意識せず、富田氏の語り口に引かされ読んでいると思っていましたのに、ポッカリ心に穴が空きました。
 
 気力がなくなったと、そういえば良いのでしょうか。甚だ勝手ですが、以下自分が一番重要と思う部分だけを紹介し、区切りをつけることに致します。
 
 覚悟をしていたとは言え、戦争犯罪人として逮捕命令を受け、やはり公は衝撃を受けます。巣鴨刑務所へ出頭する前夜、公は自分の心境を記しておこうと決意し、次男の通隆氏に書き終えたものを渡しました。
 
 その後家人が寝静まった深夜、というより、早朝に青酸カリを服用し自決します。いわば、そのメモが氏の遺言であり、富田氏が全文を掲載しています。長いので、私の心に響いた箇所だけを紹介いたします。
 
「戦争に伴う昂奮と、激情と、勝てる者の行き過ぎた増長と、敗れた者の過度の卑屈と、故意の中傷と、誤解に基づく流言飛語と、」
 
 「これら一切の世論なるものも、いつかは冷静さを取り戻し、正常に復する時も来よう。」
 
 「その時初めて神の法廷において、正義の判決が下されよう。」
 
 遺言書は、翌朝やってきた検事一行によって押収され、「ねこ庭」が紹介した部分だけは、一切発表してはならないと命令されたと言います。しかもこの遺言書は、6年経ってやっと家族に返還されましたので、言論の自由の本国のように言うアメリカが、このようなことをするのかと富田氏が憤っています。
 
 首席検事のキーナンが決めたのか、マッカーサー元帥がそうさせたのか分かりませんが、彼らが発表禁止にした理由は理解できます。公の言葉は、「GHQの統治」と「東京裁判」への厳しい批判であり、怒りの表明だったからです。
 
 復讐心にかられた戦勝国の人間と裁判官たちが、敗戦国の日本を、好き勝手に断罪したのですから、公には我慢がならなかったのでしょう。
 
 何も語れない陛下に代わり、命と引き換えに公が代弁したばかりでなく、無力だった国民も代表し連合国軍に物申したと、「ねこ庭」からはそう見えます。
 
 GHQ統治下の日本の状況を、苦々しそうに富田氏が語っています。
 
  ・急に平和論者ぶって、総司令部に入り浸っていると伝えられる人たちの名前も、よく聞いたものである。
 
  ・そうかと思えば、日本人の悪口を告げるため、司令部に日参している者もあるという始末で、無条件降伏したと同時に、恥さらしの日本となった時代でもあった。
 
  ・私は日本の政治家、軍人、言論人と言われる人たちにして、敗戦にあたり、周章狼狽するばかりでなく、わが日本を売り、わが同胞を裏切ることによって、生活の道を得んとする卑劣な根性の者が、いかに多かったかを知り、慨嘆に耐えないものがあった。
 
 氏が語る裏切り者こそが、私がブログの中で、日々攻撃してやまない「反日売国の徒」です。もっと言えば、「獅子身中の虫」「駆除すべき害虫」で、彼らの大量発生は敗戦から始まりました。
 
  ・民主主義は、よろしかろう。
 
  ・しかしながら、人を陥れ人を裏切り、これにより自らの利益を得るというのは、民主主義以前の不道徳ではなかろうか。
 
 氏の語る日本を、心に刻んでおきたいと思います。
 
  ・かかる輩が戦後すでに14年を過ぎて、なおかつ各界に、口をぬぐって、しかものさばっているとすれば、そんな日本の社会が、立派な成長を、なし得ようはずがないのである。
 
  ・今後の日本の正しく行く道は、終戦直後の破廉恥の是正から、再出発すべきものではなかろうか。
  
 敗戦直後、責任をとって自決した将軍の名前は次の通りです。
 
 将官だけを紹介していますが、佐官クラス以下の軍人を入れますと、もっと多くの数になります。敗戦に際し、自決した軍人がこれほど多いのは、日本だけに見られる現象だと聞きます。
 
