米軍の本土空襲のため東京だけでなく、全国の主要都市が無差別爆撃を受け、戦争終結への動きが本格化します。
同時に、一億玉砕を唱える軍部からの反発も強まり、富田氏がその様子を語ります。
・4月15日、後の首相吉田茂、政治評論家の岩淵達雄、後の法務院総裁殖田俊吉の諸氏が、憲兵隊に拘引されるという事件が起こった。
・大磯の自宅で病床にあった原田子爵も、憲兵隊によって軟禁状態に置かれ、日米協会会長の樺山愛輔伯爵や、反東条派の小畑俊四郎陸軍中将も、家宅捜索を受けることになった。
・これは、東條系の憲兵隊特高課長高坂中佐の仕業だった。
・和平派の動きが、抗戦態勢を崩す敗戦主義だというもので、その主目標は、和平派の中心人物である近衛公にあった。
東條大将は首相を辞任しても政権内で力を持ち、和平派への弾圧を続けました。氏の説明で、国の指導者たちが和平と抗戦派に分かれ、命がけの対立をしていたことが分かりました。
東條大将は陛下の意を汲み、終戦の努力をしたと聞いていましたが、氏の著書では主戦論者の中心にいます。
東條大将が憲兵を使い吉田氏を拘引し、厳しく取り調べたため、後に首相になった氏は軍人を嫌い、軍隊を嫌悪します。保守政治家の氏が、アメリカに要請されても再軍備を急がなかったのは、こんなところに遠因があったのかもしれません。
昭和20年6月9日、木戸内大臣が異常の決意をもって拝謁した様子を、氏が紹介します。
・異例のことであるが、天皇の御勇断を乞い、親書を奉じてソ連と交渉する以外に途なしと上奏した。
・ソ連の仲介により、大東亜戦争を終結すること。
空爆の激化で衣食住を奪われ、困窮する国民のことを、陛下は日夜心配されていましたので、木戸内大臣の言葉にうなづかれ、速やかに実行せよと言われました。
木戸内大臣は即座に近衛公に伝え、親書を持ちソ連を行くことを要望します。
ソ連に不信感を持つ公でしたが、陛下のご意向に逆らえず、酒井鎬次陸軍中将に助力を要請します。中将はソ連不信の念を抱きつつも、近衛公の陛下に対する至誠の念と、戦争の早期終結という名分に感激し協力を約しました。
弾圧する主戦派の東條氏も、終戦工作をする近衛公も命がけです。後世の私たちが過去を簡単に蔑んだり、否定したりできなくなります。東條元首相は気障で幼稚な、強権政治をしたのかもしれませんが、私欲からしたのでなく、氏なりの日本を思う施政でした。
以前読んだ本で、反日左翼学者が、近衛公の対ソ和平工作を愚かしくバカなことと批判し、攻撃していましたが、「ねこ庭」は富田氏の意見が正しいと考えます。
・ソ連の中立条約違反と騙し討ちによって、見事に失敗した事実からして、今日ではそれが、世上多くの批判が浴びせられているが、当時の政情下においては、止むを得ざる最後の方途であったように思われる。
・殊に、特派使節たる公はソ連不信であるし、酒井氏もまた、ソ連仲介依頼に反対であったにも拘らずである。これも宿命であろうか。
モロトフ外相を通じ交渉を開始しますが、モロトフの返事は遅れ、米軍による空爆は日ごとに激しくなり、日本側の焦燥感が募ります。
そしてついに昭和20年7月26日、日本は連合国から発せられた「ポツダム宣言」を知ることになります。
まだ日ソ中立条約が生きており、ソ連も宣言に参加していなかったため、鈴木首相も外相はしばらく様子を見る考えでした。
鈴木総理が記者会見で、宣言を「黙殺する」と言ったため、この言葉が大きく報道されました。連合国側は日本がポツダム宣言を拒否したと受け止め、後のソ連参戦の口実にします。
それだけでなく「日本の戦意を砕くため」という理由で、開発されたばかりの原子爆弾が試験も兼ねて広島に投下されました。
8月6日、一瞬にして20万人の市民が命を奪われ、3日後には長崎で14万人の市民が爆殺されました。
モスクワ駐在だった佐藤大使が、政府の督促を受けモロトフ外相を訪ねますと、モロトフは大使の要件を聞かないまま、突如「対日参戦の宣言」を読み上げたと言います。宣言の要旨は、次の通りです。
・無条件降伏に関する、米・英・支の要求を、日本は拒絶した。
・よってソ連に対する日本の調停申し入れは、まったくその基礎を失った。
・連合国はソ連に対し侵略に対する戦争に参加し、もって戦争の終結を促進し、平和の回復に資するよう提案してきた。
・よってソ連は明8月9日から、日本と戦争状態に入る旨を宣言する。
陛下をはじめとし政府関係者が、一日千秋の思いで待っていたソ連の回答は、不意打ちの「宣戦布告」でした。佐藤大使や、陛下を初めとする政府要人の失望と怒りは、どれほどだったことでしょう。
大東亜戦争末期の動きを知れば、米・英・ソ、あるいは中国が、一方的に日本を断罪し悪役に仕立てる主張が、事実に反する強弁であることが分かります。
戦後に変節した反日左翼学者と政治家は、「日本国憲法」を有り難がりますが、国を大切にする「ねこ庭」は、富田氏の意見に同意します
・かくして8月9日未明、ソ連は満州に怒涛のごとく侵入し、侵略行動に移った。
・満州樺太はもとより、日本固有の領土たる南千島や、北海道の一部である歯舞や色丹まで侵入占領し、戦後14年経つ現在でも、返還しようとしない。
・これらの地域にいた軍人はもとより、多くの民間人を捕虜とし、公私の財産を略奪し、婦女子を凌辱してテンとして恥じない。
・かかるソ連に対し、日本人であるならば、永久にその事件を忘れることはできないはずである。
韓国が捏造する「売春婦問題」と異なり、ソ連軍による日本女性への凌辱は、間違いなしの軍人の暴行でした。日本女性は韓国人のように騒がずに耐えていたことを、「ねこ庭」は息子たちと訪問された方々に言います。
満州から引き揚げてきた母が、ソ連兵の恐ろしさを時々語りました。子供だったため聞き流していたのですが、今は母の話の理解できる年となり、「日本国憲法」前文の空々しさを嫌悪します。
本の紹介だけなら、とっくの昔に完了しているのですが、我欲のため長引いています。我欲とは、自分の死後「ねこ庭」を読むであろう息子たちのへの思いです。
氏も同じ気持ちで現在の私たちのため、詳細な記録を本にしたのかもしれません。氏のような力がありませんので、私は「世に出す」ことをせず、息子たちと、訪問される方々へ、「ねこ庭」から伝えるだけです。
もう少し、つき合って頂ければ幸いです。