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ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

『中国との戦い』 - 6 ( 日本軍と中国軍と『持久戦論』 )

2021-11-13 17:14:17 | 徒然の記

 今井氏は、八路軍の紹介( 211ページ )で何を言いたかったのか。気になりますので、著作の中から、関連する部分を探してみました。

  1. 日本軍と中国軍の比較 ( 100ページ )  2. 毛沢東『持久戦論』続き ( 150ページ ) 

  何気なく読んでいましたので、もう一度転記してみます。

  〈 日本軍と中国軍の比較 〉 

  「わずか数日の滞在で、次の地点へ赴く日本軍兵士を、」「名残惜しく見送るのも、子供たちだ。」「列を離れて見送る子供を抱き上げ、別れを惜しむ兵士の姿など、」「まさに一服の図であろう。」

  「支那の兵士は、一体に鈍感で、ぼうとしているだけに、」「子供をあまり可愛がらないようである。」「うるさいと、本当に殴ったりするので、」「子供も怖がってあまり近寄らず、」「別れを惜しむなどということは、絶対にないそうだ。」

  「のみならず支那人は、好人不当兵 ( 良民は兵隊にならぬ ) と信じているために、」「敬して遠ざかり、軍隊が駐在すれば殆んど門戸をとざし、」「因縁の生ずるのを恐れて、子供も接近させないようにしているらしい。」

 おそらくこれは八路軍の説明でなく、地方に割拠し、互いに争っていた軍閥の兵士のことだろうと思われます。軍服を脱ぎ、小さな集団となって農村に入る八路軍の兵士は、やはり違っていたのかもしれません。

 日本軍の兵士が、子供たちを可愛がり、懐かれた事実を確認するのは、一つの安心であり救いでした。

  〈 毛沢東『持久戦論』続き 〉 

 「敵側は、中国の泥沼に落ち込んだ数十個師団の軍隊を、」「そこから、引き出すことができない。」「広範な遊撃戦と、人民の抗日運動とが、この大量の日本軍を疲労困憊させる。」「一方では兵を大量に消耗させ、また他方では、彼らの郷愁、厭戦の気分を反戦にまで発展させて、」「この軍隊を瓦解させるであろう。」

 昭和3年に出された毛沢東の『持久戦論』を初めて読みますが、中国の言う「情報戦」「神経戦」の走りであるような気がします。書が世に出された前年の昭和2年は、田中首相が東方会議を開催した年です。満蒙経営拡大論者の森恪外務次官が、強行な意見を述べていた時だと知れば、毛沢東の主張に、中国人の愛国心を認めずにおれません。

 「日本の中国における略奪は、絶対に成功しないとは言えないが、」「日本は資本が欠乏しているし、また遊撃隊に苦しめられているので、」「急速に、大掛かりに、成功することは不可能である。」

 「中国が独立国となるか、それとも植民地となり下がるかは、」「第一段階における大都市の喪失によって決まるのでなく、」「第二段階における、全民族の努力の程度によって決まる。」「この第二段階は、戦争全体のうちでは過渡的段階であり、」「また最も困難な時期でもあるが、しかしそれは、」「転換のための枢軸である。」

 日本にとって大東亜戦争の大義は、欧米列強とソ連の侵略から日本を守るための「自衛戦争」でした。朝鮮併合、満州国の独立と進展するにつれ、中国にはこれが、「日本の侵略」となります。

 私が知らなくてならないのは、三つの大義が衝突しているという事実でした。「日本の大義」、「毛沢東の大義」、「蒋介石の大義」です。三つの大義を引き起こした原点を辿れば、欧米列強によるアジアの植民地支配となりますが、この段階になりますと隠れてしまい、要因として意識されません。目につくのは、広大な中国に展開する日本軍の動きです。だから毛沢東が、国民に呼びかけます。

 「もし抗戦を維持し、統一戦線を堅持し、持久戦を堅持することができれば、」「中国はこの段階で、弱いものから強いものに変わっていくだけの力を、」「獲得するであろう。」

 先日のブログで、「中国共産党軍は弱いから、日本と正面切って戦えず、逃げ回っていただけではないか。」と、言いましたが、『持久戦論』を知った今、訂正しなくてなりません。彼らは、「弱いものから強いものに変わっていく力を獲得する」ための、努力をしていたのです。

 「中国抗戦の三幕劇では、全出演者の努力によって、」「最も精彩のある終幕が、見事に演出できるであろう。」

 毛沢東の『持久戦論』は、氏が紹介してくれた部分しか知りませんが、激しい戦争の中で「一筋の光」として、農村に展開する八路軍兵士の口を通じ、次第に中国国内に浸透していったのだと思います。

 次回は毛沢東と八路軍でなく、列強の中での日本についてご報告します。

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『中国との戦い』 - 5 ( 農事を手伝う兵士 )

2021-11-13 07:59:07 | 徒然の記

 今回は、北支方面軍・第二課に所属していた、北原竜雄氏の話から始めます。

 「昭和16年のことである。」「八路軍の小部隊が、上級機関の命令で、」「募兵工作を始めるという情報を掴んだ。」「私は八路軍の末端幹部と、連絡ルートを持っていた。」「彼らは平服を来て、こっそり北京にもやって来て、」「お茶を飲んだり、冗談を言い合ったりした。」「このようなルートを通じて、私は八路軍の募兵状況を観察する機会を得た。」