 今はご先祖様の中に入られた方々に対し、私は頭を垂れます。
 
  阿南惟幾陸軍大将   割腹自決     寺本熊一陸軍海軍中将  割腹自決
 
  大西滝治郎海軍中将  割腹自決     田中静壱陸軍大将    拳銃自決
 
  島田朋三郎陸軍中将  拳銃自決     杉山元陸軍元帥     拳銃自決
 
本庄繁陸軍大将    割腹自決     宇垣纒海軍中将     特攻自決
 
 反日左翼の政治家や学者、評論家たちは、軍人を十把一絡げにして罵ります。
 
 「日本を破滅に導いた軍国主義者」「国民を苦しめた全体主義者」などと、自己の変節を棚にあげ、およそ見当はずれのへ理屈で、国民を煽動し続けています。
 
  ・今後の日本の正しく行く道は、終戦直後の破廉恥の是正から、再出発すべきものではなかろうか。」・・氏の意見に、「ねこ庭」は全面的に賛同致します。 
 
 恥ずべき輩の一部を、過日「変節した学者たち」と表題をつけ、「ねこ庭」で取り上げました。戦前は軍国主義だったのに敗戦後に平和主義者に変節し、GHQに媚を売った学者たちです。学界に巣食うこの「獅子身中の虫」の名前を、もう一度紹介します。
 
   中野好夫  宇都宮徳馬  我妻栄  戒能通孝  家永三郎 
 
   宮沢俊義  横田喜三郎  末川博、
 
 変節せず根っからの反日左翼学者は、久野収大内兵衛の2氏です。

 もしかすると敗戦後73年経った現在が、公の言われたその時でないのかと思えてなりません。

 「これら一切の世論なるものもいつかは冷静さを取り戻し、正常に復する時も来よう。」

 国民の多くがやっと「反日左翼」の捏造に気づき、「獅子身中の虫」どもの大嘘に疑問を持ち始めました。

 腐れマスコミの筆頭である朝日新聞が読まれなくなり、売国NHKへの疑念が語られるようになり、自分の国の歴史を見直そうとする風潮が出てきました。「戦前への回帰」「軍靴の響きがする。」などと、売国の朝日新聞が得意の煽動記事を書いても、多くの国民が自分の頭で考え始めました。

 「その時初めて、神の法廷において、正義の判決が下されよう。」

 と、公が希望を託した時が今訪れようとしていると、そんな気がします。

 今宵は、「呑める日」です。焼酎のお湯割りを、コップに一杯ゆっくりと飲みます。今晩見る夢は、近衛公でしょうか。著者の富田氏については、写真がありませんので夢に見ません。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『敗戦日本の内側』 - 11  ( 昭和天皇のご決断 )

2018-03-04 12:47:05 | 徒然の記

 南太平洋の島々で多数の兵が玉砕し、原爆を二つ投下され、虎の子の戦艦大和と武蔵を失ったのに、なぜ日本は「ポツダム無宣言」が受け入れられなかったのか。

 氏の著書では明確に書かれていませんが、政府要人の頭を占有していたのは「国体護持」でした。今は使われない言葉のためピンと来ませんが、国体とは「天皇」あるいは「皇室」のことです。

