大手新聞社と違って、千葉日報の社説は論説委員が高齢のためか、それとも怠け者のなのか、時たまにしか掲載されません。
朝日や毎日と異なり、大上段に構え、日々読者に高説を述べるという驕りがなく、普段は謙虚です。しかも胸を張って「社説」と言わず、「論説」と曖昧にしています。
10月23日、自民党の圧勝が判明した日には、久しぶりに「論説」が掲載されました。タイトルを目にし、思わずつぶやきが漏れました。
「ブルータス、お前もか。」・・・。
腐れマスコミの一員として、同調記事を書かないと、業界で生き残りが難しいのでしょうか。信じられないほどつまらない中身でした。
昭和31年に設立された千葉日報は、新聞の印刷を日経新聞社に依頼し、配達は読売、朝日、毎日の販売店に委託し、県外のニュースは共同通信社から配信されています。従業員がわずか136人しかいませんので、業界に逆らっては生きられない小さな新聞社です。
理解はしていますが、だからと言って、ここまで大手マスコミに同調する必要があるのでしょうか。
「自民党大勝に終わった衆院選」「主因は敵失、おごり戒めよ。」
私がネットで調べたところでは、朝日を筆頭に、ほとんどの新聞が自民党の圧勝を喜んでいませんでした。反日の政党が少しでも票を伸ばせば、「民意が示された」「野党の勝利」と持ち上げ大騒ぎするのに、「民意」の「みの字」も言いません。
「自民に得点があったというよりも、野党の自滅がもたらした勝利であることを、心せよ。」などと、誰が耳を傾ける千葉日報の論説でしょうか。
「一強のおごりに嫌気がさした有権者は、新たな受け皿を求めていることを肝に銘じてほしい。」
これが論説の締めくくりの言葉ですから、さすがに注意を喚起したくなります。
「千葉日報の大手同調に嫌気がさした読者は、いつだって購読を中止する覚悟でいるから、肝に銘じて欲しい。」
これこそ売り言葉に買言葉の醜い争いですが、人間は相手に合わせて戦わねばなりません。相手が紳士なら紳士の言葉で、相手が愚か者なら愚かな言葉で、レベルを合わせなくては通じません。
選挙の投票率が高かろうが低かろうが、野党が自滅の戦いを繰り広げようが、国民はすべてを見た上で投票しています。
棄権した人間は政治に不満がないから、何もかもお任せしますと意思表示している者たちです。彼らに反対の意思があれば、投票に行くのですから、自民党の勝利に何の傷にもなりません。
同じ条件で選挙を戦い、圧勝したという事実に「民意」が見られないというのなら、マスコミの目はただついているだけのガラス玉なのでしょうか。
千葉日報の初代社長は、全国展開の「まつもときよし」の松本氏です。
その後発展した会社が、社を移動し、新社屋を建設した時、二代目社長になったのは川口為之助氏でした。現行憲法が公布された初めての知事選で、初代の千葉県知事になった人物です。
保守合同後の自民党の千葉県連の会長を務め、参議院議員になっている保守政治家です。
明治14年生まれの氏はもう存命ではありませんが、いくら業界で生き延びるためとはいえ、反日の風潮に流される論説を書く愚かな社員を、快しとされたでしょうか。大きな疑問です。