 詳しく書いてありませんが、氏の仕事は諜報活動で、簡単に言えばスパイだったのではないでしょうか。

 「指定された日に、指定された村へ、私は単身行ってみた。」「私については既に連絡済みらしく、大きな農家の家にいた八路軍の兵士たちは、」「特に私を警戒する風もなく、迎えてくれた。」「庭では、身体検査が始まった。」 

 せいぜい100人くらいだろうと聞いていたのに、庭に集まっている青年達は、150人ほどいて、前日から、近くの農家に泊まっている者もいたそうです。

 「身体検査は、身長や胸囲を測ったりしない。」「立って歩かせ、一度だけ大きな声を上げさせる。」「次に、簡単な体操をさせる。」「5キロの道を何十分で走れるかと、質問し、」「目と耳の具合を聞くだけである。」

 余計な描写をせず、事実だけを語っていますが、身体検査の情景が手にとるように浮かんできます。

 「次に一人一人について、ゲリラ戦や軍の手伝いをしたことがあるか、」「家庭の状況はどうかと、質問する。」「もし母親一人が残されるような場合、」「軍の手伝いをしてくれるのは歓迎するが、君はもうしばらく家に残って、」「お母さんと一緒に暮らしたまえ、などと諭される。」

 その他にも何らかの理由で、入隊を思いとどまらされる者が、3分1ほどいました。結局その日は、100人の青年が八路軍に参加することとなり、青年達の顔には喜びが溢れていました。

 簡単な入隊式が行われ、夕方から始まる学習や、翌日からの訓練の日課が示されます。それが済むと、古い兵士と新しい兵士が、夕暮れの中で軍旗を合唱します。

 「自分にとって、彼らは新しい〈 敵 〉なのに、訳のわからぬ、」「妙な感動が、私を襲った。」

 北原氏は日本軍の仕事をしているのに、八路軍の兵士たちへの敵意を失っています。こういう叙述を読まされますと、私も何か胸に迫るものがあります。

 「あれから24年経った今でも、私はその時の情景を、鮮やかに思い出すことができる。」「連日報道される、ベトコントの戦いを見るにつけ、」「私は、八路軍の精神的骨格の図太さについて、考えさせられる。」

 「あの日の農家の庭のように、少しの不自然さもなく、」「また、一時的な興奮によるものでもなく、」「ベトナムでも、〈 人民の軍隊 〉が作られているのだろう。」

 さらに氏は、「八路軍の行軍心得」の中身を紹介します。

  ・行軍中民家に宿泊するときは、自宅や故旧の家にきたような心やすさを抱くが良い。

  ・しかし農家は貧しくて忙しい。少しでも迷惑をかけてはいけない。

  ・食事を携帯するときでも、家人より豊かな食事をしてはいけない。

  ・ワラを借りて土間に寝なければならない。そのワラは翌朝、元通りの束にして返さなければならない。

  ・農繁期には、指揮者がよく状況を勘案して、許されるだけ農事を手伝わねばならない。

  ・戦争のため、損害を受けたを発見した場合は、できるだけ早く実情を調べ、上部機関に報告しなければならない。

  「ざっとこのような内容で、それが実に守られていた。」「人民の気質を、人民の軍隊が守るのは当然ですと、」「ある八路軍幹部が、私に語ったことがある。」「形式や外観を飾ることをしない八路軍は、」「歴史上に初めて生まれた、新しいタイプの軍隊だと、私は思った。」

 八路軍の募兵の、基本的なやり方も説明しています。

  ・一組10人くらいの兵士が、五組ほど平服を着て、農村へ散らばっていく。

  ・兵士たちは村に入ると、農事を手伝う。

  ・手伝いながら、戦争の状況をわかりやすく説明する。

  ・敵の兵力が強化されているから、こちらも兵隊を増やさねばならない。

  ・我々の部隊に参加したいものは、〇〇日、〇〇場所に集まってくれ。

  ・軍隊生活の規則はこれこれで、応募の条件はこれこれだと、三泊四日の間兵隊たちは村々の人たちに説明する。

  ・説明と訴えが終わると、兵隊たちはお礼を言って帰っていく。

 これが八路軍、現在の人民解放軍の原点です。日本の徴兵検査とは、大きな違いがありますし、他の国々の募兵方法とも違っているのだろうと思います。

 今井氏が、論評なしで北原氏の談話を紹介していますので、八路軍の特異性を伝えたいのか、日本軍との比較で何か言いたいのか。意図が掴めません。日本軍は現地人に愛されなかったが、八路軍は農民たち愛されていると、そんなことが言いたいのでしょうか。

 農作業を手伝った八路軍が、今では国民を弾圧する軍隊となり、天安門で若者を戦車で轢き殺します。一方で日本の軍隊は自衛隊という名前に変わり、尖閣の領海を侵犯されても、竹島を不法に占拠されても、黙って見ている集団となってしまいました。日本軍の少佐で、のちに少将となった今井氏は、そんなことが言いたかったのでしょうか。

 氏は、人間を武器として使い、国家のため一億人を消耗しても構わないという、毛沢東の『持久戦論』の紹介もしていました。

〈 持久戦論 〉

  ・戦争の勝利を得るのは、正規軍による戦闘だけではない。

  ・一般大衆を立ち上がらせ、これと組んでゲリラ戦をやることが極めて重要だ。

  ・人間そのものが武器であり、中国には億単位の武器がある。

  ・最終的には、中国の「人民ゲリラ戦」が必ず勝利を収める。

 頑迷な反共の軍人でないということは伺えますが、何を私たちに伝えようとしているのか、よく分かりません。分からないことは無理に理解しようとせず、いつか分かる日が来るだと、このままにしておくしかないのかもしれません。

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