 「ポツダム無宣言」を受け入れた場合、天皇がどうなるのか。連合国の処罰を受けるのか。戦争の責任を問われ、皇室は無くなってしまうのか。

 当時の日本人にとり、それは耐え難く受け入れ難いことでした。「徹底抗戦」と「一億玉砕」の思考が生まれた理由も、ここにあります。

 しかし近衛公は、単純な天皇絶対論者でなく冷静な皇室論者でした。富田氏のおかげで、公の意見を知りましたので紹介します。

  ・憲法に、天皇は神聖にして犯すべからずとあるのは、天皇自らが、絶対無限の責任を、国民に対し負っておられることを、示したものである。

  ・元来国家の成立には、人民と領土が必要とされる。

  ・国民を全て失うような事態となりて、天皇と領土だけということになっては、国家存立の意味をなさない。

  ・追い詰められて、国体の選択を迫られたなら、私は、陛下が天皇制を捨てて、共和制におつきになる場合も、あってしかるべきと思う。

  ・国民を皆殺しにして、天皇制を護るということは、ありえない。

  ・天皇制を捨てても、陛下は日本国民と領土をお護りになると、信ずる。

 氏はこれを、公から直接に聞いた話として伝えています。公は続けて、次のようにも語っています。

  ・ただ、近衛家の場合は別である。

  ・多年皇室の恩寵を賜り、時には皇室に数々のご迷惑をかけてきた、藤原、近衛家であるからして、天皇と運命を共にしなければならないと思う。

  日本の敗戦が目前にあっても、連合国に受諾を伝えられなかった最大の理由が、「国体護持」でした。そして今ひとつの理由が「軍」です。

 口にしませんが、誰もが恐れていましたのが軍の反乱」と、これによる「日本の内部崩壊」です。

 多くの指導者たちが避けようとしたのは、軍の反乱と、日本の内部崩壊でした。彼らにこれを確信させていたのが、過去の二つの事件でした。

 〈  1. 「5・15事件」 〉

  昭和 7年   海軍の将校を中心に、民間人も含め、26名が参加。

  犬養首相を殺害した将校を含め、全員が10年から16年の禁固刑。

 〈  2. 「2・26事件」 〉

  昭和11年  陸軍の将校を中心に、兵士、民間人を含め、1,483名が参加。

  死刑 16名    自決 2名  1年から6年の禁固刑 17名 兵士は無罪。

  今は知る人もありませんが、戦前は「君が代」に次ぐ「第二の国歌」として「海ゆかば」という歌がありました。
 
 大伴家持の長歌からとられたもので、東京芸大の信時潔教授の作曲による荘重な曲です。国を守るためなら、天皇と共に死を厭わずどこまでも行くという兵士の歌です。
 
   海ゆかば  水 (み ) 漬 (づ )く屍 ( かばね )

   山ゆかば  草生 ( む ) す屍 ( かばね )

   大君 ( おおきみ ) の  辺 ( へ ) にこそ死なめ
  
   かへりみはせじ
 
 世界最強の軍隊と言われる日本軍には、世界最強の兵がいて、天皇のため命を捨てました。陛下を守るためなら政治家たちが何を言おうと、自分たちは信ずるところを実行すると、二つの事件は、それを世に知らしめた重大事件でした。
 
   事件以来、政党政治家は軍を恐れ、軍に逆らうことをしなくなりました。この2つ事件は、兵たちの純粋な意図と異なり、軍の上層部が、政党政治家や反対者を黙らせる、脅しの道具に使われるようになっていました。
 
 大戦末期の指導者たちに、「ポツダム無宣言」受諾の決断をためらわせた、二つの理由は、「天皇 ( 国体 )」と「軍」でした。これを理解した上で、氏の叙述を読みますと、当時の人々の苦労が理解できます。
 
  ・ポツダム無宣言の受諾について、閣議では、結論が出なかった。
 
  ・首相ほか15名の大臣のうち、12名は受諾しても良いという意見、
 
  ・しかし、阿南陸相、安倍内相、松坂法相の3名は、むしろ玉砕論を唱えた
 
  ・こうして8月14日、陛下の下命を願いつつ、御前会議が開かれることとなった。
 
 ここでも論がまとまらず、最後に陛下が口を開かれた情景を、高木惣吉氏の『終戦覚書』をもとに、富田氏が伝えています。
 
  「ポツダム宣言につき、天皇統治権に対し、疑問があるように解する向きもあるが、私はあれでよろしいと思う。
 
  「私の決心は、私自らの、熟慮検討の結果であって、他から知恵をつけられたものでない。」
 
 息子たちと訪問される方々のため、割愛せずに紹介いたします。
 
  「皇土と国民がある限り、将来の国家生成の根幹は十分であるが、この上望みのない戦争を続けるのは、全部を失う惧れが多い。」
 
  「股肱と頼んだ軍人から、武器を取り上げ、私の信頼したものを、戦争犯罪人として差し出すことは、情においてまことに忍びない。」
 
  「幾多の戦死者、傷病者、遺家族、戦災国民の身の上を思えば、これからの苦労も偲ばれ同情に耐えない。」
 
  「三国干渉の時の、明治大帝のご決断に習い、かく決心したのである。」
 
  「陸軍の武装解除の苦衷は、十分分かる。」
 
  「事ここに至っては、国家を救う道は、ただこれしかないと考えるから、堪え難きを堪え、忍び難きを忍んで、この決心をしたのである。」
 
  「今まで何も聞いていない、国民が、突然この決定を聞いたら、さぞかし動揺するであろうから、詔勅でも何でも、用意してもらいたい。」
 
  「あらゆる手を尽くす。ラジオ放送もやる。」
 
 陛下は、純白の手袋をはめられた手でメガネを外され、頬に伝う涙を拭われたと言います。陛下のお言葉により、国の決断が下されました。
 
 果たしてわが息子たちは、なんと思って陛下のお言葉を受け取るのでしょう。願い得ることなら、父と同じ涙をそっと拭ってもらいたいと思います。
 
 続きは、次回と致します。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする