余分なコメントを入れず、渡部氏の解説を紹介します。
「しかし清麻呂の報告は、一点の曖昧さのない明快なものだったので、女帝も道鏡に位を譲ることを断念せざるを得なかった。皇位 — 天津日嗣(あまつひつぎ)の位 — は、一人の勇気ある人物の抗直さによって護られたのである。」
「ここを頼山陽は、〈 和気の清(わけのせい) 〉という言い出しで総括してみせた。」
「〈清を改めて穢(けがれ)と為すも清を損せず 〉というのは、清麻呂を穢麻呂と改名させたところで、清い心は変わらないと言うことである。」
「清麻呂の清い心は、天地正大の気となり、広く天下に満ちるようになったと言うのが、〈 清気浩々として天地に塞がる 〉の意味である。天津日嗣の位、つまり皇位は〈赤日〉に例えられる。」
「真っ赤な太陽にも比すべきわが国の皇位を護ることができたので、大空が晴れ渡って澄んだような感じである、ということを〈 赤日を護り得て天中明らかなり 〉と頼山陽は表現した。」
「〈臣の舌は抜く可し〉、〈臣の語は屈す可らず〉というのは、絶大な権力を握っている道鏡を前にして、すばりと神託を述べた清麻呂の心意気だ。」
「最後の一行、〈三寸の舌、万古の日〉とは、何という簡潔で力のある対句であろうか。清麻呂は三寸の舌をもって、万世一系の日輪にもたとえられる皇位を護ったのである。」
氏の解説で、難解な詩が霧が晴れるように明らかになりました。
「その翌年、女帝は亡くなられた。ちなみに道鏡は、造(みやっこ)下野(しもつけ)薬師寺に別当として左遷された。先帝の寵を受けていたので、刑には処さなかったのである。東国とはいえ、日本三戒壇のあるところである。失意のせいか道鏡は間も無く死んだそうだが、葬式は庶民扱いだったという。」
別途調べたところによりますと、道鏡の失脚後清麻呂は大隅国から呼び戻され、豊前守に任ぜられ官界へ復帰したといいます。また配流中に伐採されていた郷里の祖先の墓ついても、祖先4名と清麻呂を美作備前両国の国造(くにのみやっこ)とする旨の詔(みことのり)が出されています。
道鏡に対する処置と言い、清麻呂の名誉回復の沙汰といい、朝廷の対応にはほっとさせられるものがあります。暗く重い書き出しであっただけに、寛大な結末の解説に救われました。
「文武、聖武、孝謙、淳仁の各天皇は、いずれも天武天皇の系統であったが、称徳女帝が子なくして亡くなられると、天智天皇の系統の光仁天皇が出られたわけである。注目すべきことは、これ以後天武天皇系の天皇は一人も出ないということである。」
「皇統を妖僧に譲ろうとする天皇を出した系統からは、二度と天皇を出さない、というのが上古における暗黙の了解事項になったのではないか。」
氏はこのように説明しますが、私は別の考えをしています。天皇の系列の問題より以前に、独身の皇女(ひめみこ)をそのまま天皇にしたという不自然さが、この不幸な出来事の起点ではなかったかと、そう思えてなりません。
現在の問題に戻して考えますと、「愛子さまを独立宮家にする」という意見は、独身の女性天皇を誕生させる可能性があります。「結婚は両性の合意による」と、秋篠宮様が言われている通りだとしますと、愛子さまは好きな相手ならどなたとでもご結婚が可能です。眞子様の例がありますように、お相手が問題を抱えた家庭の男性だとしますと、皇室だけの不幸でなく国民の不幸にもなりかねません。
イギリス王室のように、外国籍の方とご結婚され、お子様が男子なら未来の天皇ですが、ここで日本の皇統が途絶えます。全ては万が一という前提での推測ですが、可能性がゼロでないところに悩ましさがあります。
一方で「国民主権」の憲法下だから国の主人は国民だと、学者や政治家が主張しますが、日本の歴史を知りますと果たしてそれだけで良いのだろうかと、疑問を覚えるのは私一人でしょうか。
ご先祖さまが護られたてきた皇統はこれからも護持すべきでないのかと、考えの末はここにきます。本意とするところではありませんが、節度を弁えながら渡部氏のように皇統や皇室について今後も意見を述べようと思います。そうしなければ、左翼系の反日学者たちが扇動し、日本の伝統や歴史を崩壊させる心配があるからです。
皇室の方々も日本の歴史を本気で学ばれ、ご自身でも皇統を守る大切さを身につけられるべきでないかと、そんな気がしてきました。